6 ◆ 双子相手の崩壊演技
全9話執筆済。
今日明日と3話ずつ投稿予定です。
中等部になり、王都に来て、私は貴族向けのパーティーやお茶会にも参加するようになった。
昔は親戚の結婚式か、地方のちょっとしたパーティーやお茶会か、逆に王国全体規模の大きなパーティーか……それこそアルの婚約者選びのときのお茶会くらいだったけど。
私は王都に来て、数ヶ月に一度はパーティーやお茶会に参加するようになっていた。
アルはその頃には、優雅にエスコートもしてくれるようになっていた。
さすがに初等部の頃のように、目が合っただけでいちいち真っ赤になって「えっと……」なんて言わない。
アルは当たり前のように手を取ってくれたし、腕を組んでもいちいち赤面しなくなった。
パートナーの手を取るのも、腕を組むのも、パーティーの場では当然のこと。
アルは全然照れずに、完璧にそれらをこなしてくれるようになっていた。
そして華やかな場にまだ不慣れな私に代わって、王族や親戚、分家はもちろん有力貴族の夫妻に子女、王都の豪商に他国の来賓──……アルは毎回、完璧に「名前当てゲーム」をクリアしてくれた。
私はお相手の名前が思い出せなくても、誰が同級生の親御さんで、誰がどのお家のご子息ご息女なのか分からなくなってしまっても、そのお家がどんな事業を抱えているか知らなくても──……余裕ぶって微笑んでいるだけで済んでしまった。アルが大人顔負けの会話を繰り広げてくれたから。
だから私はアルの横で微笑みながら、心の中で答え合わせをしていた。……でも、私の正答率はまだ8割5分といったところだった。
……やっぱりアルに対応してもらって良かったと、1割5分は内心ヒヤヒヤしながらホッとしていた。
パーティーの場での立ち振る舞い。
アルのサポートもあって、私は無難にこなせていた。
…………ある一つを除いては。
「『──それでは皆様!当家楽団の調べに乗って、ダンスをお楽しみください!』」
主催者の声とともに、弦楽団が美しい旋律を奏でる。もうしばらくしたら、一曲目が始まるだろう。
──パーティーのダンスの時間。
微笑んでいるだけでは誤魔化せない、この時間がどうしても私は怖かった。
王都に来て1年半が経過して、私は15歳、アルは14歳になっていた。
アルと出会って4年半。アルはまだまだお子様ではあったけど……でも、ダンスの場に出れる程度には大きくなっていた。
そして当然、アルは目立った。
お人形のように整った見た目は、昔から変わらず、そのまま歳を重ねて輝きを増していた。
そんな華やかな容姿の四大公爵家長男のアルは、ダンスもとても上手かった。もともと何でも器用にできるセンスがある上に、努力家だから。何も不思議ではない。
…………だから怖かった。
アルはその容姿と、身分と、能力で、ダンスの時間もとても注目されるから。
ただ一人一人と会話しているときとは違う。もっと違う種類の目が、アルと──そのパートナーの私に向く。
一度その場に出てしまったら、ちょっとした立ち振る舞いじゃ誤魔化せない。発言だけでは上手く流せない。
灰色にくすんだ地味な私が、そのまま露呈してしまう時間。
全部回避するのは無理だった。
でも、みんなが注目する一曲目だけでも避けたかった。数曲すれば、だんだんみんな慣れて注目しなくなってくるから。
私は王都に来て半年くらい経って、アルと一緒にパーティーに出るようになったけど……それから1年ほどの間は、何かと理由をつけてアルと一曲目を踊ることを避けていた。
「──私、まだ上手く踊れる自信がないわ。失敗したらアルに恥をかかせちゃう。」
初めてのパーティーのときは半分本音を言った。注目されるのが怖いことは隠して。
「──まだ少し自信がないの。何曲か様子を見させてもらってもいいかしら?」
二度目のパーティーのときも、半分本音。
「──ごめんなさい。実は今日、少し疲れてしまっているの。座って休むほどではないのだけど……ダンスはここで見ていてもいいかしら?
アルはせっかくだからセレナちゃんと踊ってきて?」
三度目のときは、苦し紛れだった。
さすがに「自信がない」はもう通用しないと思ったから。
アルは私を気遣うようにそっと笑って「分かりました。あちらの方に座るところもあるので、無理せずに座って休んでいてください。……気が付かなくて申し訳ありませんでした。」と、私の嘘に謝った。
それから「──セレナ。」と片割れの妹を呼んで、双子で華麗なダンスを披露していた。
アルとセレナちゃんのダンスは、完璧を超えた華があった。
──ただの兄妹じゃない、双子の兄妹なんだから。
息がピッタリどころじゃない、まるで二人で一人かのような、まさに「一心同体」の動きだった。
容姿も当然、アルとセレナちゃんは同レベル。男女が違うだけのセットのお人形の如き美しさ。
14歳という少年少女の幼さが残る年齢でありながら、一曲目から大人も含めた会場中のみんなの目を釘付けにしていた。
セレナちゃんがアルのリードで華麗に髪とドレスを靡かせて難度の高いターンを決めると、まだ曲の途中なのに歓声と拍手が沸き起こった。
…………だから、四度目のとき。
私はアルに、苦し紛れで、三度目とは違うことを言った。
「──ねえ、アル。
せっかくだから、一曲目はセレナちゃんと踊ったら?
アルとセレナちゃんのダンスが一番華があって素敵だもの。
会場の方々も、いつも二人のダンスで盛り上がっているし。……だから、私のことは気にしなくていいわ。セレナちゃんと行ってきて?」
さすがに苦しいと思った。
でも、私はそう言った。そう言うしかなかった。
何とかこれが「兄妹愛に理解のある」「がっついていない」私に見えてほしいと願いながら。
ただこれだと、私がダンス自体を放棄しているようにも思えてしまうから、私は笑って付け足した。
「私は三曲目あたりから、こっそり端っこで踊らせてもらおうかしら。そんなんじゃ駄目かしらね。」
あえてそうおどけた。
何ならこれが、いい具合にギラついていない、目立ちたがり屋ではない、控えめな良い女性のアピールになっていればいいと思いながら。
アルは、私の言葉を聞いて、一瞬だけ声を詰まらせて
「……分かりました。行ってきます。
すぐに戻ってくるので、少し待っていてください。」
と言って、また「セレナ」と片割れの妹を呼んで、双子で派手に踊ってみせた。
型通りにやるだけじゃない、アレンジも入った魅せるダンスだった。誰も真似できないその光るアレンジの瞬間に、会場中はまた拍手に包まれた。
……これで良かった。乗り切った。
…………そう思った。
でも、それを許してくれない人がいた。
……違う。
私は許された。私は乗り切れた。
…………ただ、私の代わりに犠牲になった人がいた。
「──信じられない。あり得ない。やっていられないわ。何なのよ。
わたくしと今踊っていたのは、お兄様によく似た『傀儡』かしら?」
ダンスが終わって、アルとセレナちゃんが戻ってきて──……そこでセレナちゃんは、声を潜めることもせずに、いきなりアルを容赦なく責めた。
「…………セレナ。空気を読め。せめて少し声を落とせ。」
普段よりも沈んだ声で、アルがセレナちゃんを咎める。
でもセレナちゃんは止まらなかった。声を落とすどころか、ますます苛ついたようにアルを思いっきり睨みつけた。
「…………何?
何か聞かれて困ることでもありまして?
もしかして、パートナーの一人もお誘いできずに落ち込んで醜態を晒したことかしら?
そんなにわたくしの口を止めたいなら、お兄様が素直に言えばよかったじゃない。シラー様に。
──『僕と最初に踊ってください』って。
そんなことも言えないような情けないお兄様に説教される筋合いはないわ。
むしろ、振られたお兄様に優しく付き合って差し上げたわたくしは感謝されるべきではなくって?
……ああ。けれど、踊ってもらえなくて当然よね?
あんな酷いステップ、わたくしが相手でなければ崩壊していたでしょうから。シラー様を転ばせずに済んで良かったわね?お兄様。
……馬鹿馬鹿しい。
四大公爵家の長男が聞いて呆れるわ。
一人で滑稽な踊りをするのは結構ですけれど、双子のわたくしを巻き込んでパラバーナ家の格を落とすような真似をするのはやめていただけます?」
「──っ、セレナちゃん!!」
私は思わず怒鳴った。
……怒鳴ったと思った。でも、実際は喉が閉まって声が出せなくて、引き攣ったような掠れた小声が出ただけだった。
会場では優雅に曲が流れていて、中央の方では二曲目を踊っている人たちがいる。弦楽の調べにステップの足音、歓談の声に軽い拍手……いろいろな音が溢れていた。
さすがにセレナちゃんの声は会場全体には響いていなかった。
でも、この辺り一帯の人には思いっきり聞こえていた。
アルは目立つ。
セレナちゃんと並べば尚更目立つ。
…………この王国で一番華やかな双子だから。
この辺り一帯の人は、向こうでダンスを踊る人たちをそっちのけにして、思いっきりアルに注目をしていた。
──そしてアルは目立ったせいで、一人で大恥をかいてしまった。
さっきのダンスの派手な動きはアレンジではなく、セレナちゃんによるリカバリーだったのだということに、私も周りも、みんなが遅れて気が付いた。
私は声が出ないまま焦った。
どうしよう!……違うのセレナちゃん!やめて!
アルじゃないの!私なの!……っ、私が、私が一曲目を避けようとしたから──……っ!
私が焦りすぎて泣きそうになった──そのとき、
「…………セレナ。
お前、それを言ったら、台無しだろ。
僕の失敗を隠したお前が、その失敗をバラしてどうするんだよ。」
という、アルの呆れた声がした。
「……あら?言い返す元気があるんですの?」
「言い返さないと僕だけが恥をかくだろ。」
「お兄様だけが恥をかいていましたけれど?」
「お前がバラさなければ恥じゃなかったんだよ。」
「では、恥をかいて学べて良かったですわね。」
「バラして台無しにしたお前も今、僕と一緒に恥をかいてるんだよ。」
「そうかしら?」
「そうだよ。見てみろよこの嫌な注目を。」
アルはセレナちゃんといきなり流れるようなやりとりをした後、大袈裟に溜め息をついて、困ったように笑いながら周囲の人たちに礼をした。
「──いきなり申し訳ありません。お騒がせしました。
僕が不甲斐ないばかりに、二人揃ってお恥ずかしいところをお見せしてしまいました。」
「わたくしを巻き込まないでいただけます?」
セレナちゃんが文句を言うのを無視して、アルは苦笑しながら続けた。
「ということで、妹はここに置いておいて、僕はもう一度踊ってこようかと思います。
──シラー様、僕と踊っていただけませんか?」
そう言って仰々しく私の名を呼んで、手を差し伸べてくるアル。
私はぐちゃぐちゃな感情のまま、ろくに返事もできずに手を取った。
「あら、よかったじゃない。最初からそうしていればいいのよ。」
「お前はちょっと黙ってろよ。」
茶々を入れてきたセレナちゃんにアルは笑顔のまま言い返して、颯爽とみんながダンスをしているところに私を連れていって、焦ったままの私と見事に一曲踊り終えた。
全然失敗なんてせずに。……でも、セレナちゃんのときとは違ってとっても無難に、着実に。
「──何とか転ばせずに踊りきれました。
妹には感謝をしつつ、後で説教をしておきます。」
アルは最後におどけて笑ってみせた。
私とアルが踊っている間、ずっと注目していた人たちに向けて。
周りの人たちは、いろいろ察して温かい拍手をアルに贈ってくれた。
良かった。アルは思ったより傷ついていない。
場も上手く収まって、これで何の問題もない──……
…………そんなわけがない。そんなわけがなかった。
アルはただ、あの初対面のときのお茶会のように……何ならあのときよりも、一人一人にフォローして回る時間がない分、咄嗟に冗談のような軽い空気に持っていっただけだった。
恥を認めて。セレナちゃんも咎めて。私のことは落とさずに。重くなりかけた場の空気を和ませるために。
でも、ここにいるのは当時のような10歳以下のお子様なご令嬢たちじゃない。
周りの人たちはもういい年齢でみんな賢いから、ちゃんとすべてに気付いていた。
──セレナちゃんのお子様な、相変わらずの空気の読めなさに。
──地方貴族の地味な私のお子様な、華やかな場への不慣れさに。
──……そんな私を一曲目に誘う勇気が出せなかった、セレナちゃんの言う通りの、アルのお子様な恋心に……みんな、ちゃんと気付いていた。
アルは今日、一番格好悪い恥をかいた。
お年頃の男子として、一番みっともない姿をみんなにバラされた。
◆◆◆◆◆◆
私はもう泣きながらアルに今すぐ謝りたくて仕方がなかった。
私のアルの片腕にかけた手は強張っていたし、顔も引き攣ってしまっていた。
でも、謝る暇がなかった。
ダンスの時間が終わってすぐに会場を抜け出す──なんて、あからさまな恥ずかしい行動を取ることもできない立場のアルは、その後も笑顔でパーティーを乗り切った。
変わらず完璧な対応で。
さっきの一連の流れを見ていた人には、恥をかいた年相応の男子の照れ笑い──の演技をして。
私はセレナちゃんを「ひどいわ!」と言って今すぐ引っ叩きたかった。
でも、セレナちゃんの性格が悪くてひどいといったって……彼女がさっき言ったことは全部ただの事実だった。嘘をついてセレナちゃんに丸投げした私の方が、何倍も何倍もひどかった。
だからセレナちゃんのことを、私は上手く怒れなかった。いつもみたいに「失礼しちゃうわね!」と軽く指摘することも、今の私には無理だった。
他の四大公爵家の歳上のご令息に「アルディートとセレンディーナは漫才の腕もおありだとは。今日まで知りませんでしたよ。お見事でしたね。」なんてアルが煽られたときは、その腹立つ丸眼鏡をかち割ってやろうかと思った。
それでもアルは、その腹立つ煽りに苦笑しながら「お見苦しいところをお見せしました。……それ、セレンディーナにも直接言ってやってください。貴方から言われた方が妹には効くと思うので。」と返していた。
その後、腹立つ丸眼鏡令息がセレナちゃんを嬉々として煽りに行って、セレナちゃんがものすごく嫌そうな顔をしていたのを見て、私は少しだけセレナちゃんへの憤りを打ち消せた。
…………でも、誰も私のひどさを指摘してくれないことが、何よりも腹が立ったし、ただひたすらに辛かった。
◆◆◆◆◆◆
パーティーが終わって、ひと段落がついて、人目がなくなって、そこでようやく私はアルに謝れた。
もう変な印象操作なんかしていられなかった。本音を伝えて、私はアルに謝った。
「……アル。ごめんなさい。
私、怖かったの。私は地味でダンスが下手だから、注目されてしまうのが怖かったの。だからあなたにセレナちゃんを勧めてしまったの。
アルは何も悪くないわ。私がアルに誘いづらくさせてしまっていたのよ。私のせいなの。本当にごめんなさい。」
私は見栄なんて張っていなかった。本音を伝えた。
それなのに、
──気付けば何故か、私の言葉はまるで「演技」のような内容になっていた。
まるで、落ち込んでいる歳下の婚約者を気遣って励ましてあげている大人のような。
……自分のせいにするために嘘をついてあげている女のような言葉になっていた。
私は遅れて気が付いた。「弱気な情けない私の本音」は、一曲目が始まる前に言わなければ意味がなかったのだということに。
こうして後から伝えても、もう私の言葉は「格好悪い恥を晒したアルをフォローするための嘘」にしか聞こえなくなっていた。
アルは人目がなくなって、私の必死な言葉を聞いて──……そこで初めて、取り繕っていた表情を崩した。
自分の不甲斐なさを責めるように、泣くのを堪えるような顔をして俯いて、
「……今日は、シラーにも変な注目を浴びせてしまって、申し訳ありませんでした。
全部僕のせいです。……次からはこんなことが起きないように、もっと頑張ります。」
と、ひどくズレた言葉を返してきた。
「アルがこれ以上頑張る必要なんてないわ。アルはもう充分頑張ってくれているじゃない。出来過ぎなくらいなのよ。
頑張らなければいけないのは私。悪いのは私の方なのよ。」
私は必死になって伝えたけど、何故かもう、何を言っても「婚約者を優しく気遣っている私」にしかなれなかった。
◆◆◆◆◆◆
次の日は平日だから、私は夜に学園の寮に帰った。
そしてその日の晩、私は一人、寮の部屋で大泣きをした。
あの一曲目が始まる前に、アルに惚れられるためではなく、ただの保身のための「演技」をしてしまったこと。
…………私はそれを、今までの人生で一番後悔した。