表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

新自由主義とトリクルダウン理論批判 ベーコン的帰納法から見た現代経済学の課題

 現代経済学の根本的課題は、経験観察の軽視ではなく、精緻な理論モデルと複雑な現実との間の統合の困難さにある。この問題をフランシスベーコンの帰納法の視点から検討し、富の集中という具体的現象を通じて解決策を探る。

 フランシスベーコンという人は、科学的手法を帰納的推論を用いて体系化した人だ。ベーコンは、真の知識は抽象的な演繹や憶測からではなく、観察と実験から得られると主張した。彼は、現実世界の現象を注意深く、体系的に観察する体系的な観察を行い、これらの観察から、大量の経験的データを収集するデータ収集を行い、特定の観察から、より広範な一般化や理論を導き出す帰納的推論を行い、さらなる観察に対してこれらの理論を検証し、その妥当性を確認する検証を行い理論の正しさを確かめることを主張した。この考えは現代の自然科学に広く取り入れられている。

 しかし、現代の科学哲学では純粋な帰納法にも限界があることが指摘されている。デイヴィッド・ヒュームが提起した帰納の問題—有限の観察から無限の一般化を導く論理的困難—や、カール・ポパーの反証主義ー科学の発展は仮説の反証を通じて行われるーといった議論は、単純な「観察からの一般化」モデルの問題を明らかにしている。現代科学では、仮説演繹法や最良の説明への推論など、帰納と演繹を組み合わせた多様な方法が用いられている。

 現代経済学が一枚岩的に理論偏重であるわけではない。1970年代以降、計量経済学の発展により実証分析が経済学の中核となり、データ主導の研究が主流となっている。また、ヴァーノン・スミスらによる実験経済学の確立、エスター・デュフロらのランダム化比較試験の導入、行動経済学による現実的な人間行動の モデル化など、経験的観察を重視する分野も大きく発展している。問題は経験観察の軽視ではなく、むしろ理論構築と実証分析の統合の困難さにあると言える。

 現代経済学は、経済現象を記述するためにしばしば数学モデルを使用する。これらのモデルは、論理的な演繹と予測を可能にする精密さを提供する。しかし、それらは人間の行動(例:完全な合理性)や市場の状況(例:完全な情報、取引コストなし)についての単純化された仮定に依拠している。これらの仮定が現実世界で成り立たない場合、モデルは現実の複雑性から乖離して、その結果モデルの結論は欠陥を抱え、不正確な分析につながる。

 ベーコンの方法が観察から始まるのに対し、現代経済学はしばしば一連の演繹的な公理(例:「合理的な経済主体は効用を最大化する」)から始まる。そして、現実世界のデータから帰納的に理論を導き出すのではなく、これらの公理の上に複雑な数学的構造を構築する。これは、論理的には正しいが、経験的には無関係なモデルにつながる可能性がある。つまり現代経済学は帰納ではなく演繹に依存しているのだ。

 また、経済モデルはしばしばceteris paribus(他の事情は一定)という仮定に依拠するが、これは雑然として相互につながった現実世界ではめったに真実ではない。この単純化は数学的分析には不可欠だが、モデルの予測を脆弱にし、動的な環境での政策立案にはしばしば役に立たないものとする。つまり現代経済学の、他の事情は一定という仮定に問題があるのだ。

 さらに、自然科学とは異なり、経済学は大規模な統制実験を簡単に行うことができない。このため、モデルや仮説を厳密に検証することが難しく、経験的テストよりも抽象的な理論化に頼らざるを得なくなる。つまり現代経済学には実験的統制の欠如がみられるのだ。この限界は、自然実験(例:政策導入・廃止)や差分の差分、回帰不連続設計、パネル回帰による因果推定で部分的に克服できる。この文章ではこうした手法の活用を政策評価の標準とすることを提案する。

 要するに、現代経済学が採用する数学モデルは思考のための強力なツールであり、複雑な経済現象の理解に不可欠な役割を果たしている。問題は数学モデル自体ではなく、モデルの前提と現実との乖離を適切に認識し、実証的検証と理論的洗練を両立させることの困難さにある。ベーコンが重視した経験観察の精神を現代に活かすには、理論を放棄するのではなく、理論と実証の建設的な対話を促進することが重要である。

 例えばトリクルダウン理論は現代経済学において成り立つと主張している人がいる。事実、トリクルダウン理論は数学モデル上は整合的である。経済協力開発機構(2015)は、成長の波及効果が自動的に低所得層へ達するとの主張を支持する十分な証拠を示していない。また近年のユニバーサルベーシックインカム試験(フィンランド、Stockton等)やアラスカ永久基金は、分配が社会的アウトカムに与える効果を実証的に示す興味深いケーススタディである。資本収益の複利効果により、富の分布は自然状態では不平等化する傾向を持つといえる。この文章で主張する富の集中は、資産保有の上位層への偏在(wealth concentration)を指し、ピケティ(2014)の言う r>g(資本収益率 r が経済成長率 g を上回る状態)が長期的集中を促すメカニズムとして位置づけられる。投資の複利効果により、富は持つ者のもとに集中しやすい構造を持つ。この力はミクロ経済では小さいが、マクロ経済においては支配的である。ピケティ(2014) が示すように、資本収益率 (r) が経済成長率 (g) を上回るとき、富の集中は必然的に進行する。したがって、再分配政策は資本主義を維持するための補完的装置であると考えられる。

 私は資本主義は現状において事実上代案が存在しない社会制度だとは思っているが、資本主義だけを採用すると資本収益の複利効果を抑える方法がなくなるので、資本主義は富の再分配政策と同時に実施されるべきであると思っている。こうすることで経済をうまく回すことができるだろう。具体的には、資本所得への累進課税、教育機会の平等化、技術革新による生産性向上の果実の公平な分配、という3つの柱から成る包括的な政策パッケージが必要である。これは資本主義の修正ではなく、持続可能な発展のための最適化と位置づけられる。

 経済協力開発機構(2015)は、所得格差が教育機会を阻害し、中長期的成長を鈍化させることを示している。これは再分配政策が単なる平等追求ではなく、成長戦略の一環としても必要であることを意味する。つまり私の主張する政策的含意の要点は、累進課税、資本課税、ユニバーサルベーシックインカム等の分配政策の検討と、自然実験やパネルデータを利用した実証評価の強化と、データ主導のモデル形成における経験則の導入である。ただし、再分配政策には以下の課題も指摘される。高い限界税率は労働供給を減少させる可能性があり、資本課税は国際的な資本移動により回避される危険性がある。これらの問題に対しては、労働供給への影響を最小化する制度設計などの対策が必要である。

 これらの政策提言に対して、新自由主義的な立場からは批判が予想される。新自由主義者は経済活動の自由を謳うが、経済活動の自由を正当化するためには経済活動の自由こそが富の最大化をもたらすという功利主義的な主張をするのか、あるいは個人の自由から経済活動の自由を導出する自由主義的な主張をしなければならない。しかし新自由主義者が後者の戦略をとる場合、その人は個人の自由を擁護しなければならない。例えば後者の戦略をとった人は表現の自由を経済活動の自由と同じように強固に主張しなければならないし、また監視社会を肯定することもできなくなる。そうなるとその人は事実上リバタリアン右派と同じ主張をすることになるし、そういった主張をする人は富の最大化を目指しているわけではないのでその人が新自由主義を名乗るのは不適切かもしれない。また前者の主張をする新自由主義者は貧富の格差を是正しなければ貧富の格差が広がることを認め、かつ貧富の格差の拡大が富の最大化にどのような悪影響をもたらすのかについて慎重に考察する必要がある。

 現代経済学が演繹的モデルに依存することは、経験的観察との乖離を生む危険性をはらんでいる。富の集中という現象は、観察可能であり、理論的にも実証的にも確認されている。それを無視する理論は、社会科学として不完全である。ベーコン的帰納法に立ち返り、現実から理論を導き出す姿勢を取り戻すことが、経済学の有効性を高め、資本主義の持続可能性を確保するために不可欠である。富の集中および資本収益の累積効果は重力のように不可避の現象であり、それを無視する理論は現実に背を向けることになる。だからこそ、収益率格差による累積的優位性に逆らうために工学的な装置が必要であるように、資本主義を維持するには再分配という制度的な装置が不可欠である。資本主義は重力のような自然法則に従うシステムであり、制度設計はその力を制御するためのエンジニアリングにほかならない。今後の課題として、各国の制度的特徴を活かした政策設計の比較研究、再分配政策の動学的効果の実証分析、資本逃避対策の具体化、が挙げられる。ベーコンが重視した経験観察と現代の実証手法を組み合わせることで、理論と現実の架橋がより効果的になるだろう。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ