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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第1章_婚約破棄と、辺境で始まるささやかな奇跡
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帳簿と嘘──消えたはずの金

 グラウベルク城の倉庫は、思っていた以上に静かだった。


 扉を開けたとき、まず鼻をついたのは、乾いた木と古い藁の匂い。

 それから、かすかに漂う錆と油のにおい。……そして、なにより。


(……少なすぎますわね)


 積み上がった穀物袋は、思わず数えるのをためらうほど心許ない。

 壁際に並ぶ樽の多くは、蓋を開けるまでもなく、乾いた音しかしないことが分かる。


 反対側に視線を向ければ、武具置き場。

 剣の刃には赤茶けた錆が浮き、革の鞘はひび割れている。

 盾はところどころ打ち直されているものの、板が薄く、心細い。


「……こちらが、現在の在庫のすべて、ですか?」


 私が問うと、横に立つ兵士の一人が、気まずそうにうなずいた。


「はい、リヴィア様。冬越えの分を少し残してはいますが……正直、今年の収穫が悪ければ、すぐに底が見えるかと」


「武具は?」


 今度はレオン様を見る。彼は、無言で一本の槍を手に取り、穂先に指を滑らせた。

 刃のかけた部分に、指先が引っかかる。


「最低限、戦える物だけを残しています。……本来なら、とっくに鍛冶に回すべき品も多いのですが」


「そうでしょうね」


 私は槍の穂先を見つめ、そっとため息を飲み込んだ。


 この倉庫の“軽さ”は、ただの一冬の不作では説明できない。

 少なくとも、ここ数年、継続的に不足していたとしか思えない。


「ですが……王都からの送金は、毎年あったはずですわよね?」


 兵士たちが顔を見合わせる。


「俺たちには、詳しい額は……。ただ、いつも『金がない』『余裕がない』とだけ言われてきました」


「そう」


 金がない。余裕がない。

 便利な言葉だ。そう言って肩をすくめれば、多くの人間はそれ以上問い詰めない。


 けれど、ここは私の領地だ。

 そして私は、もう「知らなかった」で済ませないと決めた。


「分かりました。倉庫の目録と、王都からの送金記録を照らし合わせましょう。……今日は、少し長い夜になりそうですわね」


 覚悟を決めて微笑むと、レオン様がわずかに目を細めた。


「俺たちも、お供します」


「ええ。でも、倒れてしまわれては困りますから、交代で。私は――」


 自分の胸に手を当てる。


「徹夜の覚悟で、数字とお友達になってきますわ」


 数字は嫌いではない。

 ただ、こうして山ほど積まれていると、少しだけ怯むだけで。



 書庫は、思っていたよりも整頓されていた。


 ひんやりとした石壁に囲まれた部屋。

 棚には、年ごとに綴じられた帳簿や書簡がきちんと並べられている。


(形式だけは、立派ですわね)


 心の中で皮肉をひとつ。


 灯りの下に机を引き寄せ、帳簿を何冊も積み上げる。

 脇には、王都から届いた送金記録の控え。

 そして、グラウベルク側で作成された決算書類。


「書記は?」


「以前の代官に仕えていた者は、何人かおりますが……皆、呼びましょうか」


 レオン様の問いに、私は首を振った。


「いいえ。今はまだ結構ですわ。

 人手を増やせば、その分、口も増えます。確証を得るまでは、狭い輪の中で」


 まだ誰も疑いたくはない。

 けれど、疑いを持たずに済むほど、世界は甘くないことも知っている。


「手伝っていただくなら、数字に強い方を一人、二人。……あまり大声で喋らない方を」


 レオン様は苦笑し、小さく頷いた。


「承知しました。信頼できる者を、連れてきます」


 やがて、兵士出身とは思えないほど綺麗な字を書く若い男と、無口な中年の書記が呼ばれてきた。


「ここの合計を出していただけますか? 王都からの送金は、この金額。

 それに対して、この領地内での支出が――」


 ペンを走らせながら、私はひとつひとつ、項目を読み上げていく。


 穀物購入。武具の補充。道路の修繕。教会への寄付。

 どれも、一見はもっともらしい。


 けれど、ページをめくり、年を遡っていくうちに、少しずつ違和感が積もってきた。


「……おかしいですわね」


 思わず、声に出ていた。


「どうかされましたか、リヴィア様」


 若い兵書記が顔を上げる。


「いえ。この“おかしさ”が、果たして帳簿の癖なのか、不正なのかを見極めているところですわ」


 数字の列を指でなぞる。


 王都からの送金額は、たしかに記されている。

 額も、辺境とはいえ、一領地を維持するには十分すぎるほどだ。


 一方で、出費の内訳は――何年か前までは細かかったのに、ある年を境に、急に大雑把になっている。


『○年○月○日 □□商会より穀物一式 ××金』

『○年○月○日 □□商会より武具一式 ××金』


 “□□商会”という名前が、やたらと目につく。


(……一式、という言葉は便利ですが)


 中身をごまかすには、格好の表現だ。


「この□□商会について、記録はありますか?」


 私は顔を上げ、中年書記に尋ねた。


 彼は一瞬、わずかに身をこわばらせ、それから、こくりと頷く。


「代官様の頃から、よくお名前の出ていた大口の商会です。城に出入りした記録も……ある、はずですが」


「“はず”ですのね?」


 わずかな言い淀みを逃さずに、問い返す。


 書記は気まずそうに視線を落とした。


「最近は、その……帳簿の扱いが雑で。出入りの記録が、何冊か見当たりません」


(見当たらない、帳簿)


 それはたいてい、なくなって困る人がいる帳簿だ。


 私は、□□商会の名が並ぶページに印をつけた。


「レオン様」


「はい」


「後日、この□□商会について、王都側の商人組合で照会をかける必要がありますわね。

 実在するのか、どの規模の商会なのか。……本当に、この額の取引をしているのか」


「承知しました」


 レオン様の返事は短い。

 けれど、その声の奥には、静かな緊張があった。


 私は再び、帳簿に視線を戻す。


 ページをめくる手が、だんだんと重くなっていく。

 紙のざらりとした感触が指先に残り、夜が深まるにつれて、羊皮紙の匂いが鼻にこびりつく。


 最初のうちは丁寧に書かれていた数字も、近年になると、どこか雑だ。

 桁の書き方に一貫性がなく、訂正の跡も多い。


(数字は嫌いではありませんが……もう少し、控えめな量でもよかったと思いますわね)


 思わず、小さく愚痴が口から漏れた。


 対面で数字を写していた若い兵書記が、噴き出しそうになって慌てて咳払いをする。


「も、申し訳ありません」


「いいえ。私も、今のは少し本音でしたから」


 肩をすくめると、レオン様が、ほんのわずかに口元を緩めた。


「リヴィア様でも、そういうことを言われるのですね」


「ええ。人間ですもの」


 そう答えてから、長時間座りっぱなしだった腰を伸ばそうと立ち上がる。


「……っ」


 背中から腰にかけて、ぴきりとした痛みが走り、思わず変な声が出た。


「あいたた……」


 自分でも驚くほど、おばあちゃんのような声だった。

 椅子の背もたれに片手をつきながら中腰になっている私を見て、レオン様が、今度こそぷっと吹き出しそうになる。


「笑ってくださっても結構ですわよ?」


「いえ……その、失礼かと思いまして」


「状況によっては、笑いも必要ですわ。破産さえしていなければ」


 冗談めかして言いながら、もう片方の手で腰を押さえる。

 無理な体勢を続けるのも考えものだと、あらためて実感する。


 深呼吸をひとつ。


「さて」


 私は机の上の紙束に視線を戻し、集中を取り戻した。


 王都からの送金額。

 グラウベルクでの支出。

 倉庫の現物。


 この三つを頭の中で並べ替え、つながりを探る。


 やがて、脳裏に一本の線が浮かび上がるのを感じた。


「……そういうこと、ですのね」


 小さく呟いた言葉に、レオン様が反応する。


「何か?」


「はい。だいぶ、輪郭が見えてきましたわ」


 私は机の隅に置いた別紙に、簡単な図を描き始めた。


「王都からの送金は、確かにこの城に届いていました。

 記録によれば、毎年、ほぼ同じ額が」


 ペン先で、送金記録の欄を軽く叩く。


「ところが、ここからが問題ですわね。

 城の帳簿上は、その多くが“□□商会”を通じて、物資として支払われていることになっている」


 次に、支出の列を指す。


「ですが、倉庫の状態を見れば――とても、その額に見合う物資が届いていたとは思えません。

 そして、その不足分を埋めている形跡も、どこにもない」


 つまり。


「この差額は、どこかで消えている。

 誰かが、帳簿上は“支出”に見せかけて、別の場所へ運び出しているのです」


 レオン様の目が、鋭くなった。


「代官……ですか?」


「有力候補、ではありますわね」


 私は頷く。


「ただし、彼ひとりでできる仕事ではありません。

 帳簿に印を押した者。倉庫の鍵を預かっていた者。物資を運び出した者。……関わった手は、きっと複数ある」


 そして、そのどれもが、いまもこの領地のどこかで息をしている。


 指先に力が入るのを、自分で自覚した。


「ここに並んでいるのは、ただの数字ではありません」


 静かに、口を開く。


「本来なら、パンに、薬に、服に変わっていたはずの“命綱”ですわ。

 あの村の井戸が、枯れる前に手を打つことだってできたかもしれない」


 紙の上の数字の列が、途端に重さを持って胸にのしかかってくる。


「その命綱を、自分の懐にしまい込んだ者がいる。

 そう考えると――」


 一度、言葉を切る。


 灯火が揺れ、机の上の影が揺らいだ。


「怒っているのですよ、私」


 自分で驚くほど、声は静かだった。


 怒鳴り散らしたいわけではない。

 物を投げつけて、感情をぶつけたいわけでもない。


 ただ、ひたひたと胸の底から湧き上がる怒りが、どこにも行き場を失って、内側でじりじりと燃えている。


「けれど、怒鳴るより先に――きちんと、詰め将棋をしたくてたまりませんの」


「詰め……将棋、ですか」


 レオン様が思わず聞き返す。


「はい。盤上の駒をすべて見渡して、逃げ道を潰して、最後に王手をかける。

 感情ではなく、事実と証拠で、ですわ」


 ペンを握っていた手をいったん机の上に置き、拳を軽く握る。


「領民を責めるつもりはありません。

 この結果は、“上に立つ者”の罪ですから」


 たとえ、その“上に立つ者”の一角に、自分自身も含まれているのだとしても。


 知らなかったから、と言って、罪が軽くなるわけではない。

 だからこそ、今ここで、きちんと向き合わなければならない。


 少し離れた場所で、若い兵書記と中年書記が息を詰めている気配がした。


 普段の私を知る彼らは、おそらく初めて見る顔なのだろう。

 優しくて、少し抜けていて、泥だらけの花壇に突っ込んだりする私とは、別の顔。


(……怖がらせてしまったかしら)


 内心で自嘲気味に呟きながらも、表情を崩す気にはなれなかった。


 これは、崩してはいけない場面だ。


「お二人は、もう休んでくださいな」


 机の上の資料の山を見渡しながら、私は書記たちに声をかけた。


「これ以上付き合わせて、明日のお仕事に差し支えが出ては困ります。

 続きは、私とレオン様で十分ですわ」


「ですが、リヴィア様こそ」


「私は明日も、同じ顔で数字と向き合うだけですから。

 外で動くあなた方のほうが、睡眠は重要ですわよ」


 冗談めかして言うと、二人は戸惑いながらも頭を下げ、部屋を出て行った。


 扉が閉まり、書庫に静寂が戻る。


 残ったのは、私とレオン様と、山積みの紙束だけ。


「リヴィア様」


 彼が、いつになく真剣な声音で私を呼んだ。


「……はい?」


「先ほどの、その……『叩き潰す』という言葉。

 あれは、本気で?」


 さきほど、無意識に漏れた言葉を、彼は聞き逃していなかったらしい。


 私は少しだけ首をかしげ、微笑んだ。


「もちろん、本気ですわ」


 レオン様の喉が、ごくりと鳴る。


「ただ、暴力で、ではありません」


 ペン先で、□□商会の名を囲む丸に印をつける。


「証拠が揃いました。

 あとは、正しい場で、正しい順番で、切り札を出すだけです」


 王都に送る報告書。

 この領内で開くべき会合。

 関係者を一人ずつ呼び出し、話を聞く順番。


 やるべきことは山ほどある。

 けれど、不思議と気持ちは落ち着いていた。


「逃げ道を塞いで、言い訳を許さず、正面から向き合っていただく。

 その結果、何が起こるかは――あちらの選択次第ですわね」


 灯りの火が、揺れもせずに燃えている。


 その炎を見つめながら、私は静かに息を吐いた。


 優しさだけでは、救えないものがある。

 けれど、怒りだけでも、守れないものがある。


 だから私は、その両方を抱えたまま、盤面に向かうのだろう。


「レオン様」


「はい」


「もし、私の怒りの矛先が、間違った方向へ向かいそうになったら――そのときは、止めてくださいね」


 冗談とも本気ともつかない声音で言うと、レオン様は一瞬、言葉を失い、それから、ゆっくりと頷いた。


「……その役目は、重すぎます」


「でしょうね」


 くすっと笑う。


「でも、あなたなら、できると思っていますわ」


 彼が何か言いかけて、結局言葉を飲み込んだ。


 その沈黙を背中に感じながら、私はもう一度、帳簿に視線を落とす。


 紙の上の数字は、冷たく、無機質だ。

 けれど、その一つ一つの裏側には、確かに人の生活がある。


 それを奪った者たちの顔を、私はまだ知らない。


 知らないからこそ――必ず、知る。


 そして、決して見逃さない。


 静かにそう決意しながら、私はまた一本、ペン先にインクを含ませた。


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