【SIDEシャルル】希望的可能性
その少女は野生味を帯びていた。
山を駆け巡り自ら狩りをする狐狼のような鋭敏さで、あっさりと僕の武器を奪ってみせた。
もっともその刃が向いた先は彼女自身だったのだが。
彼女は、あるいは彼らは自分たちを商人だと言っているけれど、それはブラフだろう。薄汚れた絹混のタブレットこそ商人のそれではあるが、しかしそうでないことは姿勢からも一目瞭然だ。
背の高い男のしゃんと伸びた背筋は武闘家のそれであるし、少女の細腕で物資運びはあり得ない。
なによりも、この少女とは出会ったことがある気がしてしまう。
客間から地下の幽閉所に向かう中で、ジョセフが先導し、その後ろに少女、男、最後尾に僕が並ぶ。
僕は思い切って男に話しかけた。
「おまえたちは、誰だ?」
「別におまえに知られるような人間じゃない。ただの市井の商人だ」
「そ、そうなのか?」
市井の商人であれば、すぐそばに皇子がいれば名前を売るものではないだろうか。
「あの少女の名前を聞きたい」
「なんども言うが商品じゃない。ダメだ」
男にはとりつく島もない。
「そもそもおまえたちは、どうしてパルの呪いを解くことができるんだ」
「それは言えないな。国家機密だ」
国家機密とはどうにも大仰な言い回しに感じるが、それがなぜかはわからない。
いずれにせよ、パルは音術による呪いに掛かっている。何者かがパルに施した。国一番の音術師でさえも除術できない呪いである。
そもそも音術はノーザウン固有の技術だ。だからこそ、パルが呪われたことは大きな問題を孕む。
誰がパルに呪いを掛けたのか、ということだ。
国内の誰かの仕業であればそれは反逆罪であるし、国外の誰かであれば音術が流出しているということになってしまう。その上で、僕の知らない人間が唐突にやってきて、パルの呪いを解くことができる?
いや……まさか。
僕は前を歩く少女を見て、ある可能性に思い至った。
しかしまさか。
そんなことは。
パルに呪いを掛けたのがノーザウンの音術師で、今はもう国外に出ているとすれば。
その音術師がいま、目の前に帰ってきているとすれば。
例えば、リズ・ブラックヴィオラ。
聖歌学園で神の遣いに選ばれるほど優秀であり、現在彼女はノーザウンから失踪している。なにより、彼女は僕の元婚約者だ。
でも、彼女がリズであるわけが……。
ダメだ。
リズのことが頭から離れない。
そもそもリズは、あのときパルの呪いを解けなかったじゃないか!
しかし、もしそれがブラフであればどうだろう。実際は除術はできたが、あえてパルの呪いから解かなかったのだ。そうする必要があったから。
そしていま、目の前に戻ってきてパルの呪いを解こうとしているとすれば。
辻褄が合っている。気がする。
しかし、そんなことがありえるか?
リズが弟のように仲の良かったパルを意識不明に追いやるだなんて。
ただ僕は、リズのことがわからない。
彼女のことをよく知らない。
何を考えているか、それを知るすべがない。
頭の中が彼女の中でいっぱいになり、なぜ僕が彼女を手放したのかさえ曖昧になっていく。僕たちは互いに愛し合った婚約者だったはずだ。
それが、いつの間にか。
いや、それには明確な理由がある。
カノンだ。
市井に生まれたが、圧倒的な才能を持って聖歌学園に受け入れられた。
貴族の中ではあまりにも目立つ素朴な容姿と、世間ズレした朗らかさ。僕は彼女の学園生活をサポートする中で、徐々に彼女に惹かれていった。僕はカノンを目で追うことが増え、同時にリズが物足りなく感じてしまうようになった。
そのうちに、貴族然としたリズがあまりにも凡庸に見えてしまったのだ。
そしてついに、リズはパルの呪いを解けないと知り、同時にカノンはまだ可能性があると信じることで、僕はリズからカノンに乗り換えることを正当化したのだった。
つまり、唆されたということだ。
僕は本来リズと結ばれるはずだったのに、不可避の誘惑によって現実を歪められてしまった。
そうだ。
僕はリズを愛していた。
リズ。
リズ。
リズ。
ああ、リズ・ブラックヴィオラ!
なぜ僕たちはいま、隣に立っていないのだろう!
僕はリズに対する気持ちの大きさを、いま再び思い出さされた。おそらく僕は、リズなしでは生きていくことは不可能で、だからこそいもしないリズを目の前の少女に重ねてしまうのだ。
そんなものは、妄想でしかないのに!
「——ああ、リズ」
なんとも愚かなことに、僕の口から彼女の名前が溢れた。今の僕にはカノンという婚約者がいるのだから、その名前をこんな風に口にすることなど失礼だ。
が、そこで不思議なことが起こった。
男と少女が立ち止まり、こちらを振り返ったのだった。
その少女の顔はと言えば、なんだか特徴がなくてリズとは違うように思える。
しかし、その背丈も、雰囲気も、彼女はリズ・ブラックヴィオラとよく似ているように思えた。
「どうしたのだ」
ジョセフが不思議そうに少女に尋ねた。
なおも、少女は僕の方を見ていた。
失礼なことを承知で、僕はもう一度その名前を口にしてみた。
「リズ。……リズ・ブラックヴィオラ」
僕が口にすると、少女はこちらにやってきた。
そして僕の目をまっすぐ見据えて、言うのだ。
「——きっとパル君をお救いします」
ああ。
ああ。
彼女はリズだ。
だとすれば、彼女はパルに呪いを掛けた張本人で、尚且つその呪いを解きにやってきたのか?
いや、そんなことはもうどうでもいい。
リズ・ブラックヴィオラ。
彼女が僕の元へと帰ってきたのだ!




