Story 33. ひろがった波紋
「薫、ツラ貸せ」
みるからに不機嫌そうな佳奈が、薫をひっぱっていく。
屋上へとつづく階段のおどり場で、声を低くしてきいた。
「おまえ、なにした」
壁ドン状態でつめよる。
「なんだ、いきなり」
薫もささやくように返した。
「おかしいだろ……」
立ち入り禁止になっている屋上への階段に、やってくるものなどいない。
階下からは死角になる屋上側のかべに、薫は押しつけられていた。
佳奈がくちびるをかむ。
「息つぎの練習してくる――って笑顔でおまえんとこいった歩邑が、どーしてあんな顔……してんのさ」
△ △ △
プールの休憩時間。
クラスの男子たちが、たわいない話にもりあがっている。
「だよな、な!」「すげっ――」
あるグループの会話に、佳奈がピクと耳をそばだてた。
「うちらのこと話してるねえ~」
と歩邑にニヤリ。
「どんな話?」
「うちらの泳ぎにみとれた――って」
――ほめられた?……えへへ……
うれしそうに照れる歩邑と、大いばりする佳奈。
「あ!――」
とパッチリ目をひらいた歩邑が、とびきりのスマイルでいった。
「自由時間は、息つぎの練習だから――薫と」
からだをゆらして、フンフンと鼻歌がきこえた。
▽ ▽ ▽
――やっぱり……なのかな……
遠足でのやりとり、モールでの疑似デート、プールでのふるまい……どれをとっても、薫の気持ちがひまりに傾いている――としか思えなかった。
――ううん……知りたくない……
同性の歩邑からみても魅力いっぱいの、目の前のひまり。
――こんなやさしい笑顔、だれだって……
じぶんの魅力をまだ知らない歩邑は、ふんわりと包みこむようなひまりの魅力に――ふと羨望を感じて、さみしさが表情にあらわれてしまった。
スッとカムフラージュして、いつもの談笑をよそおう。
「あははは――」
そんな歩邑の強がりを、佳奈は見逃さなかった。
ギリと歯がみする。
「アイツ……」
その目は薫をとらえていた。
▽ ▽ ▽
プールのあと歩邑は、薫をさけていた。
気まずい薫も、歩邑の顔をみれないでいた。
しかし今日の薫は引かなかった――いや、引けなかった。
胸につきささった佳奈のひと言が、それをゆるさない。
“おまえが笑顔にしろよ、歩邑を”――
△ △ △
パン! とコンクリートむきだしの壁に両手をついた佳奈がじりじりと迫り、あとずさりできずに背伸びした薫を、するどい眼光で射抜く。
「おまえが笑顔にしろよ、歩邑を。でないと絶交だし」
▽ ▽ ▽
下校時刻を知らせるチャイムが鳴る。
担任のあいさつがおわると、一陣は教室をとびだした。
「廊下は――あるいて」
「はーい!」
歩邑はひとり帰ろうと――あわただしいクラスメイトにまぎれ、かくれるように出ていく。
ガッ――
うでをつかまれた。薫に。
「聞いてほしいんだ――」
――やだよ……聞きたくない……
血の気がひくのを感じた。
「いっしょに、帰りたい」
薫はグイとつかんで放さない。
静寂がふたりをつつみ――ついに歩邑がコクリうなずく。
――これがさいご……なのかな……
商店街に並行するうら道を、歩邑と薫があるいていく。
新旧とりどりの住宅の、しっとりぬれた植え込みや生け垣が――風情ある景観をつくりあげていた。
しとしと降りつづける梅雨空に咲く、傘の花がふたつ。
薫は――つたえようとしていた。
「皆川、ぼくのに入ってもらっていいかな」
真剣そのものの表情が、歩邑にノーといわせなかった。
「うん……いいよ……」
二〇センチちかくある身長差。
歩邑はすこしかがんで、薫はグッと手を伸ばして――ひとつの傘に入った。
――相合傘……
ふだんの歩邑なら、とびあがって大よろこびするところだ。あるいは赤面してうずくまったかもしれない。
――笑顔で……したかったな……
薫が静かに話しはじめた。
「気づいたんだ――」
歩邑がビクッとからだをこわばらせる。
にぎった手のひらは、じっとり汗ばんでいた。
「気づかされたんだ――富永に」
――やっぱり……ひまりのことが……
歩邑はギュッと目をつむり、覚悟をきめてことばを待った。