2 探偵もどき
小林の実家は、県道に面した古い農家の一軒家だった。
硝子戸の玄関の引き戸を開けて最初に出てきたのは、頬と額に皺が深く刻まれた色の黒い老人だった。
年齢的にはまだ60代だろうが、里美にはとても老けて見えた。
里美が名乗ると、老人は戸惑いの表情を浮かべた。
「明美さんと連絡を取りたいと伝えたら、うちの息子はあの女に騙されてるんだ。あの女に出会ってから息子は変わってしまった。以前は一緒に住んでいたけど、今はどこにいるか分からないの一点張りで埒が明かない。仕方なしに何か居場所を掴む方法はないかと考えながら、小林の実家を後にしました」
加山が「その時は会えなかったんですね」と言葉を挟んだ。
「ええ。ですから、小林の実家の5軒くらい先の家のインターホンを押して、この地区の子供が通う小学校はどこかって尋ねたんです。私が小学生のころ、小林は3人の子供を連れて家に遊びに来たりしていて、その子供たちとも遊んだ覚えがあったんです。一番上の子は男の子で、私より4~5歳年下だったんです。ここに住んでいた期間があったなら、その子たちは小学校に通ってるはずですから、学校で聞けば転校先が分かるんじゃないかって思ったんです」
今の時代、プライバシーだ個人情報だと言って、絶対に教えてくれない情報だが、2001年である。まだコンプライアンスが定着しきっていない時代だ。
小学校の名前が、第一小学校であることを聞き出した里美は、番号案内で第一小学校の電話番号を調べた。
「事情を説明したら、校長先生に取り次いでくれたんです。身分を証明するものを持ってきてくれれば、今からでも会ってくれるというので、私は急いで第一小学校に向かいました」
校長先生は、初老の老人であったが、とても優しそうな顔をしていた。田舎の小学校の優しい先生。そんな印象だった。白髪の方が多い髪は、きっちりと整えられていて、目じりには数本の皺があった。
里美は免許証を校長先生に手渡して、「身分を証明するものは免許くらいしか持ってなくて」と、とても申し訳なさそうに言った。
「私の両親が先日交通事故で急死しまして、遺品を整理していたら、小林さんの住所が書かれたものを見つけました。生前、両親がとてもお世話になっていた人なので、一度両親の墓前に花を手向けにきてもらえないかと思いまして」
伏目がちに暗い表情を作って、考えもしないのに大嘘が里美の口から出てきた。
里美は我ながら上手く演じられてると自画自賛をした。
校長先生は人を疑ったことがないのか、人は善人であると思っているのか、名簿を引っ張り出してきて、すんなり転校先の住所を教えてくれた。
校長先生に深々とお礼を言って、校長室のドアを閉めると、里美はほくそ笑んだ。
これで行き先がつかめたと。
里美は公衆電話から、転校先の住所地である月夜野町の役所に電話をかけた。
校長先生に話した内容とほぼ同じ事を住民課の職員に伝えた。
すると、「もうその世帯は月夜野町から転出してますね」と、いとも簡単に言われた。
時代が良かったのだ。今なら絶対に有り得ない対応である。
転出先は、栃木県小山市。
里美は、すぐさま栃木に引き戻した。
こんなに近くにいたなんて。
どうしてもっと早くに探さなかったのかと後悔した。
大人の問題だと言って、父も母も私には詳しく教えてくれていなかった。
それでもあの二人に任せておかないで、私が何とかすれば良かった。そうすれば、母は死なずに済んだかもしれない。
2時間半を掛けて、再び栃木に戻った里美は、教えてもらった番地を予想以上に簡単に見つけることができた。
小林の家の反対車線の路肩に車を止めて、しばらく様子を伺っていた里美だが、突撃するのはまだ早い。まずは情報収集をせねばと考えた。
運転席から後ろを見渡すと、個人でやっている昔ながらの美容室があることに気づいた。
近所の噂話が坩堝する場所。そう、美容室。
この閃きに、私って探偵になれるかもと有頂天になっていた。
美容室のドアを開けると、そこには椅子が2却と、シャンプー台、待合の長いすが置いてあるだけの小さな店だった。
里美が店に入ると、店主と思われる中年の女性が奥から暖簾を分けて出てきた。
ふっくらとした体形は、どこか安心感を感じさせた。
里美は店主に事実を告げた。
「小林さんのお宅について、知っていることがあれば教えて欲しいと思って。うちの両親から800万を騙し取った人なんです」
店主は興味深そうに話しを聞いていた。仕事柄、客の話しを聞くのが商売みたいな仕事だからなのか聞き上手であった。
すると、店主は思いがけない言葉を発した。
「あの人、80過ぎのじいさんを騙して、結婚詐欺で捕まってるのよ」
うちの母から800万を騙し取ったのに、もうその800万は無いってことか?結婚詐欺までやるのか。里美は素直に驚いた。
「だからね、今行っても会えないわよ。留置所だか拘置所に入ってるんだから」
「そうなんですね、警察に行けば会えるかしら。旦那さんは家にいるんですかね」
「どうかしらね。今、家にいるのかしら。あそこの家の子供も不憫よね。長男は中学を出て、高校には行かずにカラオケ屋でバイトをしてるらしいわよ。その下の女の子は中学生と小学生ね」
「そうですね。私が子供の頃に一緒に遊んだ記憶がありますから」
店主は話のネタが一つ増えたと思っているのかいないのか、里美の話しを熱心に促して聞いていた。
小林家全員が不幸になればいい、私の母を殺したんだからと、ここぞとばかりに思いの丈を吐き出した。
20分もいただろうか。
美容室を出て、里美は再び小林家の反対車線の路肩に車を止めた。
チャイルドシートでは、息子が安らかな寝息を立てて眠っている。
小林家の庭には、社会福祉協議会の軽自動車が止まっていた。
2001年の時点では、社協の人間が個人宅を訪問するのは、思し召しが必要な家であった。今では介護保険や障害福祉であちこちで見かけるが、当時の日本では珍しいことであった。
問題を抱えている家族であることは、それだけで里美には分かった。
車から出ようと後ろを確認すると、女の子がランドセルを背負って一人で俯きながら歩いている姿を見つけた。
着ている服はどこかみすぼらしく、髪はボサボサで、いかにも母親不在の家の子という感じがした。
女の子は顔を上げることなく、うつむいたまま小林家の門柱をくぐって中に入っていった。
「その女の子の後姿を見つめながら、子供も被害者なんだって思っちゃったんです。親が犯罪を犯しても、その子供には何の罪もないんだって、その時思っちゃったんですよね。それで、会わずに警察署に行ったんです」
里美は遠くを見るような視線でひとり語った。
そんな里美に加山は言った。
「会わなくて正解でしたよ。会っていたら、今頃コンクリートを付けられて沈められてたかもしれませんよ」
「え?」
里美は純粋に疑問の声を発した。
「小林明美の夫も暴力団と関りがあるんですよ」
更に驚いた。
あの真面目そうなおじさんが、暴力団とつきあいがあるなんて。おかしいのは明美だけで、その夫は普通の人だと思って疑わなかったのだ。
あそこで会わずに命拾いしたのは、天の両親の力だったのかもしれないと里美は思った。




