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4 迷い

 白い壁に囲まれた6畳ほどの無機質な部屋に明美は座っていた。

明美はしくじったと思ってはいるが、犯罪を犯したとは思っていなかった。

欲しいものを手に入れるためなのだから。

 留置所での生活は、明美にとって窮屈でたまらなかった。

早くここから出られないかと毎日考えていた。

自供すれば早く出られる?

いや。悪いことはしていないんだから、何を自供するというのか。

騙したわけじゃない。お金が必要だったから、ちょっと嘘をついただけ。

私の魅力に抗えなかっただけの話しじゃない。

 警察での取り調べも、検察での取り調べでも、明美は一貫して無実を主張した。

「騙すつもりはなかった」と終始言い続けたが、明美はあっけなく検察に起訴された。

その後に行われた裁判では、懲役1年の判決が下った。

 そして、1999年1月に明美は出所し、夫と子供が待つ自宅へと戻ったのであった。

懲役をくらったとはいえ、明美に罪の意識は全くなかった。

今度はもっと簡単に金を手に入れる方法を考えなければとさえ思っていた。

 明美の子供時代は決して裕福ではなかった。

友達が新しい服を買ってもらったりするのをただただ羨ましく見ていた。

お金が無いことは不幸なことなんだと子供時代に骨身に染み込ませた。

お金さえあれば幸せになれる。

 だって、私はこれまでの人生を、お金によって勝ち取ってきたのだから。

男の人にお金を出してもらうのは、当然の権利であり、私にはそれだけの価値がある。

明美はそう信じていた。

 しかし、1年ぶりの外の世界は明美を快くは迎えてくれなかった。

明美の店は既に人手に渡っており、仕事もなかった。

かといって、仕事を探すこともなく、数日を家の中で過ごした。

長男はバイトに行っているが、下の二人はまだ義務教育だった。

小林の稼ぎでは、生活はカツカツだった。

「やっぱり保険金殺人をするしかない」

明美は日を追うごとにそう考えるようになっていた。

 出所から3週間目に、明美は山下に連絡を取った。

久しぶりに電話をした山下の声は、ひどく落ち着いた声だった。

今は派遣で工場勤めをしているという。

「出所祝いに飲もうよ」

明美は臆することなく自ら言った。

山下は一瞬躊躇したが、明美の誘いに応じた。

 山下は朴訥とした男だ。

飾りっ気もなく、不器用なほど真面目だった。

その真面目さが人間関係でぎくしゃくする原因なのだが、真面目過ぎる故に、それにさえ気づけない男だった。

 センターで分けたツーブロックの髪は、いきつけの理容室で寝ている間に仕上げられたものだ。

目が覚めた時、山下はこれが自分なのかと驚いたものだ。

「山下さん、気分を変えるには、髪形を変えるのが一番ですよ」

理容室のオーナーに言われて、まんざらでもない出来栄えに、確かに高揚を感じた。

「思い切って、服装も変えてみたら?」

追い打ちをかけるように言われて、それもそうだなと山下は思った。

元々服装にもこだわりがなかった。というより、関心が無かった。

ネットで検索して、ポチった服は、今まで着たことのない色、淡いオレンジ色のTシャツだった。

 仕事を辞めて2年近くが過ぎていた。

今の派遣の仕事も何とか体に馴染んできていた。

人と話をしなくても済む環境は、山下には安心できた。

派遣社員という責任の軽い立場も気に入っていた。

胃が痛くなるほどのストレスを感じなくて済むのは、この上ない贅沢にさえ感じていた。

 何かが変わるかもしれないと思っていた、そんな山下のもとにかかってきたのが、明美からの電話だった。

人づてに結婚詐欺で刑務所に入ったという話しを聞いた時、明美ならやりそうだなと山下は思った。

もう会うこともないだろうと思っていたが、明美から連絡をもらったことで、数年前のマニラでの熱い夜を思い出していた。

 「お待たせ」

約束の時間から10分ほど遅れて明美は店に入ってきた。

酔っぱらいで賑わう居酒屋店の壁際の座敷席に座る山下を見つけると、おねだりをするような眼で明美は山下をとらえた。

「なんか感じ、変わったね」

明美に言われて、少し照れたようにはにかんだ。

「今までより、似合ってるかも」

そう褒められて、山下は頬を赤らめた。

 女性経験が少ない山下を意のままにすることは、明美には容易いことだった。

「私、寂しかったのよ」

グラスを持った明美は甘えるような声で山下に言った。

「また、マニラに行かない?二人で楽しいことしようよ」

 そうして、翌月の連休に山下と明美はマニラに行く予定を立てた。

 明美が次に山下に会ったのは、1週間後の週末だった。

明美は、生命保険と旅行保険に入るよう山下を説得した。

海外は治安が悪いから、旅行保険には絶対入っていたほうがいい。

また一緒に海外旅行に行くのだから、万全にして行かないとねと明美は続けた。

山下は旅行保険の必要性は納得できたが、生命保険に加入するのは躊躇した。

保険金を受け取る相手もいない身だ。

「受取人は私にすればいいじゃない。満期でお金ももらえるやつだし、今の金利なら入っておいた方がいいわよ」と、生命保険販売人顔負けのトークで生命保険に加入させた。

2本の生命保険に加入させ、旅行保険との合計死亡保険金は2億。

旅行保険は、第3者による事故の場合は倍額支払われるタイプのものにした。

 山下は、自分がどんな保険に入らされているのか、よく分かっていなかったが、明美を信用しきっていたため、特に不審に思うこともなかった。

 生命保険の契約に於いて、2000年の頃はまだ規制が緩く、第3者受取りが容易にできた。それ故か保険金殺人が度々ニュースになる時代だった。


渡航当日、空港で旅行ケースを引く山下に一本の電話が入る。

明美からだ。

「ごめん、やまちゃん。祖母が危篤だって連絡が入ってしまったの。

悪いけど、先にマニラに行っててくれない?私は明日の便に乗るから」

明美は一方的に話しをして電話を切った。

ツーツーと音が聞こえるスマホを耳に当てたまま、山下は立ちすくんだ。

自分も明日、一緒に行くのでいいと言おうと思ったが、電話は切れてしまった。

迷う山下の耳に、搭乗案内が聞こえた。


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