お姫様抱っこの理由
ディミトリも私からの攻撃は想定になかったようだ。
無防備な顔面は歪むように揺れ、そのままディミトリは白目を剥いた。意識を刈り取ることに成功したのだ。
「お、お嬢様! 流石です!」
「なんてことだお嬢様は女神様ですか!」
「ザイレント万歳! ザイレント万歳!」
「お嬢様こそザイレントの王女にふさわしい!」
「これこそが、神の導きなのです!」
「すぐにディミトリ様にトドメを!」
「殺さなければ」
「殺せ」
「殺せ」
「殺せ」
殴った手が痛い。もしかしたら指の骨が折れたかもしれない。リズ。ブラックヴィオラの肉体は本当に脆弱で困ってしまう。
ディミトリは膝から崩れ落ち、ばたりとその場に倒れた。ただし彼は頑丈なので、これで死ぬようなことはない。
「さぁお嬢様! トドメを!」
私たちを囲む騎士に一人一人目を合わせると、誰もが目を血走らせていた。
正気でないのは明らかだ。
「ごめんね。私はディミトリを助けたいの」
先ほどディミトリを気絶させた張本人の言葉に、騎士たちはぽかんとしてしまった。
「……何を言っているのですか? お嬢様」
周りの気配に気を配る。
おそらくノーザウンの兵士たちにも囲まれている。同志討ちで済むのであれば特に手を出さないつもりなのかもしれない。
勝手に身内で揉めた、という言い訳が何かの役に立つのだろう。
「つまりね、一旦みんなを倒しちゃえば、問題ないでしょう」
味方で揉めて混乱してもしょうがない。
簡単な精神異常であれば、大抵の場合は一度気絶させれば効果は消えるのだ。
一旦私が全員を気絶させ、私の魔法体力回復後に回復魔法をかければ問題ない。
「ということで、ちょっと痛いけど我慢しててね」
私は最小限の攻撃で仲間の騎士たちの意識をすべて刈り取った。
それは極めて簡単な仕事だった。
「……さて」
どうやらここまでお膳立てしても、ノーザウンの兵士は仕掛けてこないみたいだ。
こちらは15歳の少女が一人だけだと言うのに。
まぁそれならば、魔法体力の回復を待ってディミトリの怪我を治し、ジョセフの元に戻れば良いだろう。
別にノーザウンの兵士に恨みはない。
ただ、一人を除いては。
私はその気配の方向に一目散に走った。私に目を止めたノーザウンの兵士たちも、私に襲いかかってくることはない。
そりゃ、そうだよね。
格が違うから。
私は櫓門へ走り、そのまま駆け上がった。
レンガ壁に身を隠しているのは若い弓兵で、ディミトリを射抜いたのはこの男だ。
私が睨みつけると、彼はまるで少年のように震え上がった。
「いい腕だね。その集中力があればきっと、いい魔導士にもなれたかも」
「え……?」
集中力の高さはそのまま魔法体力の高さに直結する。私は彼の頭に手を当てた。
「魔力吸収」
マナ操作の源泉、魔力を私は吸い始めた。
どう?
気持ちいい?
まるで寝不足みたいに彼は微睡に襲われているはずだ。でも大丈夫。それだけだから。いずれ気を失うとしても、本当にそれだけ。
あなたはディミトリを傷つけた。
それはそれは許されないことだけど。でもこれだけで許してあげるよ。
「あ……あっ…………あ……」
うん。本当に思った通り、才能のある少年だ。
将来有望なあなたの将来を潰すわけじゃない。ただこの瞬間は戦闘不能になってもらうし、あなたの魔力のおかげで私の力は復活する。
わかるかな?
ノーザウンの優秀な弓兵の君が、君たちの作戦を台無しにするんだよ。
◆ ◆ ◆
魔力を吸収し、魔法体力は16分の1程度は回復した。
まぁ心許ないが、今はこれでなんとかするほかない。私はディミトリは仲間の騎士の一人一人の意識を回復し、最後にディミトリの回復を行った。
「……俺はいったい……」
「やっと目を覚ましましたね。折れた腕のお加減はよろしいですか」
ディミトリは上体を起こし、ぐるぐると腕を回した。
「問題ないな」
「それじゃあ、行きましょうか。ジョセフ様も待ちくたびれてしまいますよ」
「……あ、ああ。ところで先ほどまで、だいぶおかしなことに巻き込まれていた気がするのだが」
その件については、皆おそらく音術にやられていたけれど、皆一度気絶させ、その上で回復させたので問題ない……とは少し言いづらいな。
「さあ? 気のせいじゃないですか」
「気のせい? 俺は顔に衝撃を受けた気がするんだが」
「間違いなく気のせいですね。ほら、相手方にきているのですから、早くしますよ」
ディミトリは狐に摘まれたような顔をして眉間をつまんでいる。
「…………問題ないんだな?」
それは私を信頼していいのか、と言っているようだ。
ディミトリにはもう少し私を信じて欲しいので、はっきりと返した。
「ええ、もちろん」
ディミトリは、ため息混じりに笑った。
「本当に、おまえには敵わない」
私は仲間たちの回復で魔法体力を使いまくってふらふらの状態だった。
前世の要領で魔法を使うとろくなことはなく、先導して歩こうとしたらよろけて転びそうになってしまった。
それを支えてくれたのは、やっぱりディミトリだ。
「疲れてるんだな」
「まぁ、多少は……。——え、うわっ!」
私は唐突に彼に持ち上げられた。
「な、なにするんですか!」
「別になんでもないさ」
私は彼の両手の輪っかに、体がすっぽり収まっていた。
それはようするにお姫様抱っこで、彼の体温をダイレクトに感じた。すぐそばに彼の顔があって、この人は本当に精悍な顔をしているんだなと場違いなことを思った。
「やめてください。恥ずかしいです!」
「ダメだ」
「べ、別にちょっとふらついただけなので、自分で歩けます」
「だろうな」
……だろうな?
「……だから、抱っこしてもらう必要はないと思います」
「そうだな」
この人は、いったい何を言っているのだろう。
じゃあいま抱っこしていることが意味不明!
私は足をバタバタさせるが、ディミトリはしっかり掴んで降ろしてくれない。
「どうして降ろしてくれないんですか」
「……そんなこともわからないのか?」
意地悪な顔でディミトリは笑った。
意地悪な顔なのに、どうして頬は少しだけ赤くなっているんだろう。
「仕返しだ」
……殴られたの、しっかり認識してたんですね。
確かにお姫様抱っこだなんて子供みたいで恥ずかしいし、みんなに見られるのもこそばゆい。
でも、私は足をバタバタさせるのをやめた。
仕返しだっていうのなら、動揺なんてしてやるもんか。
私は彼の首に腕を回した。
これでもっとお姫様抱っこも安定するだろう。
いいもん。別に。
少し恥ずかしいけれど、それが嫌なわけじゃないんだから。