2 結婚詐欺
明美の店の常連に、山下という男がいた。
山下は50歳を過ぎていたが独身であった。
長年勤めた会社を辞めたのは、職責と人間関係だった。
仕事を辞めてからは毎晩のように明美の店で飲んでいたが、ある日、明美に「一緒にマニラへ旅行をしないか」と誘われたのだった。
山下には退職金もあったし、しばらくは再就職をせずに好きなことをしようと思っていたから、明美と一緒にマニラに行けるのなら、断る理由はどこにもなかった。
「やまちゃん、マニラはいつにする?」
明美がカウンター越しに下から覗き込むような視線で山下に言う。
「いつでも大丈夫だよ。明美ちゃんは店があるから、明美ちゃんの都合でいいよ」
山下は明美の注いだビールの入ったグラスを片手に答えた。
「そうねえ。それじゃ、来週はどう?3泊くらいで」
「いいね」
「旅行の手配は私がしておくわね」
山下は何の疑いもなく、来週を楽しみに待つこととなった。
この旅行中に、明美は山下の家族関係や交友関係をさりげなく聞き出していた。
両親は既に他界していること。兄弟はいないこと。親戚づきあいは殆どしていないこと。
友人と呼べるほど心を許せる相手はいなかったこと。勤めていたころの同僚とは、たまに酒を飲みに行く関係であること。
2人はグルメを味わい、夜は酒を楽しみ、仲を深めていった。
明美はマニラに滞在している間、山下とは半日だけ別行動で過ごした。
カラオケパブを経営している篠原という男と会うためだった。
篠原は瘦せ型でぎょろりとした目をしている60歳前後の男であった。
日本にいるころからの知り合いで、よく明美の店に出入りしていた。
「ねぇ、しのちゃん。お金、欲しくなあい?」
明美は屈託なく篠原に言う。
「そりゃあ欲しいよ。金があるに越したことはねえしな」
篠原はニタリと笑って答える。
「人を殺してくれる?」
篠原から笑顔が一瞬で消えた。
一瞬、聞き間違いでもしたかと自分の耳を疑ったが、次の明美の言葉で聞き間違いではないと確信した。
「殺して欲しい人がいるの」
明美は笑みを浮かべて篠原をまっすぐに見つめている。
「明美ちゃん、冗談はよそうよ」
篠原は慌てて明美の言葉を打ち消すように言葉を放った。
「冗談でなんか言わないわよお。成功したら、200万でどう?」
マニラの物価からすれば、日本円で200万はそこそこ大金となる。
一瞬、皮算用をしてみたが、人を殺して200万は安い。
もし、捕まったら、懲役は免れないだろう。
「嫌だよ。捕まりたくないからね」
篠原ははっきりと断った。
「しのちゃんが直接手を下さなくてもいいのよ。こっちの人にやってもらえばさあ」
明美はねっとりとした視線で篠原に言う。
篠原はしばらく沈黙をしていたが、重い口を開いた。
「で、誰をやるんだよ?」
明美には野心があった。
社会的地位を得て、人を使って自分は楽をして暮らすという夢。
そのために考えたのが、障害福祉施設の運営である。
障害福祉施設を作るには、法人格として、社会福祉法人を持っていることが必要とされていたため、まとまった資金が必要だった。
箱モノを作るにも金が必要だが、場末のスナックのママに2億3億の金を貸してくれる銀行は、どこにもなかった。
そこで考え付いたのが、保険金詐欺である。
誰かを保険に入れて、死んでもらう。
明美は物凄いいいアイデアだと、嬉々として夫の小林に話しを持ちかけたのだった。
話しを聞いた小林は、一瞬吟味するかのような表情を見せたが、
「やり切れる自信があるのか?」
と、明美に訊いた。
「大丈夫よ、うまくやれるわ」
明美は自信たっぷりに答えた。
今まで男を騙して金を巻き上げてきたのとは次元が違う。
殺人だ。
明美の自信のある素振りに
「流石に人殺しじゃなくて、結婚詐欺ぐらいにしておけば?」
と、小林は言った。
「それもそうね。元金がかからなくてできるのは、結婚詐欺だわね」
殺人よりも簡単にできそうだと明美は思案した。
しかし、億の金を引っ張るには、複数の相手を同時に騙す必要が出てくる。
目ぼしい相手は客の中に数人いる。
そのうちの一人が、今年78歳になる臼井という老人だ。
臼井は自分で起業した板金会社の会長として、今も名前を残しているが、職場にはほとんど顔を出さず、毎日ゴルフ三昧をして過ごしている。
明美は持ち前の甘えるような眼で、臼井に近寄っていった。
臼井には、店の借金があって生活が苦しいと悲劇の主人公を演じてみせた。
息を吐くように嘘をつく人間が世の中にはいる。
それが小林明美という女だった。




