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4 感情と思考

 延命は希望しない。

そう決めていた。

しかし、目の前の兄を見ていると、その決意が揺れる。

多くの人は、こういう時に迷うのだろう。

でも、延命の先にあるのは、ただ生かすだけの「延命」しかない。

生命にかかわる状態になっとき、迷わない人はいるのだろうか。

 ああ、一人、いたな。

里美の恩師だ。

嫁姑問題や離婚騒動で不安定になっていたときに出会った師匠。

師匠にはカウンセリングをしてもらった。

出会った当時、師匠は還暦だった。

何を言っても否定や批判をされる家庭の中に身を置いていた里美は、初めて、ただただ話しを聞いて、共感をしてくれる人物に出会った。

 里美は「いのちの電話」に電話をしたのだった。

そこで相談をすることなく、こう訊いた。

「カウンセリングをしてくれる人がどこにいるのか知りたい」と。

電話口の相談員は、師匠の名前と連絡先を教えてくれた。

師匠は、いのちの電話の会長だった。

 師匠の名前は前野という。

師匠は数年前に喉頭がんを患った。

声帯を切除すれば生きられると言われたが、声が商売の仕事だからといって手術を拒んだ。

「人は必ず死ぬんですよ。それが今か何年後かは誰にも分からないけどね」

さらっと言ってのけた。

自分の命が掛かっているのに、何の迷いもなく、最後までカウンセラーとして人生を全うした。

 里美の悲しみようは凄まじかった。

前野に直談判をして、手術を受けるように説得しようとしたが、話しのプロ、人生の大先輩の前にはけんもほろろだった。

両親を突然死で失くしているだけあって、余命が分かっている病気の恩人に何もできないという現実が悲しみを倍増させた。

 自分にできることなんて、何もない。

そうこぼした里美に

「何かができるなんて思うことが、傲慢なんですよ」

前野は柔和な微笑みとともに里美に諭した。

「寿命というものがあるんです」

前野の言葉を思い出す。

 里美は涙を拭って、椅子から立ち上がると、平木に向き直って深々と頭を下げた。

「兄をよろしくお願いします」

平木と共に部屋を出て廊下を歩く。

「苦しまないようにしてくださるだけで十分です」

里美は再度平木に言った。

「平木さんは、このお仕事は長いんですか?」

「ここは3年目です。それまでは総合病院でソーシャルワーカーをしてました」

 まだ30歳くらいであろう平木は、大学を卒業してから相談業務を何年も続けているのだろう。

家族への言葉としても温和でやさしさのある言葉が端端に聞かれる。

「仕事が辛い時って、ないんですか?」

里美は不躾な質問をしてみた。

同じような仕事をしている里美自身が仕事が辛いと思う時が過去に何度もあったからだ。

「そうですね。正直に申しますと、辛いこともありますよ。でも、私にはこの仕事しかないって思えるんです」

「そうなんですね」

 里美は次の言葉が見つからなかった。

兄の病状と平木のひたむきさに眼が眩んでしまったかのように。

そう、眼が眩んだのだ。

 駐車場に止めてある自分の車に乗り込んだ里美は、声をあげて泣いた。

何に対しての涙なのか、何が悲しいのかさえ分からなくなっていた。

でも、ただ泣きたかった。

涙が流れるまま、この訳の分からない感情を受け止めようとしていた。

「涙は名前の付けられない感情の現れなんですよ」

里美は泣きながら、また前野の言葉を思い出していた。

 死を受け入れるとはどういうことなのか。

そもそも死は悪いことなのだろうか。

里美の母親は死によって、苦しい日々から解放されたのではないか。

残された里美は悲しかったが、母親の立場で考えたら、死は救いだったのかもしれない。

ならば、兄はどうか?

兄もやっと寝たきりの生活から解放されるのではないか。

兄は生も死も望んではいないのではないか。

死生観を持っていないのではないか。

 感情がコントロールできないとき、里美は思考する。

何とか理詰めで状況を把握しようとするのかもしれない。

 そして、結論付けた。

自分以外の親しい人の死は、自分の世界観でネガティブにもポジティブにもなるのだと。

どんな別れも、あくまでも自分を軸にしての現象であって、その事実自体は何の意味も持たないのだと。



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