表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

新自由主義とトリクルダウン理論批判 ― ベーコン的帰納法に基づく現代経済学の方法論的再考 ―

 現代経済学の根本的課題は、経験観察の欠如ではなく、精緻な理論モデルと複雑な現実との整合的統合の困難さにある。この問題をフランシスベーコンの帰納法の視点から検討し、富の集中という具体的現象を通じて解決策を探る。この文章の目的は、ベーコン的経験主義の観点から現代経済学の理論的傾向を再検討し、富の集中がもたらす構造的な経済不安定性を実証的に位置づけることで、理論と現実を架橋する新たな方法論的視座を提示することにある。

 現代経済学は、理論的厳密性の向上とともに、現実経済との乖離を深めている。特に「富の集中」という経験的現象は、主流派理論の体系内で十分に説明されておらず、理論と現実との不整合を示す代表的事例である。この文章は、この乖離を方法論的観点から再検討し、ベーコン的帰納法の再評価を通じて、経済学を「演繹的抽象科学」から「経験的現実科学」へと再定位することを目的とする。

 この文章の構成は以下の通りである。第一に、ベーコン的帰納法の原理とその科学哲学的限界を概観する。第二に、現代経済学における理論構築の特徴と、実証研究の発展を確認する。第三に、富の集中という具体的現象を取り上げ、それが実証的に確認されているにもかかわらず、主流派理論モデルに十分に統合されていない状況を示す。第四に、この「実証的知見と理論的枠組みの乖離」をベーコン的経験主義の観点から診断し、方法論的含意を抽出する。最後に、この分析から導かれる政策的示唆を提示する。

 フランシス・ベーコンは、科学的方法を帰納的推論に基づき体系化した近代経験主義の祖と位置づけられる。ベーコンは、真の知識は抽象的な演繹や憶測からではなく、観察と実験から得られると主張した。彼は、現実世界の現象を注意深く体系的に観察し、大量の経験的データを収集し、そこから一般法則を帰納的に導き出すべきだと主張した。この考えは現代の自然科学に広く取り入れられている。

 しかし、現代の科学哲学では純粋な帰納法にも限界があることが指摘されている。デイヴィッド・ヒュームが提起した帰納の問題—有限の観察から無限の一般化を導く論理的困難—や、カール・ポパーの反証主義ー科学の発展は仮説の反証を通じて行われるーといった議論は、単純な「観察からの一般化」モデルの問題を明らかにしている。一方、ラカトシュは理論群を「進歩的」または「退行的」と評価し、経験的修正を通じて理論体系が進化する動態的構造を提示した。したがって、科学理論は閉じた演繹系ではなく、経験的検証を通じて自己修正する開放系として理解されるべきである。現代科学では、仮説演繹法や最良の説明への推論など、帰納と演繹を組み合わせた多様な方法が用いられている。

 現代経済学が一枚岩的に理論偏重であるわけではない。1970年代以降、計量経済学の発展により実証分析が経済学の中核となり、データ主導の研究が主流となっている。また、ヴァーノン・スミスらによる実験経済学の確立、エスター・デュフロらのランダム化比較試験の導入、行動経済学による現実的な人間行動のモデル化など、経験的観察を重視する分野も大きく発展している。問題は経験観察の軽視ではなく、むしろ理論構築と実証分析の統合の困難さにあると言える。

 現代経済学は、経済現象を記述するためにしばしば数学モデルを使用する。これらのモデルは、論理的な演繹と予測を可能にする精密さを提供する。しかし、それらは人間の行動(例:完全な合理性)や市場の状況(例:完全な情報、取引コストなし)についての単純化された仮定に依拠している。これらの仮定が現実世界で成り立たない場合、モデルは現実の複雑性から乖離して、その結果モデルの結論は欠陥を抱え、不正確な分析につながる。

 ミルトン・フリードマン(1953)は、経済理論の仮定は現実的でなくとも、予測が正しければ理論は有効であると主張した。これはいわゆる「as if」仮定である。しかし、この立場は理論の現実的妥当性を軽視し、現実との乖離を正当化する論理的免罪符として機能する危険を孕む。実際、合理的期待形成仮説やDSGEモデルの多くは、この「as if」仮定を暗黙の前提としており、理論的整合性の維持を優先するあまり、経験的異例事象を排除してしまう傾向がある。

 ベーコンの方法が観察から始まるのに対し、現代経済学はしばしば一連の演繹的な公理(例:「合理的な経済主体は効用を最大化する」)から始まる。そして、現実世界のデータから帰納的に理論を導き出すのではなく、これらの公理の上に複雑な数学的構造を構築する。これは、論理的には正しいが、経験的には無関係なモデルにつながる可能性がある。つまり現代経済学は帰納ではなく演繹に依存しているのだ。

 また、経済モデルはしばしばceteris paribus(他の事情は一定)という仮定に依拠するが、これは雑然として相互につながった現実世界ではめったに真実ではない。この単純化は数学的分析には不可欠だが、モデルの予測を脆弱にし、動的な環境での政策立案にはしばしば役に立たないものとする。つまり現代経済学の、他の事情は一定という仮定に問題があるのだ。

 さらに、自然科学とは異なり、経済学は大規模な統制実験を簡単に行うことができない。このため、モデルや仮説を厳密に検証することが難しく、経験的テストよりも抽象的な理論化に頼らざるを得なくなる。つまり現代経済学には実験的統制の欠如がみられるのだ。この限界は、自然実験(例:政策導入・廃止)や差分の差分、回帰不連続設計、パネル回帰による因果推定で部分的に克服できる。こうした手法の活用を政策評価の標準とすることが望ましいと考えられる。

 ここで重要なのは、実証研究の量的拡大と、理論的枠組みの質的転換は別の問題だという点である。確かに計量経済学の発展により、膨大な実証研究が蓄積されている。しかし、それらの知見が主流派の理論的枠組み—とりわけ一般均衡理論や動学的確率的一般均衡(DSGE)モデル—に十分に統合されているかは別問題である。なおDSGEモデルとは、Dynamic Stochastic General Equilibrium(動学的確率的一般均衡)モデルのことである。このモデルは中央銀行や国際機関が政策分析に広く使用する。

 例えば、労働経済学における最低賃金の雇用効果に関する実証研究(Card and Krueger(1994))は、標準的な部分均衡モデルの予測と異なる結果を示したが、これはマクロ経済モデルの基本的枠組みを変更するには至っていない。同様に、行動経済学は個人の意思決定における系統的バイアスを実証したが、主流派マクロモデルは依然として代表的個人の完全合理性を前提としている。

 言い換えれば、問題は「観察の欠如」ではなく、「観察された事実が理論の基本的前提を修正するに至っていない」という、ベーコンが重視した「経験から理論へのフィードバック」の不全にある。

 すなわち、現代経済学が採用する数学モデルは思考のための強力なツールであり、複雑な経済現象の理解に不可欠な役割を果たしている。問題は数学モデル自体ではなく、モデルの前提と現実との乖離を適切に認識し、実証的検証と理論的洗練を両立させることの困難さにある。ベーコンが重視した経験観察の精神を現代に活かすには、理論を放棄するのではなく、理論と実証の建設的な対話を促進することが重要である。

 以下では、「富の集中」という具体的現象を通じて、上述の方法論的問題を例証する。この現象は、実証的に確認されていて、理論的メカニズムが解明されているにもかかわらず主流派理論の中核に統合されていない、という三つの特徴を持つため、ベーコン的視点からの検討に適している。

 まず実証的側面を確認しよう。例えば、OECD諸国のパネルデータ分析では、ジニ係数の上昇が中期的GDP成長率の鈍化と統計的に有意に関連していることが報告されている(OECD, 2015)。これは、所得格差が単に社会的問題ではなく、経済パフォーマンスの制約要因であることを示唆している。Saez and Zucman (2016) は、米国における上位1%の富裕層の資産シェアが1970年代の22%から2012年には39%に上昇したことを示している。同様の傾向は、Alvaredo et al. (2018) の World Inequality Database により、先進国の多くで確認されている。日本においても、森口(2017)により、上位1%の所得シェアの上昇傾向が報告されている。

 理論的には、ピケティ(2014)が示した r>g のメカニズム—資本収益率が経済成長率を上回ることによる累積的格差拡大—が広く受け入れられている。さらに、Jones (2015) は、イノベーションの収益が知的財産権により特定個人に集中するメカニズムを、内生的成長理論の枠組みで定式化している。

 しかし、主流派マクロ経済学の中核を成すDSGEモデルは、代表的個人の仮定に基づいているため、富の分配を本質的に扱うことができない。所得分配を考慮したヘテロジニアス・エージェント・モデル(例:Kaplan et al. 2018)も開発されているが、中央銀行や政策機関で使用される標準的モデルにはなっていない。

 この状況は、実証的に確認され理論的にも説明された現象が、政策立案の基盤となる理論的枠組みに統合されていないという意味で、ベーコンが批判した「観察と理論の乖離」の現代的表れと言える。

 例えばトリクルダウン理論は現代経済学において成り立つと主張している人がいる。事実、トリクルダウン理論は数学モデル上は整合的である。しかし経済協力開発機構(2015)は、成長の波及効果が自動的に低所得層へ達するとの主張を支持する十分な証拠を示していない。また近年フィンランドやストックトンなどで実施されているユニバーサルベーシックインカム試験やアラスカ永久基金は、分配が社会的アウトカムに与える効果を実証的に示す興味深いケーススタディである。資本収益の複利効果により、富の分布は自然状態では不平等化する傾向を持つといえる。この文章で主張する富の集中は、資産保有の上位層への偏在(wealth concentration)を指し、ピケティ(2014)の言う r>g(資本収益率 r が経済成長率 g を上回る状態)が長期的集中を促すメカニズムとして位置づけられる。投資の複利効果により、富は持つ者のもとに集中しやすい構造を持つ。この力はミクロ経済では小さいが、マクロ経済においては支配的である。ピケティ(2014) が示すように、資本収益率 (r) が経済成長率 (g) を上回るとき、富の集中は必然的に進行する。

 さらに、貧富の格差の拡大は、倫理的・社会的問題にとどまらず、経済システムの動学的安定性そのものに対して深刻な影響を及ぼす。富裕層への所得集中は、限界消費性向の低下を通じて有効需要を縮小させる。ケインズ(1936)の『雇用・利子および貨幣の一般理論』において指摘されているように、所得分配の偏在は総需要の減退をもたらし、企業の収益性および雇用水準の低下を招く。他方で、過剰に蓄積された資本は実体経済における生産的投資機会を上回り、金融市場における投機的活動を増幅させる。ミンスキー(1986)が提示した「金融不安定仮説」によれば、信用膨張と投機的投資の拡大は資産価格の持続的上昇をもたらすが、それは実体的生産活動の成長に裏付けられない脆弱な均衡に依拠しており、最終的にはバブル崩壊を通じて金融危機を誘発する。このようにして、富裕層による投資の過熱と貧困層による需要の停滞が同時に進行する結果、実体経済の基礎を欠いた金融商品の値上がり、すなわち金融バブルが形成される。

 この現象は、資産価格の上昇が一時的に富の拡大を演出する一方で、実体経済の停滞を深刻化させるという二重の効果を持つ。そのため、所得および資産の不平等は、単なる社会的公正の問題を超えて、経済全体の持続的均衡と実体的成長を阻害する構造的要因として位置づけられるべきである。すなわち、所得分配の歪みは、資本主義経済に内在する周期的不安定性を制度的に補正する必要性を示唆している。この点において、富の集中は単なる分配問題ではなく、経済体系の動学的不安定性を内生的に生成する構造的メカニズムであると位置づけられる。

 このように、富の集中がもたらすマクロ経済的不安定は制度的介入なしには自律的に是正されない。ここで強調すべきは、再分配政策が倫理的正義の追求としてではなく、経済システムの自己安定化装置として機能する点である。すなわち、再分配は「善の実現」ではなく、「資本主義の持続的均衡条件」として理解されねばならない。この視座の転換は、政策議論を道徳的価値判断から制度的合理性の次元へと移行させるものである。したがって、再分配政策は資本主義を維持するための補完的装置であると考えられる。

 これらの理論的主張は、実証的にも裏付けられている。Kumhof et al. (2015) は、IMFのモデルを用いて、所得格差の拡大が家計債務の増加を通じて金融危機の確率を高めることをシミュレーションで示した。実際、2008年金融危機以前の米国では、中間層の所得停滞が住宅ローンの過剰な拡大と同時進行していた(Rajan(2010))。

 さらに、Mian and Sufi (2014) は、米国の郡レベルのデータを用いて、所得格差の大きい地域ほど家計債務が急増し、その後の消費減少も大きかったことを実証している。これは、格差が有効需要の不安定性を高めるというケインズ的メカニズムの現代的検証と言える。

 日本においても、小塩・田近(2010)は、1990年代以降の消費低迷の一因として、所得分配の悪化による平均消費性向の低下を指摘している。これらの実証研究は、富の集中が単なる分配問題ではなく、マクロ経済の動学的不安定性の源泉であるという理論的主張を支持している。

 したがって、再分配政策は資本主義を維持するための補完的装置であると考えられる。資本主義は現状において事実上代替制度を欠く社会システムであるが、放任すれば富の集中が進行し、上述のマクロ経済的不安定性を引き起こす。ゆえに、資本主義は富の再分配政策と同時に実施されるべきである。

 具体的な政策パッケージは、実証研究の知見に基づき、以下の三つの柱から構成されるべきである。

 第一に、資本所得への累進課税である。Diamond and Saez (2011) は、最適課税理論に基づき、高所得層への限界税率を70%程度まで引き上げても効率性の損失は小さいことを示している。ピケティ(2014)が提案する累進的資本税は、実施上の困難(国際協調の必要性)はあるものの、理論的には r>g による累積的格差に対する直接的対処となる。

 第二に、教育機会の平等化である。Chetty et al. (2014) は、米国の大規模データを用いて、幼少期の教育投資が所得移動性を高めることを実証している。OECD (2015) も、教育格差が世代間で固定化されることで、長期的な成長率を0.35%低下させると推計している。これは、人的資本への投資が、分配改善と成長促進を両立させうることを示している。

 第三に、技術革新の果実の公平な分配である。Acemoglu and Restrepo (2020) は、AI等の技術革新が労働代替的である場合、適切な政策介入なしには格差拡大をもたらすことを理論的・実証的に示している。このため、技術変化の方向性を労働補完的にするインセンティブ設計や、技術革新から得られる収益の一部を社会的に還元する仕組み(例:データ配当)が必要となる。

 これらは資本主義の修正ではなく、持続可能な発展のための最適化と位置づけられる。Ostry et al. (2014) は、IMFのスタッフペーパーにおいて、適度な再分配政策は成長を損なわないどころか、むしろ持続的成長の基盤となることを実証的に示している。

 経済協力開発機構(2015)は、所得格差が教育機会を阻害し、中長期的成長を鈍化させることを示している。これは再分配政策が単なる平等追求ではなく、成長戦略の一環としても必要であることを意味する。つまり私の主張する政策的含意の要点は、累進課税、資本課税、ユニバーサルベーシックインカム等の分配政策の検討と、自然実験やパネルデータを利用した実証評価の強化と、データ主導のモデル形成における経験則の導入である。ただし、再分配政策には以下の課題も指摘される。高い限界税率は労働供給を減少させる可能性があり、資本課税は国際的な資本移動により回避される危険性がある。これらの問題に対しては、労働供給への影響を最小化する制度設計などの対策が必要である。このことは、分配政策が単に倫理的要請ではなく、マクロ経済の安定性を支える合理的な政策手段であることを示唆している。

 この文章の方法論的貢献は、ベーコン的帰納法を経済学の文脈に再導入し、理論と実証の往還を通じた「経験的整合性の回復」という課題を明示した点にある。理論は抽象的整合性のみならず、観察された現実との整合的関係を保つ限りにおいて有効である。富の集中の問題を経済体系の内在的不安定性として捉えることは、経済学を再び「経験に根ざした科学」として再生させる第一歩である。

 これらの政策提言に対しては、新自由主義的立場から批判が予想される。その批判に応答することで、この文章の主張をより明確にできる。

 新自由主義的批判は、通常、以下の二つの論拠のいずれかに基づく。第一は効率性論拠であり、「市場の自由な機能が最も効率的な資源配分を実現する」という主張である。第二は自由論拠であり、「個人の経済的自由は本質的価値を持つ」という主張である。

 効率性論拠に対しては、この文章が示した実証的証拠—富の集中がマクロ経済の不安定性を高め、長期的成長を阻害する—が反論となる。市場の自由が常に効率的であるという主張は、外部性や市場の不完全性がない場合にのみ成立する理論的命題であり、富の累積的集中という現実はその前提が満たされていないことを示している。Stiglitz (2012) が指摘するように、情報の非対称性や市場支配力の存在下では、再分配政策が効率性を改善しうる。

 自由論拠に対しては、より慎重な検討が必要である。もし経済的自由が個人の自由一般から導出されるのであれば、言論の自由や私生活の自由も同等に擁護されるべきである。しかし実際には、新自由主義的政策は経済的自由を優先し、他の自由(例:表現の自由、プライバシー権、労働者の団結権)を軽視する傾向がある。

 ここで重要な区別が必要となる。もし「個人の経済的自由は本質的価値を持つ」という原理から一貫して、表現の自由、プライバシー権、結社の自由など、あらゆる個人的自由を等しく擁護する立場があるとすれば、それは新自由主義ではなくリバタリアニズムと呼ばれるべきである。リバタリアンは自由そのものを最高価値とし、国家権力による介入を経済・非経済の両領域で一貫して制限しようとする。この立場は、自由という価値において首尾一貫しており、思想的立場としては尊重に値する。

 ただし、極端な経済的不平等は、それ自体が貧困層の実質的自由を制約する。Sen (1999) の潜在能力アプローチが示すように、形式的な自由と実質的な自由は区別されるべきであり、極度の貧困は個人が自らの人生を選択する能力を奪う。この観点からは、再分配政策は自由の制約ではなく、より多くの人々の実質的自由を拡大する手段となる。

 対照的に、新自由主義は経済的自由のみを選択的に強調し、その正当化根拠を効率性や成長に求める。この非整合性こそが問題なのである。新自由主義者が「市場の自由」を主張しながら、監視社会や労働組合の権利制限を容認するとき、彼らが真に擁護しているのは自由ではなく、特定の経済秩序である。この意味で、新自由主義の「自由」論拠は、実際には効率性論拠の修辞的変形に過ぎない。

 そして、効率性論拠については既に反駁した。富の集中は長期的にマクロ経済の不安定性をもたらし、効率性を損なう。したがって、新自由主義的立場—市場の自由が最大の効率をもたらすという主張—は、理論的にも実証的にも支持されない。

 この文章の方法論的含意を整理しよう。ベーコン的経験主義を現代に活かすとは、単に観察を増やすことではない。それは、観察された事実が理論的枠組みの基本的前提を修正する経路を制度化することである。具体的には以下の三点が重要となる。

 第一に、政策評価における実証的手法の標準化である。ランダム化比較試験、自然実験、差分の差分法などの因果推論の手法を、政策立案プロセスに組み込むべきである。英国の What Works Centre や米国の Coalition for Evidence-Based Policy のような、実証的エビデンスを政策に橋渡しする機関の役割が重要である。

 第二に、主流派理論モデルの前提条件の定期的再検討である。DSGEモデルにおける代表的個人の仮定、完全市場の仮定などが、実証的にどの程度支持されているかを継続的に評価し、必要に応じてモデルの基本的枠組みを修正する仕組みが必要である。これは、天文学におけるパラダイム転換(天動説から地動説へ)が観測事実の蓄積により促されたのと同様のプロセスである。

 第三に、学際的対話の促進である。経済学と社会学、政治学、歴史学の対話を通じて、数理モデルでは捉えきれない制度的・文化的要因を理論に統合する必要がある。Acemoglu and Robinson (2012) の制度経済学的アプローチは、こうした学際的統合の有望な例である。

 現代経済学が演繹的モデルに依存することは、経験的観察との乖離を生む危険性をはらんでいる。富の集中という現象は、観察可能であると同時に、理論的にも実証的にも確証されている。それを無視する理論は、社会科学としての整合性を欠く。ベーコン的帰納法に立ち返り、現実から理論を導き出す姿勢を取り戻すことが、経済学の有効性を高め、資本主義の持続可能性を確保するために不可欠である。富の集中および資本収益の累積効果は重力のように不可避の現象であり、それを無視する理論は現実に背を向けることになる。だからこそ、収益率格差による累積的優位性に逆らうために工学的な装置が必要であるように、資本主義を維持するには再分配という制度的な装置が不可欠である。資本主義は重力のような自然法則に従う社会システムであり、制度設計とはその力を制御し、安定化へと導くための理性的エンジニアリングである。換言すれば、制度設計とは自然法則に逆らうものではなく、それを制御し社会的安定へと導くための理性の装置である。この意味で、ベーコン的経験主義は経済制度の設計原理としても再評価されるべきである。今後の課題として、各国の制度的特徴を活かした政策設計の比較研究、再分配政策の動学的効果の実証分析、資本逃避対策の具体化、が挙げられる。ベーコンが重視した経験観察と現代の実証手法を組み合わせることで、理論と現実の架橋がより効果的になるだろう。この文章が提示したベーコン的経験主義に基づく方法論は、単なる理論批判を超え、実証経済学と制度設計論を接続する新しい科学的合理性の枠組みとして位置づけられる。残された課題は、この経験主義的合理性を各国の具体的な政策形成プロセスや国際的制度設計にいかに実装するかという点にある。

 この文章の限界も認識しておく必要がある。第一に、富の集中のメカニズムについて、r>g 以外の要因(技術変化、グローバル化、制度変化)の相対的重要性を十分に検討していない。第二に、再分配政策の具体的設計(税率、給付水準、実施時期)については、さらなる実証研究が必要である。第三に、国際的な資本移動や租税回避への対策については、理論的可能性を示すにとどまり、実現可能性の検討が不十分である。

 これらの課題に取り組むためには、各国の自然実験(例:北欧諸国の累進課税、フィンランドのベーシックインカム実験)の詳細な比較研究、再分配政策の動学的マクロ効果のシミュレーション分析、国際的な税制協調のための制度設計研究、が必要となる。こうした研究は、ベーコンが重視した「観察と実験に基づく知識の漸進的蓄積」という科学的精神を、21世紀の経済学において具現化するものとなるだろう。

 この文章の結論はニ点に要約される。第一に、現代経済学は経験的現実との乖離を修復するため、ベーコン的帰納法に基づく理論再構築を要する。第二に、富の集中は制度的補正なしには自律的に是正されず、再分配は資本主義の安定条件である。

 経済学は理論の整合性のみを追求する演繹的科学ではなく、現実世界の観察と相互に修正しあう経験的科学でなければならない。ベーコン的帰納法の再導入は、経済学を現実から切り離された抽象体系から再び人間社会の経験的知へと引き戻す契機となる。新自由主義が前提とする「自由な市場の自律的安定性」は、経験的には確認されていない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ