Story 31. 待ちわびた特訓
「さいごの五分は、自由時間にします」
合図とともに柳沢がつげた。
「きゃあ」「やったー」
「くれぐれもケガに気をつけて――」
めいめい好きなことをして遊びはじめたクラスメイトたち。
薫がキョロキョロとさがす、歩邑のすがたを。
――上からみてみるか……
とプールわきに移動しようとして、名前をよばれた。
ふり返った薫のうでを歩邑がつかむ。
ぐるーり半回転して、ふたりは止まった。
顔をつきあわせた薫と歩邑は――開口いちばん、
「教えてくれ」「教えたげる」
と声をかさねた。
薫がハンドサインで、歩邑にゆずる。
「息つぎ練習しよ」
「師匠! お願いします」
と薫がペコリ。
「うむ! 息つぎ特訓じゃ」
歩邑がおおげさに、腰に手をあてて宣言した。
と――こんどは一転してカジュアルに、右手で1をつくってウインクする。
「特訓メニュー1! ぷくぷくぱ」
薫が不思議そうな顔をした。
「泳ぐときは、鼻から吐いて口ですうのが基本なんだ」
「……ふ~ん」
「それ! 水の中で鼻からフーンって吐くと、泡がプクプクーって」
「うん――」
「顔だしたら、パッって水ふきとばして――すう」
「それで“ぷくぱ”か」
うなずいた歩邑は、
「やってみるね、お手本」
とドボンとしずんで、いきおいよく泡をふきだす。
ザバアと顔をだした瞬間に、パッと口をひらいて息をすった。
顔をおおった水のベールを、ふきとばさないと息がすえない。だから、さいごのひと吐きでパッとふきとばす――と歩邑。
「どう……わかった?」
「スゴイいきおいだな、泡」
「それ! 息つぎのコツは――」
“息を吐くんだよ”――
「息を吐く! 吐ききる」
「! そういうことか」
「ちゃんと吐かないと、すえないじゃん」
そういった歩邑の笑顔がまぶしい。
「呼吸量がすくないと息切れしちゃうから、たくさんすえるように吐ききるのが大事だよ」
と補足してくれた。
「皆川ありがとう」
マジメ顔の薫がもぐる。
ぷくぷくぶくぷく……ザパッ!
「――パッ」
パッとふきとばして息をすった。
「うまいじゃん」
「けっこう疲れるな」
「じゃ、もういっかい――」
こうして特訓がはじまった。
▽ ▽ ▽
しきりに手をうごかし、なにやら話しかけている歩邑。
薫がコクコク相づちをうちながら、となりをあるく。
その日の夕方、歩邑と薫はいっしょに下校していた。
「水の上に顔をだすと――」
歩邑は右手を、からだにみたてて説明する。
「足が下がっちゃう、こんなふうに」
指先をあげ、手のひらをナナメにした。
「なる」
「クロールのしせいが安定しないだけじゃなくて、水の抵抗がふえちゃうのが大問題」
「進まないわけだ」
歩邑がここぞとばかりに――例の質問をぶつける。
「いまの薫に足りないもの、なーんだ?」
「身長!」
とお約束のリアクション。薫は食いぎみに返して、
――そうなんども同じ手は……
と、おでこをガードする。しかし――
むにむにぷにむに……
と予想外のアクション。歩邑は薫のほっぺを両側からつまむ。
――なん……だと……
と心中つぶやいた薫の口元がひっぱられる。
歩邑はニヤニヤ楽しそうだ。
「やえてくらさい……」
「うむ! 知識をさずけよう」
歩邑が手をはなし、ふんぞり返っていった。
と――こんどは薫をのぞきこんで、ウインクする。
「息つぎの正しいフォームは――上体をひねって顔を水の上にだす、だぞ」
「ひねるのか……なる……」
いつのまにか立ち止まった歩邑が、うしろから声をかけた。
「へっ?」とふり向く薫。
「右だね」と走ってきた歩邑がよこにならんだ。
「いまのは――?」
歩邑によると、無意識にふり向いた側で息つぎをするとスムーズにできるらしい。
「プールで練習しよ」
「おけ! 楽しみだな」
ちょっと意外そうな顔を向けた歩邑は、
「“ぷくぱ”の練習、おフロでもできるよ。宿題ね」
と目じりを下げた。