5 見送る者
兄の訃報はそれから2週間後に訪れた。
直葬で密やかに行った。
友人も知人も誰もいない。
兄が亡くなってもこの世の中は何一つ変わらずに回っている。
忌引きを1日取って、里美は仕事に復帰した。
いつもと変わらない様子で滝沢が朝の挨拶をしてくれた。
「この度は・・・」そう言って滝沢は言葉を詰まらせた。
「ありがとう」
里美は何でもない風に言った。
「里美さん、霊視とか霊とか占いとか信じます?」
何の脈略もなく滝沢が言う。
「うーん。信じてるわけじゃないけど、信じてないわけじゃない。自分には見えないけど、見える人は見えるんでしょう?」
「すっごく当たる浄霊師さんがいるんです。行ってみませんか?」
え?
私に行ってみろと?
里美は面食らった。
「そうね。話しのネタにでもなりそうだし、いいかもね」
当たり障りのない返事をしたのだが、滝沢は
「予約を入れておきます」
と、はりきっているかのようだ。
「滝沢さんは信じてるの?」
「だって、すっごく当たるんです。当たると言うか、見えてるというか」
「ふーん」
今度もまた気のない返事をした。
「いつがいいですか?」
「休みの日ならいつでも」
シフトを見ながら滝沢が言う
「それじゃあ、8日の休みの日にしましょう」
断るのもどうかと迷っているうちに予約日が決められてしまった。
実際に信じているのかと言うと信じてはいないのだ。
相手から聞き出して、どっちともとれる言葉を言うのだろうと冷ややかな思いしかなかった。
8日は里美が一人で行くことになっているらしく、住所と名前を教えてもらった。
なんでも普通のOLさんが、人助けの為に在宅している時間にほぼボランティアでやっているという。
当日、里美はひそかに緊張していた。
察せられないように平静を装うのに少々苦労した。
里美が地図で向かった場所は、普通の2階建ての1軒屋だった。
自宅でやっていることに驚いたが、とりあえずチャイムを鳴らす。
玄関を開けて出てきた人は、髪の長い若い女性だった。
まだ30歳くらいだろうか。
こんな若いお嬢さんが?
里美は訝しんだ。
「吉田さんですね。どうぞ、お入りください」
女性は中へと案内をした。
小さなガラステーブルが部屋の中央に置いてあり、対面に椅子が2つ。
ガラステーブルの上には小さなカエルの置物とお香立てが置いてある。
壁には縁起のよさそうな意味の分からない絵がかけられており、棚にはインドネシア辺りで売られていそうな置物が飾ってあった。
パワーストーンも売っているようで、ピンク色の可愛いものから、金と黒の厳ついものまで数種類が並べられている。
こういうのを売りつけられるわけ?
里美は心の中で警戒音を鳴らした。
「初めまして。私は工藤真理です。今日はどんなことを見てもらいたいですか?」
お。
きたきた。
ここで何かを言ったら、上手いように言われるんだろう。
「私、悩みとか全くないんです。なので、何か見えるものがあったら」
「そうですか。それじゃあ、ちょっと見て行きますね」
工藤は里美の頭の後ろの方をじっと見て、何かに頷いている。
ちょっとワクワクしていたが
「女の人が見えます。えーと・・・45?46歳くらいの。それで、四角いものを持ってるんですが・・・ああ!写真たてですね。写真たての向きをこう直そうとしています」
里美にはその女性の心当たりがあった。
「その女の人、どんな服を着てます?」
「着物を着てます」
「それ、私の母です」
里美は信じられないという顔で飛びつくように言った。
「そうですか」
「多分、母と父が映っている写真を写真たてに飾ってあったんですけど、母は父が嫌いだったから、死んだ後にまで一緒の写真を飾られたら嫌だろうなと思って、本棚の隙間に入れてあるんです」
「お母さんは、写真を飾っておいてもらいたいんですかね」
工藤は微笑んで里美に言う。
そして、
「それじゃ、他のものも見て行きましょうか」
「お願いします」
「2階建ての家のベランダで、天体望遠鏡をのぞいてる男の子が見えます。部屋の間取りは、ここに机があって、窓がここにあって、ドアはここで・・・」
話しの途中で里美は言葉を遮った
「それ、私の息子です」
工藤の言った間取りは、離婚前に住んでいた家の息子の部屋そのものだった。
「離婚した後に、元夫が天体望遠鏡を買ってあげたって話してたことがあるので、中学の頃の子供だと思います」
「そうですか。下に降りてみましょうか。階段の左側のドアを開けると、畳が敷いてあってソファーが置いてある部屋が・・・散らかってますね。そこに髪の毛の長いボサボサ頭のジャージを履いた男の子がいます。さっきの子のお兄さんですか?」
工藤は淡々と語る。
「いえ。彼は一人っ子なので、お兄さんはいません。それに、大学に行ったはずだから、その家には今はいないはずです」
「畳もその部屋にはなくて、フローリングの部屋です。その隣の部屋には畳の部屋があるんですけど」
「いえ。ソファーがあって、畳が敷いてあって、服とかが散らかってます」
これはハズレだなと里美は思った。
息子は東京の大学に行っているはず。
はず・・・なのだ。
しかし、ここまで言い当てられると少々不安になった。
昔飼っていた白い猫とキジトラの猫がとっても感謝してるとか、約2時間以上も見てもらった。
最後の方で工藤は里美に言った。
「あなたは見送るのが宿命の人ですね」
見送るというのは、近しい親しい人を見送るということなのかと里美は聞き返した。
「そうです」
工藤は迷いなく里美にそう言った。
不思議な体験をしたが、里美自身には見えないので、ただただ不思議な気持ちだった。
しかし、頭の隅に「ボサボサ頭のジャージを履いた男の子」の姿が引っかかっていた。
大学を辞めてしまったのだろうか。
元夫が肺がんで入院したと聞いた時に、子供の携帯番号を聞いていたのだが、番号が変わってしまっていて繋がらない。
確かめる方法は固定電話にかけるしかないのだが、固定電話に電話をかけたら、元姑が出る。
それだけは天地がひっくり返っても嫌だ。
嫌だ。
でも、確かめなくては気が済まないところまで思い詰めていた里美は、工藤との面談から1週間後、意を決して固定電話に電話をかけた。
「おかけになった番号は現在使われておりません」
え?
使われてないってどういうこと?
意を決してかけた電話で更に混乱する里美。
しばらく考えあぐねて、トツするしかないだろうと心の中で決めた。
しかし、一人で行く勇気が出ない。
どうしたものかと数日迷って、秋坂に一緒に行ってもらうことを思いついた。
秋坂に打診をすると、2つ返事で付き合ってくれるという。
持つべきものは優秀な部下だと里美は思った。
約2時間をかけて辿り着いた元婚家。
1階の部屋は電気がついておらず、2階の元子供部屋だった部屋に明かりが点いていた。
軽自動車が一台庭先に停めてある。
嫌な予感がした。
これは、多分、息子が住んでる。
里美は恐々チャイムを鳴らす。
玄関のガラス越しに階段の電気が点いたのが見えた。
玄関の引き戸が開けられ、髪の毛のボサボサの息子が
「どちらさまですか」
と、対応した。
里美は言葉が出なかった。
何と言えばいいのか。
離婚して10以上経っている。
5歳だった息子は、今は21歳か。
離婚後も月に一度は会ってはいたが、彼が中2の時に「母親と一緒に出歩くのは恥ずかしい」と言われて以来会っていなかった。
元夫が亡くなったのも随分後になってから友達づてに知ったくらいで、私が誰だか分からなくて当然なのだが、何と名乗ればいいものやら。
「お母さん?」
息子が先に気付いた。
里美は言葉を失ったまま、彼を抱きしめた。
「ごめんね。ひとりにしてごめんね」
里美は息子に抱き着いたままひたすら泣いていた。
「く・・・苦しい・・・」
息子の言葉に我に返り、抱きしめていた腕を緩めると、
「ばあちゃんは?」
と涙でぐしゃぐしゃになった顔のままで息子に訊ねた。
「死んだよ」
「え?うそ?いつ?」
「俺が大学に入った年」
「あんた、大学は?」
「辞めた」
「そうなんだ・・・とりあえず、家に上がらせてもらってもいいかな?」
「ああ。散らかってるけど」
何年も会っていなかったにしては自然な感覚で家に上がらせてもらう。
リビングのドアを開けると、そこにはフローリングの一部分に6畳ほどの畳が置かれてあった。
「うそ」
言葉が漏れた。
工藤が言った言葉通りの部屋の状態だった。
里美は興奮しながら、ここへ来た経緯を息子に話した。
そして、秋坂という看護師が一緒に来てくれていることを話し、長居ができないからと携帯番号を聞き出した。
「今、何してるの?」
「ファミレスでバイト」
「へえ」
里美は驚いたような声を出した。
「あとは絵を描いてる。1枚1万くらいで依頼が来て売ってる」
「絵が上手かったもんね。そうか。絵を描いてるのか」
里美は安心した様子を見せる。
「あとでゆっくり電話するね。足りないものとか欲しいものがあったら言ってね」
口早にそう告げると、里美は元婚家を後にした。
車に乗った瞬間、里美は悲鳴のような雄たけびのような声を出した。
秋坂は聊か驚き、どうしたのかと訊ねた。
里美は今あった一部始終を運転をしながら秋坂に伝えた。
「不思議なこともあるもんですね」
そして、狐につままれたようだとも言った。
「今更だけど、息子の名前は、達成。今度、一緒にご飯でも食べない?」
「え?私とですか?どうしてですか?」
湯気が出そうなくらいポッポしている里美とは反対に水を打ったかのように静かに秋坂が言う。
「それもそうね。あはは・・・」
「親子水入らずでご飯すればいいじゃないですか」
「そりゃそうだけど・・・」
今日は何を言われても、雲の上を歩いているかのようにフワフワとしている里美は、ちょっと冷たい秋坂の言葉もスルーした。
そして、まだ涙が乾ききっていない目をこすり、アクセルを踏んだ。




