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2 道標

 晩秋の陽光が透明な空気を通して頬に当たる午後、里美は洗濯物を取り込んでいた。

日が短くなって、午後4時には薄暗くなり始める。

遠くに見える浅間山の麓に大きな夕日が沈みかけていた。

夕日があまりにも大きすぎて胸がざわつく。

吸血鬼が満月の夜に覚醒するのと似た感覚なんじゃないかと里美は思う。

今夜、息子の志都馬と会う約束をしていた。

片道2時間弱の距離を遠いとも感じなかった。

やっと誰にも邪魔されずに息子と一緒にいることができるのだ。

 里美は志都馬を群馬に連れてこようと画策していた。

あわよくば自分の後継ぎにしようとも目論んでいる。

今夜は何を食べに行こうか。

そう考えるだけでワクワクが止まらなかった。

 里美と志都馬は登利平にいた。

群馬と言えば、鳥めし。

この味を息子にも一度は食してもらおうと思っていた。

何の変哲もない鶏肉が白米の上に敷き詰められているだけのしろもろだが、ウナギのタレに似た味がたまらなく後を引く。

「どお?」

里美は鳥めしを頬張る息子に訊ねた。

「うん。いける」

「でしょでしょ」

里美は自分が褒められてるかのように嬉しくなった。

 「それでね、相談なんだけど」

里美は言葉を区切った。

「なに?」

「群馬に来ない?」

「群馬?グンマー帝国へ?」

「そう。グンマーへ」

「やだよ。何もないじゃん」

「温泉あるし~、榛名神社とかパワースポットもあるし、栃木より暮らしやすいよ」

「めんどくさい」

志都馬は鶏肉を噛みしめながら言った。

「えー?ダメなの?仕事もうちの役員になって、仕事を手伝えばいいじゃん」

「そういうの、興味ない」

あっけなく断られたが、里美は食い下がった。

「家賃も払うし、どお?」

「考えとくよ」

志都馬は里美の目を見ずに答えた。

「鶏のから揚げを追加注文してもいい?」

志都馬は里美の心境などお構いなしに食欲を満たす事を考えていた。

「髪の毛、切れば?」

「あー。めんどくさい」

「めんどくさいとかいわない」

「だってめんどくさいんだもん」

 こういうところは子供の頃から変わっていない。

めんどくさい、つまんないが口癖のような子供だった。

勉強はできる方だった。

特に算数のテストの点は良かった。

頭は悪くないはずなのに、何故か忘れ物が多く、片付けができない子だった。

里美はしょっちゅう「お片付けしなさい」と目くじらを立てて叱っていたのを思い出した。

唐揚げが運ばれてくると、志都馬は早速からあげに箸をつけた。

 「オレさ、ADHDらしいんだよね」

志都馬が唐揚げを口に入れながら唐突に言った。

注意欠陥多動症。

「マジ?」

「マジ」

お片付けが出来なかったのも、それのせい?

「いつ分かったの?」

「大学を辞めて、こっちに帰ってきてちょっと経ってから、ネットで調べてみたら、自分に当てはまることばかりでさ」

「多動じゃないよね?」

「注意欠陥のほうだね」

「そうなんだ・・・。脳の問題だから、産んだ親にも責任があるよね」

「まあ、先天性らしいから」

「だから、忘れ物が多かったってことか。前日に翌日の用意をしても、絶対何かしら忘れ物してたよね」

「そだね。だから、普通の人と一緒に働くのは疲れるんだよね」

「そうか」

 里美はそれ以上何も言えなかった。

原因ははっきりしていないが、産んだ親の責任を感じずにはいられなかった。

不注意が多いだけで、他は何も問題ない、いや、能力的には平均以上だろう。

不注意はあるものの、好きなことをしているときの集中力は凄まじいものがある。

絵を描いてる時の彼は、他の事を一切忘れているかのようでもある。

「それじゃあさ、絵で食っていくってのはどうよ?」

「生活できるまでの収入にはならないね」

「一枚一万で売れるんでしょ?」

「単発のバイトみたいなもんだし、一枚描き上げるのにある程度の時間も必要だから、ファミレスのバイトをしなきゃ生活できないよ」

「絵で食べられるようにすればいいんじゃない?」

「無理だよ。そもそも大学に進むときに、絵の勉強がしたいって言ったら、親父に〝絵で食べて行ける人なんて、一握りの人しかいない。現実をよく見ろ“って言われて、美大を受けさせてもらえなかったんだよ」

「そんなこと言ったの?」

「だから、美術の先生を目指せばいいかと思って国立を受けたんだけど、落ちたんだ」

「そうだったの」

「それで、神社仏閣の勉強をしようと思って神仏学科のある大学に入ったんだけど、二年になったら神主の実習があってさ、別に神主になりたいわけじゃないし、単に歴史を学びたかっただけだから、辞めたんだ」

「せっかく入った学校なのに、あっけないわね」

「かしこみかしこみ~とかできないもん」

自分の息子が神主の恰好をしてる姿を想像して笑いそうになった。

笑っては傷つけるだろうと必死で堪えたが、希望の進路に進ませてあげられなかったことにも責任を感じずにはいられなかった。

「じゃ、今から専門学校に行くとかはどうよ?母、金出すよ」

「今から?」

「まだ20代前半でしょ、行く気になれば行けるよ」

「うーん・・・」

志都馬はしばらく無言でいたが

「考えておくよ」

と返事をした。

離婚しなければ、美大に行かせてあげられたかもしれない。

夫が反対しても、志都馬と一緒に説得できたかもしれない。

今からでも希望する道に進ませてあげるのが親としての務めなんじゃないかと里美は思った。

 それから1週間後、志都馬からメールが来た。

そこには「群馬に行く」とだけ書かれてあった。


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