悪役聖女
シャルルのお伝えごとは終わったので、私が舞踏会に残る意味もないだろう。
広間で人の間を縫ってクーシャを探した。
その間もみな私を指差して嘲笑いを浮かべていた。なるほど、そういう意味でディミトリの提案は悪くないかもしれない。私はこれから後ろ指を差され続けるわけだが、婚約という話題があればその限りではなかったかも、なんて。
ただ、終わったことをネチネチ考えてもしょうがない。
使用人の溜まり場にクーシャを見つけ、私たちは連れ立って帰途についた。
「あの、実は寄る場所がございまして」
馬車に揺られて彼女に連れてこられたのは森にほど近い辺鄙な場所で、ずいぶん古い石造りの建物があった。飾り気のない建物にはがっしりした錠前がある。ちなみにこんな場所はメロディアスキングダムには出てこない。まぁ、私が辿り着けなかったルートではその限りではないけれど。
馬車から降りると月はいつの間にか雲で翳り、ポツポツと雨粒が落ちていた。
寒くてずいぶん寂しい夜だ。
クーシャが錠前に手をかけた瞬間に、こちらに振り返った。
「あの、お嬢様……お逃げを」
言った瞬間、ドアが開いて大柄の男が出てきた。男はあまりにも機敏にクーシャを持ち上げ、そして口元を抑えつけた。
「なんだ? 嫌味たらしいお嬢様はみんなの嫌われ者じゃなかったのか?」
「ちょっと! クーシャに何しようっていうのよ!」
さらに2人の男が出てきて、私を取り囲んだ。全員が不気味な仮面をつけ、帯剣している。
クーシャが抱え上げている男が言った。
「別にこのお嬢ちゃんには用はないさ。重要なのはあんただからな。まぁ、そうだな……。このお嬢ちゃんを返して欲しければ中に入れ」
男は無機質な建物の中に入って行った。
クーシャとは先ほど出会ったばかり、しかし彼女を置き去りにしてどこかに行くなんて選択肢は私にはない。
彼に続いて部屋に入る。
その後に二人も入ってきて、扉は閉められた。
「クーシャに何かしたらただじゃおかないんだけど」
「ああ、いいよ。じゃあまずはお前、裸になれ」
唐突な言葉に、私は言葉を失った。
「いいか? おまえはシャルル皇子の婚約者であるカノン様を侮辱した。不敬罪で殺されることになる。ただ、元はシャルル様の婚約者だ。そんな相手が処刑になるなど皇家の名折れ。おまえは婚約破棄に心傷で失踪したことにする」
私は徐々に、頭の中にメロディアスキングダムのシナリオが思い出された。
「こんなところで殺されても誰も助けにこないから、まぁ諦めることだ。ただ無駄死にするのは嫌だろう? せっかくならクズのようなおまえだったとしても役に立ってから死ねばいい。いう通りにすれば、このチビは助けてやろう」
シャルル闇堕ちルート。
パルの除術の失敗が確定し、リズの悪評がとんでもなく蔓延ったときに陥る最悪のルート。リズは婚約破棄の後失踪。その後に訪れるパルの死によりシャルルは精神を犯され、皇帝となる彼によるノーザウン帝国の軍事化推進とその後の破滅。
ゲーム随一の胸糞シナリオはカノンが遊び呆け、かつリズの悪評をばら撒きまくらなければ辿りつかない。ゲームとはいえそんなムーブはしたくないので、私は攻略サイトでしかその存在を知らない。
ゲーム上ではリズの失踪についてはあとで報告されるだけなので、何が起こったかなんて描かれない。まさかこんなことになっていただなんて……。
仮面の男たちは3人。
おそらくリッサのときの要領で戦えば負けることはないだろうが、肉体はリズだ。確証はない。それにクーシャが人質に取られているので下手は打てない。
「さぁ、選べ。ただ死ぬか、勇敢にも僕徒を守って死ぬかを」
私はドレスの首元に手をかけた。それだけで男たちの下卑た笑い声が上がる。
クーシャを拘束していた男と目が合う。
私はゆっくりとドレスを解く動作を行いながら、魔法を練って視線を通して仮面越しの彼に伝えた。
すると彼は、頭がふらりと傾き、クーシャの拘束が解かれ、ガタガタと彼は地面に倒れた。
「……おい、どうした?」「大丈夫か?」
スリーピィの魔法を正面から受けたらそうなることは必然だ。大丈夫、魔法はぜんぜん前の世界と変わらない。
クーシャは私に走りより、抱きついてきた。
「お嬢様!」
私は振り返る。
さて、こうなって仕舞えばあとは二人だけ。一人が倒れたことはそれなりに怪訝に感じるだろうが、しかし彼らからすれば目の前にいるのは女子供が二人だ。
何が起きたかもわかっていないだろうし、相変わらず意識は弛緩している。
クーシャも近くにいるしもう大丈夫だろう。
と、油断したときだった。
唐突な爆音は、ドアが破壊された音だった。ドア付近にいた仮面の男たちは、その衝撃に吹き飛んでそれぞれの壁に打ち付けられた。それだけで動けなくなるほどの衝撃みたいだ。煙が巻き上がるほどの衝撃に爆弾でも使ったのかと思ったが、違った。
現れた長身の男は、背丈ほどもある幅広の大剣を握ってそこに立っていた。
それを使って爆弾のような衝撃を起こしたのは明らかだった。
男は部屋を睥睨し、一言発した。
「なんだ、必要なかったか」
それは殺気だつ圧迫感と共に。
死はすぐとなりにあると言わんばかりに。
ディミトリが、そこに立っていた。
視線がかち合い、緊張が走る。
魔法が使えなかったとしても、彼の放つ雰囲気は魔王のそれだ。どうしてそこにいるのか。目的も、誰の味方かもまったくわからない。
とにかくクーシャだけは助けなきゃ。
私は慎重に言葉を選ぶ。
「あなたも私を殺しに?」
大丈夫だ。
私は元聖女。まともにやりあえば、勝てる。
緊張がピークに達したその瞬間。
私の緊張をつゆとも知らず、彼は相好を崩した。
「クク、ククク」
「な、何がおかしいのよ!」
「はっはっは! どうして助けに来たのがわからないんだ」
助けに……来た?
え? 助けてもらえることってあるの!?
「狐に化かされたような顔をして、本当におかしな女だ」
現在の私は一応公爵令嬢であり、15歳の女の子でもある。であれば、確かに助けられることもあるかもしれない。でも、前世はずっと助けられる側だったから、助けられるなんて忘れてた!
……いやしかし、そんなに簡単に信じていいものだろうか。そもそも彼は素性もわからない男だ。
周囲を確認すると、最初にスリーピィで寝かせた男は相変わらず爆睡中で、他の二人は壁に打ち付けられた衝撃で気を失ったまま。
「どうしてここがわかったの」
「噂ぐらいは聞くさ。今日おまえが殺されるかもしれないとな。だからつけてきた」
「わざわざこんな僻地まで助けに来てもらえる理由はない」
「おいおい、俺はおまえにプロポーズしたばかりだ。惚れた女を助けて何がおかしい」
大真面目にそんなことを言う彼の真意が掴めない。
「まさかあれが、本気だと?」
「信じてもらえないとは心外だ」
一歩二歩と、彼が私に近づいてきたので私の体は強張った。
いつの間にかしがみついていたクーシャは離れていた。
私の目の前で、その男は跪いた。
「俺の名はディミトリ・バルクルス。ザイレント王国一の騎士にして第一王子」
王子。
それもザイレント王国の。
確かにこの人はメロディアスキングダムには出てこないが、しかしザイレント王国は知っている。
それは闇堕ちしたシャルル率いるノーザウン帝国が滅ぼす隣国の一つだ。
ザイレントの他いくつかの国が滅ぼされた後、ノーザウン自ら革命によって破滅する道を辿る。
エンディングで名前だけ出て踏み潰される隣国がザイレント。
その王子で名前さえ出ないのが目の前のディミトリ・バルクルス。
彼は、頭を垂れて私に手を伸ばした。
「麗しの姫君よ。どうか俺と結婚してくれないか?」
魔王のような圧迫感を放つ男。
しかしこの人は、きっと死ぬのだろう。
いずれ狂い出すノーザウンのために。
この私に一目惚れしたと言い張り、そして危険地帯に単身乗り込んできてくれたこの王子は。
私はそんな彼に、何か一つでも返しただろうか。
「その手を取ることは、できません」
「ほう。なぜだ?」
「私とあなたは、出会ったばかりなので」
彼の顔が、少しだけ寂しげに見えたのは気のせいだろうか。
「それは残念だ」
「……ですが、私をザイレントに連れて行ってくれませんか? もう私には、ノーザウンに居場所なんてなさそうなので」
せめて、そんな未来を捻じ曲げるくらいのことはしてあげなくちゃ。前世では世界を救ったこともあるんだし、国の一つくらいなんとかしなきゃ。
ノーザウンでは悪役でもいい。
私は、悪役聖女なんだ。