第3章 1 生きてきたようにしか死ねない
里美の施設、利根の里の一室。
淡いピンク色のカーテンに白のレースのカーテン。
南向きの窓からは、朝の光が差し込んでいる。
利根の里は、看護小規模多機能型居宅介護という介護保険サービスを提供する事業所だ。
24時間365日稼働している。
看取りで利用を開始するケースが多く、この1年だけでも二桁の看取りを行わせてもらっている。
今、介護用ベッドに横たわっているのは、92歳になる老女だ。
里美はベッドの傍らに置かれた椅子に座り、老女の左手を握りしめていた。
「おりょうさん」
やんわりとした微笑みを作って、里美は老女に話しかける。
里美の横には、60を過ぎた女性が座っている。
おりょうさんの長男の妻だ。
「夫は、午後にならないと戻ってこれなくて、朝早くから本当にすみません」
「気になさらないでください。おりょうさんのお看取りに立ち会わせていただいて、こちらこそ恐縮です」
里美は首を横に振りながら言う。
おりょうさんは、ここが出来た時から利用をしている人だ。
前頭側頭型認知症と診断されて、ここに来た時にはまだ自由に歩き回れていたが、利用開始後3ヶ月くらいの時に居室で転んで、大腿骨頚部骨折をして入院をしたことがある。
手術を受けたが、意思疎通が困難ということでリハビリはせずに5日で退院させられた。
戻ってきてからも自分が歩けないことを覚えておらず、何度もベッドから転落していた。
長年自宅で姑を介護してきた嫁は、おりょうさんの性分を理解してくれていて、こんな状態なのに預かってもらえて助かっていますと言ってくれていた。
おりょうさんとの思い出は本当に濃厚に沢山あって、里美の一番の推しであった。
利用者に特定の感情を持つことは、プロとして失格であるが、どうにもこうにも、里美は、このおりょうさんに魅せられてしまっていたのだ。
腰の曲がった田舎の農家のおばあちゃん。
おりょうさんを表すのにこの言葉で足りる。
昭和一桁生まれ。生家は農家。本家の長女として生まれ、目の前に建つ分家に嫁に行った。
おりょうさんの小さな世界で完結する、おりょうさんの社会。
嫁には厳しかったらしく、この年代の女性にしては珍しく、自分の意見を通す人だったという。
おりょうさんがまだ歩けたころ、トイレに入っていく姿を見つけて、里美は少し時間をおいてトイレのドアを開けた。
そこには、水洗トイレの便器に排泄してあるものを手でこねながら、「おらぁ、うんこなんかしたこたねぇ」と言うおりょうさんがいた。
「いやいやいや。おりょうさん、その手でこねてるもんは、うんこではないのか?」と大笑いをしたあと、里美はとりあえずその両手がどこにも触れないように手首を持って、洗面所へと連れて行った。
弄便をする認知症高齢者はそこそこいるが、おりょうさんの言葉に笑わずにはいられなかたのだ。
おりょうさんの家は農家だ。
昭和の時代、農家のトイレは外にあった。
仮設トイレみたいに、ぽつんと庭の片隅にあり、電気もないポッタン便所。
夜には真っ暗な中で用を足すしかないしろもろだ。
だから、おりょうさんには、水洗トイレの概念が無い。
おりょうさんの今の家は水洗トイレだが、記憶を失っているおりょうさんは、今、22歳なのだ。
水洗トイレの便器の中に、自分の排せつ物が鎮座するなんて光景は、おりょうさんにはあってはならない光景なのだ。
なんて可愛い・・・自分よりも年上の人間を可愛いだなんて言うのは失礼なのだが、本当に可愛く見えてしまったのだから仕方ない。
おりょうさんは、毎日各居室のドアを開けては閉め、次の部屋のドアを開けては閉め・・・を繰り返していた。
勿論、他の利用者からは非難轟々だった。
おりょうさんは食欲旺盛で、小さい体のどこにそんなに入るのかというほど食欲があった。
その食欲が無くなったのは、先週のこと。
いつもより食べるペースが遅いなと思っていたら、食事を残すようになっていった。
今週に入ってからは、水分以外は口を開けなかった。
残された時間が少ないことを里美は悟った。
家族に連絡をして、看取りできてもらう手はずを整えた。
そして、今、おりょうさんの人生が終わろうとしている。
老衰。
人間の亡くなり方で、一番美しい死に方だと里美は思っている。
無駄な延命治療をせず、人間が持つ本来の仕組みによって幕を下ろす。
安らかに眠るように最期の時を迎える。
嫁がおりょうさんに声をかける
「お義母さん」
おりょうさんがうっすらと目を開ける。
見えているのか、嫁と理解しているのかは計り知れないが、確かに嫁を見たように思えた。
それからほんの少しの間目を開けていたが、静かに瞼が下りる。
里美は脈を取る。
「お義母さん!」
嫁の声を背中で聞いて、そっとドアを閉める
そして、かかりつけ医の田島先生に電話をかける。
「先生にお世話になっている白石りょうさん、呼吸が止まりました」
里美は電話を切って、大きく深呼吸をすると、涙が目じりを伝った。
田島医師は、昨日の夕方に一度来てくれている。
クリニックの外来が終わってすぐに駆けつけてくれた。
その時に、今夜か明日でしょうと田島医師は里美に告げていた。
利用者が亡くなって、医師に連絡をするときは、決して死亡したとは言わない。
死亡確認は、医師が行うものであって、一介のケアマネがおこがましくも言えることではない。
病名や特定の薬をお願いすることもしない。
医師が決めることだから。
これを見誤ると、機嫌を損ねかねない。
田島医師は、そういうところは頓着しない今どきの医師なので、里美は田島医師のことを快く思っている。
昭和の時代を生きた年配の、特に肩書が色々とある医師の場合は要注意だ。
だから里美は、見たままありのままの言葉で報告する。
30分もせずに田島先生は利根の里に訪れた。
今日が日曜日で良かった。
平日であれば、外来の患者さんの診療が終わってからの到着になる。
田島医師は、まだ30代後半であろうか。
ソフトウェーブの掛かった髪に、スクラブを着ている。
田島医師の白衣姿は未だに見たことが無かった。
おりょうさんのベッドサイドに立った田島は、脈を取り、瞳孔を確認し、腕時計を見た。
8月4日午前9時38分。
死亡診断書を書き上げ、嫁に手渡し、颯爽と帰っていった。
まだこの後も往診があるのだという。
里美は日勤で出勤してきた職員に訃報を知らせ、死後の処置を嫁と一緒に行う。
秋坂がてきぱきと準備を整えてくれたおかげで、滞りなくおりょうさんの旅立ちの支度ができた。
そして、職員それぞれにお別れをしてもらった。
霊柩車は思いの外早く到着した。
ストレッチャーに移され、車に乗せられる。
最後のお別れである。
どうか安らかにと深々と頭を下げて、里美たちは車を見送った。
車が敷地から通りに出たところで、里美たちは頭を上げる。
「お疲れ様。ありがとね」
という里美の言葉に
「さて、仕事に戻りますか」
もう一人の看護師の滝沢が気分を切り替えるかのように言った。
人は、生きてきたようにしか死ねない。
誰かを看取る度に里美はこの言葉を噛みしめるのだった。
嫁には厳しかったと言うが、最後に嫁に看取ってもらえたおりょうさんは、きっと幸せな人生を送ってきたのだろうと里美は思うのだった。




