ハイドルト家の音術師
ノーザウンを出てから数日が経ち、通りかかる人々の言葉が少しずつノーザウン訛りになってゆく。
どういう仕組みかはわからないが、前世も今世も、私が言葉で不自由することはなかった。すべての言葉が、私には日本語の範疇に聞こえた。
国を跨ぐと文化も違い、ノーザウンはザイレントよりも色味の少ない服が好まれている。全体的にシックだ。そんな様子一つ一つが私には楽しい。
「おまえは相変わらず元気そうだな」
「はい! 旅行は好きですからね」
本来であれば馬車の旅なんてお尻が痛くて仕方ないと思うのだけど、私は自動回復が掛かっているので快適だ。
前々世ではブラック企業勤めで常に体調が悪かったのだけど、前世で冒険者として魔法を極めて以降普通に暮らすにも過ごしやすくなった。
「ところで、これからどこに向かうんですか?」
「まずはハイドルト家だ」
その家名には聞き覚えがある。
たしか、メロディアスキングダムの登場人物の中にハイドルト姓のキャラクターがいたはずで、頭をめぐらせたら思い出した。
マイカ・ハイドルト。
リズの取り巻きの一人。
高い音術の技術を持ち主人公のカノンに高圧的な態度をとるものの、すぐに鼻っ柱をへし折られる噛ませ犬である。
ハイドルト家は侯爵家であり、夫人のマーズ・ハイドルトは高名な音術師でもあった。
技量の高いノーザウンの音術師であれば、ディミトリに虫を仕掛けた犯人の候補だ。
虫は誰によるものかを突き止めること。
パルの呪いを解き、命の危機から救うこと。
この二つが私がこの旅の中にで行う大目標だ。
ところで、ノーザウンの侯爵家とザイレントの王子はいったいどんな繋がりがあるのだろう。
「なにかご関係が?」
尋ねると、ディミトリはバツが悪そうにそっぽを向いて答えた。
「少し……な」
◆ ◆ ◆
「今回の縁談はお断りさせていただく」
「そんな、わざわざディミトリ様ご本人にご訪問いただけるとは……」
ハイドルト家はまるでお城のような大豪邸だった。
敷地は庭師により手入れされ様々なバラが咲き誇り、高い天井のエントランスには数々の調度品が飾られている。
客間に案内されるとそこには座り心地の良いソファーがあり、毛足の長い絨毯をとってもノーザウン、あるいはハイドルト家の豊かさが感じられた。
私は書記官という体でディミトリの側についており、何を話すのかと思えば縁談のことらしかった。
そういえばマイカは調子に乗りやすい性格で、ゲームの物語上でも『異国の王子との縁談が進んでいる』という話をしていた。まさかそれがディミトリのことだったとは。
「ディミトリ様には縁談の申し出なんてたくさんくるのでしょう。わざわざここにいらしたというのは、娘に見込みがあったということかしら?」
この家では夫人であるマーズ・ハイドルトが実権を握っているのか、夫もマイカも肩身を狭くして黙っていた。
ちなみに私には回避率上昇の魔法をかけている。本来、敵の攻撃を避けるための魔法だが、その効果は人物の認識を阻害させるもの。
マイカはリズと親しいはずだが、私がリズだと気づくことはない。
「俺は誰に対しても胸襟を開いているつもりだ。ただ、婿に来いというのはあまりにも傲慢じゃないか?」
ディミトリの視線が厳しくなった。
ノーザウンとザイレントでいえば前者の方が格上の国家である一方、侯爵家の令嬢と王子で釣り合うかといえば微妙な話。
そのうえで婿とは。
もちろん、ノーザウンからすればそれは理解できる申し出である。
音術に関する高度な知識を有するハイドルト家から、その情報をザイレントに無性で渡すことなどできようがない。
属国になるならば、共有しよう。
おそらくそんなメッセージ。
ディミトリの言葉によって、マーズの額の青筋が怒張した。彼女からしても、自分の音術に対するプライドがあるようだ。ますます怯えるようなマイカは少し不憫だ。
私はディミトリの隣でマーズの様子を注意深く窺う。
マーズはディミトリに虫を仕掛けた容疑者だ。ディミトリと対面する機会があり、高度な音術ができる人間というのはそう多くはない。
もし彼女が仕掛けた張本人であるのならば、バグのいなくなったディミトリを見て何か反応するかもしれない。それを踏まえ、ディミトリは挑発的な対応をとっている。
「傲慢ということはないでしょう。ノーザウンとザイレントの発展のためには、ねぇ」
ディミトリに呼応するように、マーズの態度も無礼になる。
「勘違いしているようなので教えてやろう。ザイレントはすぐにでもノーザウンを凌駕する。豊かさでも、武力でも、だ」
「あら、それは問題発言ではないかしら?」
「どうだろうな。……そうだ! おまえの娘なのだが、公妾の席であればあけておこう」
「公妾……ですって?」
マーズは怒りにわなわな震えた。
それにしても、ディミトリの言葉には私も頭を抱える。侯爵家の両親がいる中で、娘を愛人にしてやる、だなんて。
「今日言いにきたのはそれだけだ」
一方で、ますます小さくなるマイカの目元には涙が浮かんでいた。
それはどんな意味だろう。
もしかすると彼女は、ディミトリとの婚姻を望んでいたのだろうか。
◆ ◆ ◆
私たちはハイドルト家を後にして、再び馬車に揺られていた。
「どう思う? リズ」
正直、たいそう気の強いご夫人だなと感じただけで、特段おかしなところはなかった。ディミトリに対して何かを探っているような様子も見られなかったと思う。
「彼女が何かしたとは思えません。もっとも、巧妙に隠されていればそれを判別するのは難しいですが」
「俺も同じ見立てだな。ハズレか」
涼しい顔でそんなことをいうディミトリだが、私はそれが癇に障った。
「ところでディミトリ様。公妾の席をご用意するとのこと、大変楽しそうですねぇ!」
「あ、ああ。いや……。ほら、これはなんというか、言葉の綾で。本当にそんなことで迎え入れるつもりはない」
「なーんだ! 私、勘違いしておりました! ディミトリ様は私と一応は婚約をしているにも関わらず、別の女性とも関係を結ぼうとしている愚か者なのかと! ですよね! ディミトリ様はそんなことしないですよね」
「も、もちろんだ! 相手の油断を誘い出すための言葉だよ」
「素晴らしい策謀です! もっとも本当に、私と結婚した後に公妾を迎え入れるようなことがあれば——」
それにしても馬車の車は微風が心地よい。
にも関わらずディミトリの顔からは汗が噴き出ている。
「——刺してしまうところでした!」
どこまでも晴れ渡る晴天。
そんな清々しい天気のもとで、私たちは笑い合った。