【SIDE シャルル】唯一の選択肢
「君のことを特別に思っている。これを受け取って欲しい」
リズに婚約破棄を伝えたその日、僕はカノンにそう伝えた。
そして僕は木箱を開いて、彼女に金に光るアクセサリーを見せた。
「ブレスレット……ですか?」
「君にはいずれ、メルバーティになって欲しいと思ってる。その、証さ」
出会った頃、カノンは僕という存在に戸惑っていたのだと思う。
なにせ僕は皇子で、カノンは平民だ。だからこそあっかんべーなどという理解不能なことをしてしまったのだろう。
しかし時間は僕たちの距離を溶かして、違いに尊敬し合える存在となった。
僕と結婚すればカノンは、貴族どころか皇女となる。それはプレッシャーもあるだろうが、彼女からすればこの上ない喜びのはずで——。
「これは、受け取れません」
「——え!? なんで!?」
皇子が求婚しているのに断られるって、ある?!
「そ、そんな! 僕と結婚すれば、カノンは皇女になれるんだぞ? わかってる」
「ええ。でもこのブレスレットは、リズさんに似合いそうです。腕の金色も、埋め込まれているルビーだって彼女のよく着るドレスみたい」
「はは……そうかなぁ……はは、偶然偶然」
するどい。
実際には、これはリズのために作ったものだった。
ただし、それを渡すよりも前にカノンのことが気に掛かってしまい、リズに渡しそびれていた。
違う少女のために作ったにせよ、意味合いは同じなのだし問題ないだろう。
と……思ったのだが。
彼女は木箱を、そっと閉じた。
「まだ私は、シャルル様の特別になっていないのでしょうね」
「そんな! そんなことはないだろう!」
僕が釈明を考えている間に、彼女はその小さな手で、僕の手を包んだ。
カノンは拒否したわけではなかったようだ。
「どうか私を、シャルル様の特別にして欲しいと思います。……あの、頑張ってみてください」
……頑張って?
城のテラスの夜空の下で、彼女はらしからぬ妖艶さで僕に笑った。
◆ ◆ ◆
カノンの言った通り、僕は頑張らなければならないようだった。
何せ僕はまだカノンのフィアンセではなく、さらにその座を狙っている男は僕一人ではなかった。
友人であり、リーリッカルド公爵家の次男であるフランソワは相変わらずカノンと親しい距離を保っているし、騎士団長の長男であるワイズリー・ドノバンもカノンとよく出かけるそうだ。
また、代々医官家系のヨシュア・クロキも蔵書室で頻繁にカノンと会っており、アプローチをかけていると聞く。
カノンは平民であり、現在特定のフィアンセもおらず政略結婚する必要がない。
しかし将来的には、国の中枢で働くだけの才能を発露しつつある。
そして何より、可憐で独特で不思議な少女だ。誰もがカノンを籠絡しようと躍起になっていたことに、僕は今更ながら気がついたのだった。
僕は皇子だし、見た目も良いからすべての少女は僕が望めば親しくなることができた。
今までは。
カノンだけが違ったのだ。
「カノン、行こうか」
「ほらカノン、プレゼントだ」
「よかったらカノンの生まれた土地を案内してくれないか」
僕は彼女の気を引くことに必死だった。
誰かに彼女を奪われることはどうしても許せなかった。
そして、この結果は確かについてきた。
「いいですよ、シャルル様」
「シャルくんって呼んでもいいですか?」
「お母さんも皇子様を連れてきたらびっくりしちゃうだろうな!」
僕は確かにライバルたちから一歩抜け出し、カノンと親しくなっていった。
それは特別な体験だった。
皇子である僕は、いままで特別なことをしなくとも誰とでも仲良くなることができ、誰かの特別になるために必死になることは初めてだったから。
「なぁカノン。改めて聞きたい。僕のフィアンセになってくれないか?」
「……嬉しいです。シャルくん」
僕はカノンの特別になったし、カノンも僕の特別になった。
そしてそれは、僕たちの関係が固定されたことを意味した。僕たちは仲良くなりはしたが、しかしそれは僕の継続的な努力が前提だった。
「シャルくん、繁華街に遊びに行こうよ」
「わぁ、このネックレス可愛いな。欲しいかも」
「明日はフランソワくんとお出かけするね」
僕と特別な関係になったとしても、カノン自身は変わりはしなかったのだ。
「フランソワと!? 君は僕のフィアンセではないのか!?」
「え? そうだけど?」
「ならば、他の男子と出かけるのは慎むべきではないのか?」
「なんで? もし皇女になったら、いろんな人と交流が増えるはずでしょ。このくらいのことで動揺されたら困るよ」
「……それは……確かに」
「シャルくんは皇子なんだから、どーんと構えてて欲しいな」
カノンは毎日のように誰か他の男と遊び呆け、一方で僕からの愛情を求め続けた。
僕は彼女のことが理解できず、だからこそカノンに僕を見続けさせることに必死になった。他の男にカノンが取られると思うと、いてもたってもいられなかった。
僕は彼女にイライラさせられつつも、時折彼女の歌声を聞けばすべてが忘れられた。
彼女がどれほどわがままだったとしても、彼女の神聖さは変わらなかったのだ。
素晴らしい歌い手。
出会ったことないほどの音術師。
少なくとも僕にはそう見えた。
だからこそ、僕はカノンに一つお願いをした。
「カノン、僕の弟を見てくれないか?」
カノンは平民だから、通常は寝たきりの皇族に面会することなどはできない。しかし、現在の彼女は少しずつ名声が積み上がり、将来を嘱望される音術師の一人だ。
僕は父上に話を通し、彼女をいよいよパルの寝室へ通した。
「パルは何者かにより呪いを掛けられ、ずっと寝たきりなんだ。僕はどうしても彼にもとの元気な姿を取り戻して欲しいと思っている。君の力で、どうにかできないだろうか」
カノンは珍しく緊張の面持ちで、パルのすぐそばに座った。
そして彼女特有の囁くような歌声で言葉を紡ぎ出した。
美しくて心地の良い、心に染み込むような歌声。隣で聞いている僕の頭の中でさえ、まるで小さなカノンが踊っているような。
そんな、心地よくも楽しい時間は唐突に終わりを告げた。
ぱつんと彼女の歌声が途切れ、僕は現実に引き戻された。
カノンは、ぼんやりとパルを見ながら言った。
「助けられるかもしれないね」
たすけ……られる?
とっさに僕は、意味が理解できなかった。
いま、なんと言った? 助けられると言ったのか?
「それは、パルが元に戻ると言う意味か?」
「うん。それが良いことかどうかは別として」
良いこと?
そんなもの、良いものに決まっているのに、どうしてカノンはそんなことを言うのだろう。
「まぁでも、確実とは言えないけど」
「十分だ! 可能性があるのなら、どうかパルを助けてくれ!」
第一席の音術師さえ諦めたパルの除術。
もし可能性があるのであれば、僕はなんだってする。僕がそう思っているのであれば、カノンはそれを受け止めてくれる。
なんて。
僕はいつのまにかそんな幻想をカノンに抱いていたのかもしれない。
「助けたら、どうなるの?」
「……どうなる?」
「だって、弟くんの呪いは国一番の音術師でも解けないものなのでしょ? 私が解いたら、凄いことじゃん。だったらそれ相応のことが、あってもいいよね?」
つまるところ彼女は、対価を要求するつもりらしかった。
「カノン……。君は、このままいけば皇女になれるんだぞ。それ以上に望むものが、あるというのか?」
「皇女になったらたくさんのことに縛られるでしょ。私はたくさんのものを捨てるの! それをシャルくんは、わかんないの!?」
突然の激昂に、僕はますます混乱した。
それはそうだ。皇女になれば様々なことが求められる。会食などの政治活動で自分の時間はなくなるだろうし、出会う人を自分で選ぶことも難しくなる。また作法も厳しく指導されることになるに違いない。
「カノンは、僕と婚姻をしたくはないのか……?」
「そんなわけない。でも、私は自由でありたい」
まっすぐ目を見つめられたままつむがれる、理不尽な言葉。
僕はそれを、受け止めきれない。
「……君は、パルを助けられるのか?」
「今はダメ。でもそのうちできると思うよ」
「そんな……無責任な」
愕然とする僕に、カノンは言い放った。
「私はたぶん、もう少し音術を極めればパルくんを治せるよ。でもそのときには、私が自由な皇女になれるようにシャルくんに保証して欲しい。皇帝くらい自由な皇女に。いいよね?」
ギラギラと輝くような、カノンの瞳。
彼女は、皇帝になりたいと、そう言うのだろうか。
怪物だ。
僕にはそう見えた。
ああ。
ああ。
でも、それは僕が悪かったのだ。
僕が勝手に、カノンを僕の中の理想に押し込めていたのだから。
『たぶん、もう少し音術を極めればパルくんを治せるよ』
それは不確実で、なんの後ろ盾もない言葉。
そしてそんな甘言は、別の誰かからも聞いた気がした。
『確かに音術でパルくんを救うには至れませんでした。しかし、別の方法であれば——』
リズ。
それはリズが別れ際に言った言葉。
リズ。
公爵家の娘で英才教育の施された、美しくも謙虚で、そして皇女になるのはどういうことかがわかっている娘。
僕は戯言だと切り捨ててしまったが、もしリズが本当にパルを救う方法に近づいていたのだとすれば。
本当に今更ながら、僕はリズに会いたくてたまらなくなってしまった。
ああ、リズ。
リズ。
リズ。
しかし婚約破棄をして以来、彼女は失踪してしまったと聞く。僕は本当に、取り返しのつかないことをしてしまった。
リズがいない今、目の前の怪物は僕にとって唯一の選択肢となったのだ。