第5章 1 判決
小林明美の逮捕劇から約3年半後の2005年3月9日 小林明美に第一審の判決が下った。
罪名は、殺人及び詐欺未遂。
最終審理で弁護人は「事件の首謀者は篠原被告であり、小林明美被告は指示に従ったに過ぎない」と最終弁論を締めくくった。
2回目の公判以降、小林は犯行を一部認めたに過ぎなかった。
既に判決が下っている篠原は、無期懲役となり、即日控訴をしたものの、翌日本人から取り下げの意思表示がなされた。
数カ月前に共犯の篠原に無期懲役が言い渡されたと弁護士からの情報で知り、このまま主犯にされてしまうと無期懲役以下はあり得ないと判断した小林は、一貫して主犯説を否認した。
最終陳述で「保険金の話しを持ち出したのは篠原さんで、私は乗り気ではなかったが、どうしてもまとまった金が必要だと言われ、手を貸すことにしただけ」と述べた。
しかし、判決を言い渡す際に、裁判官は「小林明美被告は事件の首謀者。殺害を立案、統括した首謀者。余罪も複数あり、物欲を満たすための計画的、冷酷な犯行で、酌量の余地はない」と述べた。
小林は翌年控訴したが、被告側の控訴は棄却された。
更にその翌年に上告をしたものの棄却。
無期懲役が確定した。
里美は審判が下ったことを知ったのは、通り沿いの桜が満開になっていた2009年4月上旬の事だった。
新聞を取っていない里美は、ネットで審判を知ることになった。
そういえば、小林明美はどうなったかなと仕事に忙殺される最中に思い立ち、検索してみたところ簡単にヒットした。
里美は秋坂の姿を探した。
フロアで利用者と一緒に洗濯物をたたんでいる秋坂を見つけ、声を掛けた。
「秋坂さん、ちょっといい?」
秋坂は利用者に一言断ると席を立ち、里美の側にやってきた。
「どうしました?」
秋坂は普段通りに言葉を返した。
「判決が出てた」
里美はボソっと言った。
「え?判決って?」
いきなりな言葉に秋坂の声が裏返った。
「マニラ保険金殺人事件の」
「え?何です?それ」
秋坂は里美を見つめて言葉を返した。
里美は冷静だと思っていたが、どうやら動転しているらしい。
言葉の脈略がおかしいことに秋坂の反応でやっと理解した。
「うちの母親から800万を騙し取った奴の判決が出てたの」
ああ・・・と秋坂は納得した。
それでこんな風に慌てているのかと納得がいった。
「それで、判決は何だったんですか?」
「無期懲役」
「死刑じゃなかったんですね」
「そうみたい」
立ち話をしている二人だったが、生方という利用者が秋坂を呼んだので、話は中途半端に終わることになった。
「また後でゆっくり聞いてくれる?」
里美は秋坂の背中に声を掛けた。
利根の里は、立ち上げから11年が経過していた。
備品や電化製品も故障し出していたが、里美と秋坂も10年の時が経過して、皺の数も増え貫禄も出ているようだった。
里美は40歳、秋坂は51歳になっていた。
この10年、ほんとに色んなことがあった。
それも秋坂と一緒に超えてきた。
開設当時は少なかった利用者も、今では地域に根差し、空き待ちの利用者までいる。
11年続けられたのは、秋坂を始めとするスタッフのおかげ。
3年前に入職した遠山という32歳の男性職員が、今は管理者として動いてくれている。
毎日が予想もしない出来事の連続でも、秋坂と遠山に支えられてここまでこれた。
今、自分は幸せなのだと実感しているからだろうか、極刑ではなく無期懲役になったことにわずかばかりの無念さを感じる反面、小林に対する怒りは持っていなかった。
ただ、極刑だろうが無期懲役だろうが、死んだ人は帰ってこないという事実に向き合わざるを得なかった。
死んでしまった人をいつまでも思い続けても、そこには何も生まれないことを知った。
ありきたりの言葉で、その人の分まで精いっぱい生きると自分に言い聞かせるしかないのだ。
たまたま知り合いになったことが不運だったと思い出にするしかない。
私利私欲のために殺人まで犯す人間がこの世にはいるんだという現実を受け入れるしかないのだ。
犯罪被害者遺族の立場からすれば、どうして私なんだろう。何も悪いことなんてしていないのに、「どうして」と、理由を探さずにはいられないのだ。
しかし、理由なんてものは初めから存在しない。
意味も理由も何もない。
ただ事実があるだけなのだ。
人の記憶は書き換えられる。
里美はそう理解している。
喧嘩をした日の夜に母親が他界した事実は変わらないが、その事実にどんな意味を持たせるかで違ってくる。
長い間、後悔しかなかった里美だが、ある時、「最後に言葉を交わしたのが私で、ボロボロになっていても娘を心配してくれたんだ」と思ったことで心が軽くなった。
そして今、こんなに幸福を感じられるのは、私の過去があったから。
全ての過去は、今の幸せにつながっているのだ。




