Story 4. まちがいさがし
アレグロを刻んで靴音が鳴る。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」
今朝も薫は走っていた。
学校に家が近いものほど遅刻をするという“通学の法則”をご存じだろうか。
都会のようなバスや電車をつかった移動がまれな田舎では、小学生の通学手段といえば徒歩もしくは保護者による送迎、ほぼこの二者である。
薫はもちろん徒歩だった。
――ぼくの通学手段は徒歩……あるいてなくても?
もし徒歩が“徒だ歩く”を意味するならば“徒だ走る”徒走でいいだろうが、どちらも“あるく”を意味する同義語の徒と歩をならべた熟語であるからには、“はしる”を意味する同義語をならべた奔走とでも呼ぶべきだろう。
――通学手段は奔走でーす♪
あちこち寄り道するニュアンスを含意しそうな通学手段にいそしんで、朝からテンションマックスの薫の家から学校までは、徒歩およそ五分。
しかしこの五分を短縮するために、いま薫は奔走しているのである。
本来ならコの字型の経路を、へいを乗り越えショートカットして一分。走ることでさらに一分短縮して、三分で学校につく計算だ。
Q:なぜ走るはめになったのでしょうか。
A:とある番組をリアルタイム視聴したためです。
エンディング曲がながれると玄関をとびだすのが、さいきんの日課になっている。
近いとあらぬことに欲をだし、結果として学校に遅刻する。
これが通学の法則の真相である。
ねらいどおり薫は、八時には校門をくぐった。
上履きにはきかえ、ゆっくり廊下をあるいて息のみだれを整える。
教室に入ってあいさつをかわした。
「はよー」
「今日もぎりぎりだな」
「ほっとけ」
体操服と数冊しか入ってないリュックを机のフックにかけ、腰をおろす。
薫の席は廊下から二番目の列の、黒板からも二番目だ。
ちなみに黒板に向かって左は南、つまり教室が西向きにつくってあるのは、右利きの多い日本人の、書いている手もとが暗くならないための配慮だそうだ。
紫外線のつよいいまの季節なら、直射日光のあたらない廊下側のほうがここちよい環境をあたえてくれるだろう。
窓ぎわで机に腰かけ、しゃべっていた歩邑と佳奈。
佳奈が気づいて、こっちにやってくる。
「グッモーニン! ルンルン」
「誰がルンルンだ」
「薫、薫ん、薫んるん。で、ルンルン! いま考えた」
「ないな」
「尊みがすぎたのね」
「尊死がみえる……ンなわけあるか」
「そんなことより――」
佳奈は基本的に人の話をきかない。
「坂井がふった話題だろ!」
「うちがフッたの? 薫を? ごめんね~」
「お、ま、え」
両手をあわせてウインクする佳奈に、歯がみしてだまる薫。
朝からおもちゃにされて、イラっとしたらしい。
いつのまにかとなりにいた歩邑が声をかけた。
「おはよ、薫。あのさ……」
薫は怒気をリセットして、歩邑に向きなおる。
「皆川、おはよー。なに?」
だが意外にも、歩邑のひと言で事態は急転する。
とりもどしたかにみえた薫の平穏がおわりをつげたのだ。
「今日のあたし……ちがわない?」
「へっ? え……」
――待て、待て!
薫の表情が困惑へと変わる。瞬時に。
――答えまちがうとキレるやつだろ、これ。
世の中の男を恐慌におとしいれる魔の質問である。
歩邑が不安まじりの表情でみた。
いきなり崖っぷちだが――気後れせず、注意ぶかく観察してみる薫。
――なんでぼくに……ぬきうちテストかー!
あたまをフル回転させろ
薫には――昨日までと今日の変化を、いいあてる自信はなかった。
しかし、うかつな返答で落胆させるのもいやだ――と気持ちのこもっていない軽いノリの降参や、オウム返しの反問をすてた。
歩邑が待っている、からだをゆらしながら。
その面持ちは期待にみちていた。
――なにがちがう? 昨日と……
薫はただ、歩邑をよろこばせたいと思った。
――笑顔がみたい……のに
あたまがオーバーヒートしそうだ。
「ンんん……」
平静をよそおい相づちをうって時間をかせぐ。
薫はシャツの下をながれる汗を感じながら、必死でさがそうとしていた。
――アクセサリーか、服か、靴か……
「どう……かな?」
机の右にまわりこんだ歩邑が、かわいらしく首をかしげてきいた。
ボブの髪が引力で、さらりとなびく。
――! 髪か!
実時間にしておよそ三〇秒ほど沈黙していた薫は――しかし本人にとっては何十倍、何百倍にも感じられた長い深慮のすえに、ようやく正答らしき推論にたどりついた。
いっしゅん目をふせたかと思うと、
――これ以上、待たせちゃ……
と、ぎこちない笑みをつくって顔をあげる。
ためらいつつ、きいてみた。
「えーと……髪、切った?」
歩邑がにっこりほほ笑んだ。
薫があたまに思いえがいていたように。