3 ◆ 歩み寄った後の反省点
全9話執筆済。
基本毎日2話(昼と夜を目標に)投稿予定です。
私【シラー】と公爵令息【アルディート】様の交際は順調だった。
当然よ。だってもうアルディート様は私に惚れているんだもの。
私の歳上の余裕を見せる演技は上手く刺さっていったようだった。
ただ、1ヶ月もまとめて過ごしていればたまにはボロも出てしまう。うっかり本音を漏らしそうになってしまったり、つい演技を忘れて平凡でありきたりな反応を示してしまうこともあった。
それなのにアルディート様は、あの領地経営のボードゲームのときのように、どんな場面でも勝手に私に惚れてくれた。
……もはや私なら何でもいいみたい。「溺愛」って、案外あっさり達成できるのね。
この公爵令息、本当に単純なお子様で馬鹿みたい。それとも、私が大人すぎる天才なのかしら?
私はそんなことを思っていた。
◆◆◆◆◆◆
でも、そんな「溺愛」の波に乗れていても、絶対に外してはいけない場面が存在する。
簡単なアルディート様からの愛情が、一気にひっくり返ってしまいかねない爆弾。
──双子の片割れの妹【セレンディーナ】様の取り扱い。
あのお茶会で100ポイントの好感度を稼いだきっかけとなった彼女の存在。
私がここで上手くやれば、がっちりアルディート様の心を鷲掴みできる。
逆にここで私が失敗したら、一瞬で彼の百年の恋も冷めてしまうだろうというのが分かった。
だから、セレンディーナ様に関してだけは、私はうっかりしないようとにかく気を引き締めて慎重に立ち回った。
セレンディーナ様は私と彼の婚約が内定したとき、私の顔を見て冷ややかな視線を送ってきた。
自分の兄が、こんな灰色にくすんだ地味な令嬢を選んだことによる失望。落胆。
…………そんな視線だった。
でも、それを彼女は口には出してこなかった。
長期休みのときの私の滞在期間中も、態度は悪めだったけど。
無言でさっさと食事を終えて「……ご馳走様。わたくし、先に部屋に戻ります。」と言って去ってしまったり、公爵ご夫妻と違って談笑の輪に入ってこなかったり。
明らかに私の存在を嫌がっていたようだけど、でも暴言は吐いてこなかった。
……ということは、よ。
簡単ね。すぐに読めるわ。双子の片割れの兄と同じように。
アルディート様は、セレンディーナ様が私に素っ気なくして去っていくのを「セレナ!」と常識的に咎めてから、律儀に「妹が申し訳ありません」と謝ってきた。
そんなアルディート様に私は笑顔でこう答えてみせた。
「いえ、お気になさらずに。
……いきなり私のような部外者が来て、一日中家にいるんですもの。戸惑ってしまって当然です。すぐに受け入れられなくても無理ないことだと思います。
私だって、慣れない環境に緊張してしまっていますもの。お互い様ですわ。」
そう言って微笑んで、私は畳み掛けた。
「……それに、きっとアルディート様が私に付き合ってくださっているから、少し寂しくなってしまっているのかもしれません。
セレンディーナ様はお兄様のアルディート様のことが大好きなようですから。見ていてそう思いますわ。
ですから、私のことは気にせずに、ご兄妹のお時間も大切になさって?」
私は完璧に決めてみせた。
分かりやすい。妹の方も同じなんだもの。
あのお茶会で、一時間で限界を迎えて「蛆虫カラス」と言い放つ非常識なセレンディーナ様。
私に3秒で「廊下の隅にある埃のように、地味なのに目障りな御方ですわね」とか何とか暴言を吐いてきてもおかしくなさそうなものなのに、素っ気ないだけで何も私に言ってこない。
──その理由は「双子の片割れの兄が大切だから」。
だから何も言ってこない。自分が納得できていなくても我慢する。
「お兄様にはもっと相応しい御方がいるのではなくって?」と言いたくなる気持ちをグッと抑えて、黙ってその場を去っていく。
……兄の意思を尊重したいから。
分かりやすい。さすがは双子。
見事な「兄妹愛」だこと。
…………私は、お兄様にも弟にも、そんな風に思ってもらえていないのに。
私はそうして、妹の態度を笑顔で受け止めて辛抱強く耐え続けた。
アルディート様は申し訳なさそうにしながらも、私が兄弟愛を見抜いて褒めると喜んだ。一度コツを掴んでしまえば、セレンディーナ様の登場はポイントを荒稼ぎできるありがたいボーナスステージなまであった。
◆◆◆◆◆◆
辛抱強くミスをしないようにしながら耐え続けてやってきた、3回目の長期休みの滞在期間。
トータルで3ヶ月目にして、ついにセレンディーナ様は私に心を開いてきた。
彼女は私がいても速攻で立ち去らないようになった。談笑に溶け込んではこなくても、その場にいて本を読んだりするようになってきた。
私は慎重にセレンディーナ様の顔色を窺いながら、ちょうど広間で二人だけになったタイミングで、そっと話しかけてみた。
「……セレンディーナ様は、よく御本を読まれていますわね。読書がお好きなんですか?」
本を読んでいる事実に触れるだけ。いきなり何を読んでいるかまでは踏み込んで聞かない。
セレンディーナ様はアルディート様と違って私に惚れていないから。その分、攻略難度は高い。油断してはいけない。
するとセレンディーナ様は、思ったよりも私にすでに心を開いていたのか、何を読んでいるかまであわせて答えてきた。
「ええ。最近は恋愛小説を読むのが趣味ですの。……どれも結局は似たような内容だけれど。暇潰しにはちょうどいいので。」
私はすかさず話を広げた。
「まあ!恋愛小説!素敵ですわ。
私はまだあまり手に取ったことがないけれど、今度読んでみようかしら。セレンディーナ様のおすすめはありますか?」
私がそう尋ねると、セレンディーナ様は「そうですわね。……シラー様は、どういった傾向のお話がお好きかしら。」と言いながら、いくつかおすすめを教えてくれた。
「この公爵邸の書架にありますので、滞在中のお暇なときにでもどうぞ。」と、真顔のまま素っ気なく付け加えて。
私は笑顔でありがたくその親切にお礼を言った。
そしてふと、セレンディーナ様が手の角度を変えたことで目に入った手元の小説──私は、それのある点に気が付いた。
「──あら?
今少しだけ見えたのですけど、……もしかしてセレンディーナ様は、外国語でも小説をお読みになっているんですか?」
私は素直に驚いた。
セレンディーナ様の手元の小説の中身は、この国の言語ではなかった。
私の驚いた声を聞いたセレンディーナ様は「ええ。こちらで翻訳されていないものは、原著で読むしかないので。」と返してきた。
だから私は、ここで一気に賭けに出た。
「すごいわ!公爵家の皆様が優秀なのは理解していたつもりでしたが、私の想像以上でした!
素敵だわ……憧れちゃう。私もセレンディーナ様のように、さらっと外国語で本を読めるようになりたいわ。勉強をもっと頑張ろうかしら。」
私はそう言って目を輝かせて笑ってみせた。盛大なお世辞と共に。
私は瞬時に判断した。
アルディート様とセレンディーナ様は双子の兄妹。ただ、兄妹愛は同じだとしても、すべてが一致するわけじゃない。
お茶会では微笑と真顔、丁寧な対応と暴言からの離脱。かなり真逆な態度を取っていた。
根本的には同じでも、もしかしたら普段の性質は真逆なのかもしれないわ。
アルディート様は容赦なくプライドをへし折っても、それを新鮮に思って惚れてきたけど。
セレンディーナ様はどう見てもプライドが高いから、素直に褒めた方がいい気になってくれるかもしれない。
私はそう思って、大袈裟に彼女を褒めた。
……私の予想は的中した。
セレンディーナ様は分かりやすく得意気になって「まあ、この程度、公爵令嬢として当然の教養ですけれど。」と言って、私の前で初めて口角を少し上げた。
……兄と同じで、分かりやすくて単純なお子様ね。
私はそっと、内心で彼女のことも見下した。
…………私はそんな難しい外国語で、辞書もなくすらすらと小説なんて読めない。
そこは素直にすごいと思ったけど。
でも私は、歳上らしく余裕を持って、彼女を上手く煽ててあげられたことに自信を持った。
◆◆◆◆◆◆
セレンディーナ様を攻略してからは、一気に何もかもが簡単になった。
当たり前よね。だって、双子のどちらかに好かれれば、相互作用のようにもう片方も勝手に好いてきてくれるんだもの。
セレンディーナ様はだんだんと家族の談笑の輪にも入ってきて、双子が揃って私と会話する機会も増えてきた。
二人が揃ってくれるのはありがたかった。
アルディート様もセレンディーナ様も、単純で分かりやすいお子様ではあったけど……でも、学問に関しては私なんかよりも全然先に行っていたから。
今まではアルディート様との会話の中身が難しくてついていけなくなってしまったときは、驚いたり褒めたり、少しおどけてみたりして、何とか場を凌いでいた。アルディート様に気遣われて、話題を変えてもらうこともあった。
でも双子が揃っていれば、私はただ笑顔で二人を見守ってあげるだけでいい。
話題についていけなくなっても「仲がいいのね。微笑ましいわ。」って顔をして静かにしていれば、それだけでアルディート様は大丈夫だったから。
私に見守られていることに安心しながら、二人は容赦なく双子の間で会話をどんどん発展させていた。
──婚約者のアルディート様には、歳上の女性らしく余裕を見せて、穏やかに笑ってあげる。
──その妹のセレンディーナ様には、同年代の女子として尊敬の眼差しを向けて、優しく笑ってあげる。
そんな感じの方針をベースにして、私は上手く演技を続けていった。
何回も、何ヶ月もかけて、徐々に敬語を崩していって、親しみやすさを少しずつ与えていく。
あえてまず先にセレンディーナ様を「セレナちゃん」と呼べるようになって、それからもうしばらく時を過ごして…………ようやくそこで、アルディート様のことを愛称で「アル」と呼ぶ。
その方が、婚約者として特別感があるでしょう?少し待たされた分、妹に嫉妬もしたでしょう?
……決して、少しだけ緊張してしまったわけじゃない。
すでに兄に「セレナ」と呼ばれていた彼女と違って、彼は公爵家の誰にも「アル」とは呼ばれていなかったから。
……だから、様子見の期間を少し追加しただけ。
…………簡単だった。
セレナちゃんはどんどん私に懐いてきた。
私と流行りの恋愛小説の話で盛り上がって「わたくしはいつか、完璧な公爵令嬢のわたくしに相応しい、美しくて賢くて強くて優しい、世界一の王子様と結婚しますのよ。それがわたくしの一番の夢。」と、馬鹿みたいな理想を恥ずかしげもなく語ってきた。
普通に性格の悪さが隠し切れないのだろう。私の目の前で「わたくしはお兄様と違って妥協なんてしませんわ。絶対に最高の相手を見つけて、世界で一番幸せになってみせますの。」と口を滑らせていた。
私は繊細に傷付くこともなく、鈍感に聞き逃すこともせず、あえて笑いながらもきちんと指摘してあげた。
「……セレナちゃん?
それ、もしかして『妥協した結果が私だ』って言っているの?
まったく、失礼しちゃうわね。」
セレナちゃんはハッとして、横で呆れているアルディート様と目を合わせた。
アルディート様はもう私を信頼しているらしく、いちいち「セレナ!」と怒ったりしなかった。
自分が指摘したりフォローしたりしなくても、私ならセレナちゃんと上手くやってくれる──そんな風に安心してくれているんだろうと思えた。
アルディート様は、私が「あなたのことを、これからは『アル』って呼んでもいいかしら?私のことは『シラー』って呼んで?」と言ったとき、ものすごく真っ赤になって照れてきた。
そしてアルは、初めて私がセレナちゃんの前で「アル」って呼んであげたときも、みっともなく真っ赤になって照れて……でも、満更でもなさそうに口元を緩めていた。
……それで、セレナちゃんに盛大に白けた視線を向けられていた。
アルは特に簡単過ぎて、手応えがないくらいだった。
なんてお子様なのかしら。
……こんなことで、特別な気分になれるなんて。
桁違いの大金持ちなのに、誰よりも安上がりで単純ね。
私は内心でそっと見下す──というよりは、もはや呆れて笑ってしまった。
◆◆◆◆◆◆
私とアルの婚約が内定して2年目。
パラバーナ公爵邸で長期休みを過ごすようになってから5回目の頃には、私はもう完全に公爵家に溶け込むことに成功していた。
実家の伯爵家よりも、居心地が良く感じるほどだった。
意識しなくても自然と笑って冗談も言えるようになっていたし、そこまで無理をする必要もなくなった。
──……私はその頃にはもうアルに、領地経営のボードゲームも普通に負け越すようになっていた。
でももう、無理して研究して勝ち続けなくても大丈夫だった。
……アルはもう私に完全に惚れていたから。
悔しがる気も起きなかった。
なんならここまで、こんなにも賢くて勘の鋭い公爵令息相手によく善戦したものだと、内心では自画自賛していた。
お子様のように「くそっ」と言って悔しがっていたアルとは違って、私は笑って溜め息をついた。
「はぁ。ダメね……私はアルに勝てないわ。
ふふっ。私はもう、あの頃の悔しがっていたお子様のアルを見ることはできないのかしら。」
私がそう言うと、私に勝って優雅に微笑んでいたアルは、不意を突かれたように赤くなって恥ずかしそうに俯いた。
……たかが1年半前の自分を恥ずかしがれるほど、まだあなたは大人じゃないわよ?
それとも、またお子様呼ばわりが「逆張り」になって刺さりでもしたのかしら?
最近のアルはどっちでももう何でも刺さるようだから、気にする必要もないのだけど。……まあ、それならまた今度、どこかのタイミングで少し喜ばせてあげましょう。
そんな風に思いながら、私はろくに気も遣わずに質問した。
「ねえ。私がアルに勝てるものって、他に何かあるかしら?
何でもアルの方ができてしまうから、アルは最近つまらないでしょう?私に合わせてくれているだけだもの。
……もし私に飽きてしまったら、いつでも言っていいからね?」
私が適当に言ったこと。
それは奇しくも、婚約が内定した日に言った「逆張り」と同じ内容だった。
もう少し後で再度アルを喜ばせてあげようと思っていた矢先に、うっかり連続して逆張りをしてしまっていた。
ああ、最近はもう演技が雑になってきていたわ。立て続けにやり過ぎたかしら。
……まあ、いいわ。これはこれで、また「自立している」「期待していない」アピールになる。
最近はその辺りを怠っていたから、ちょうどいいかもしれないわね。
私はそう適当に思った。
アルはもう適当で大丈夫だと思っていたから。
…………でもアルは、私のその最後の一文を聞いて、初めて聞く内容ではないくせに、あのときよりも驚いたように目を見開いた。
…………違う。
驚くというよりもむしろ、ショックを受けていたようだった。
アルは黄金の瞳を少し悲しげに揺らして──……それからいつもよりも少し自信無さげな声で
「いえ、飽きることなんてありません。
……もっと、好きになってもらえるように頑張ります。」
と、相変わらずズレた回答をしてきた。
………………。
アルは私に惚れているから、私が「興味なさそう」にすると悲しくなってしまうのね。
……さすがに、ここの辺りの「逆張り」はもうする必要がないみたいね。だって逆効果だもの。
……ボードゲームが強いといっても、まだまだやっぱり、お子様ね。
…………馬鹿みたいに単純でも、お子様でも。
アルのことを、無駄に傷付けたいわけじゃない。
私はその日、演技の加減を適当にして、アルを悲しませてしまったことを反省した。