Story 21. トクベツとあたし
ポツキーをくわえた歩邑と薫が、至近距離で対峙していた。
鼻がふれあいそうな至近距離で。
紅潮した薫は、肩で息をしているのがはっきりわかる。
歩邑は――ほんの一〇センチ先にある薫の顔にテンパりすぎて、あたまの中がまっ白になっていた。
視界がぐにゃりゆがんで渦まく。
ドックン、ドックン、ドックン――
ただ鼓動だけが歩邑のなかで、ひびいている。
ふたりの対峙はとめどなく――つづくかに思えた。
「いつまで、にらめっこしてんのさ?」
と佳奈が茶化した。
――ヤバすぎて動けないの~
「いいや限界だ、押すねー」
とつぶやいたひまりが、そっと薫を押す。
予想外の行動に、薫はバランスをくずして――
歩邑には――すべてがスローモーションにみえた。
わずか数センチ先にある薫の顔がゆっくり、まさにゆっくりと近づいてくる。
ひまりにおどろかされて、目を大きく見開きながら。
――意外に長いまつ毛……瞳は赤っぽい茶色なんだ……
ぼやけた映像で観察ができるほど、ゆっくりと近づいてくる。
そして、ふたりの距離が――ゼロをしめす。
歩邑のやわらかな……くちびるに……
瑞々しいくちびるに……ふれた……
薫のくちびるが、ふれた――
「ひゃっ!」と声をあげたのは歩邑。
「どした?」と声をかけたのは薫。
いつのまにか歩邑は――帰りのバスで寝てしまっていた。
ドックン、ドックン、ドックン――
薫にきこえそうなほど、激しく強く高鳴っている。
「はぁー、はぁー……」
息もすこし荒い。
となりにすわった薫が不思議そうに、上気した歩邑をみていた。
佳奈が、ひまりと話したいから――と席を変わったのに、佳奈ひまコンビは熟睡中だ。
夢はみたものの欲望のあらわれ――などという話はほんとうだろうか。
――あたしの願望? ひゃああ……
両手でサンドした歩邑の顔は、ますます赤くなっていた。
「だいじょぶか?」
「ありがと、へーき」
△ △ △
西フォーラムで、お弁当をかこんでいた昼食タイム。
いや、すでに――おやつタイムだったかもしれない。
ゆるふわ口調ながら剛腕本格派のひまりが、どストレートを投げこんできた。
「佳奈はホント、松本が好きよねー」
否定する素振りをみじんもみせず、にっこりする佳奈。
歩邑はびっくりして佳奈の顔をまじまじとみてしまった。
薫は冷静だ。
「大事なセリフがぬけてるぞ――」
とすべてをみとおしている口ぶりで、まったく動揺をみせない。
「“をおちょくるの”――が」
理解したひまりは肩をふるわせ、佳奈はフフンと鼻で笑う。
歩邑は上を向いて――
「佳奈はホント、松本“をおちょくるの”が好きよねー」
ポンと手をたたくと同時に「おおー」とつぶやき、一連のやりとりを理解した。
「ホント、そうだよ」
だれとでも、わけへだてなく楽しくすごせる薫。
とくに佳奈とは、気兼ねのないつきあいをしているようにみえた。
歩邑は――“トクベツ”になりたいと思った、薫の。
△ △ △
「アライグマに似てるー」
「てか、初めて見たかも」
ケージ内をうろつくホンドタヌキをみた感想である。
ムササビ舎で空振りした一行は、つづいてやってきたこの舎では住人に会うことができた。
紹介パネルに、こうある。
「タヌキは日本・朝鮮半島・中国など東アジアに分布しており、ホンドタヌキは本州・四国・九州に生息する日本の固有種です。
タヌキは、日本では昔話やアニメに登場するおなじみの動物ですが、世界的にみればとてもめずらしい動物です。
夜行性であり、昼間は穴の中や木の上で寝ている――」
「不眠症かなー、この子」
「昼夜ひっくり返った不健康な一匹かもな」
ひまりと薫の会話に、佳奈がわりこんだ。
「健康的じゃん! 昼おきてんだし」
「たしかに」「たしかに」
強引にくわわろうとした歩邑の思いつきが、三重奏をみちびいた。
「夢遊病だったり――しない?」
「しないー」「それはない」「ないわ~」
「あははは、だよね~」
柵の向こうをぼんやりながめながら、薫は真面目モードに入っていた。
タヌキは日本では……おなじみの動物ですが、世界的にみればとてもめずらしい動物です――
――いいかえれば……
身近すぎてその価値に気づくことのできない存在――
「ぼくにも……あるだろうか」
薫は――“トクベツ”をみつけたいと思った、じぶんの。