【SIDE シャルル】婚約破棄のエトセトラ
祈音祭ではリズが神の遣いを務め、祈歌を歌い上げた。
聖堂には彼女の透き通った歌声が響き渡り、それが素晴らしいものなのは間違いなかった。ただし、ここにいる多くが別に適任者がいることもわかっている。
両手を握って祈るかたわら、女生徒から噂声が聞こえてくる。
「リズってコネで神の遣いになったのに、偉そう」
「しっ。皇子に聞こえるよ」
この日は夜会も行われ、学園の舞踏の間に多くの生徒が集っていた。
たくさんの生徒が順々に僕に挨拶にくるのは僕が次期皇帝だからで、目論見が透けて見えるのは寂しくもある。
そして、僕の目の前にこの日の主役、リズがやってきた。
真っ赤なドレスが、彼女の肌の白さを際立たせている。長い黒髪も手入れされており、本当に美しい少女だ。
ただし、その表情は浮かない。
「シャルル様。……お気分が優れないのでしょうか」
釣られて僕まで沈んでいたようだ。すぐさまとびきりの笑顔をリズに向けた。
「ああ違うんだよリズ。人が集まるのは、実はあまり得意じゃないんだ。まぁ、僕の立場でそんなことを言ってはいけないけれど」
「そんなことは。素直にされた方がよろしいかと」
「そうもいかないよ」
「……」
少しもの欲しそうに、リズはこっちを見ている。
「ああ、飲み物が切れているのか」
僕は手近にいた使用人に何か持ってくるよう指示をだした。
「あ、いいえ、そういうわけでは……」
「ところでさ、リズ。一つ相談があるのだけれど」
「な、なんでしょう。私にできることであれば、なんなりと」
「君はこの学園一の音術師だ。今日の祈歌も素晴らしかった。以前よりも、さらに上達しているのがわかる」
言うと、リズはうつむいてしまった。
表情はよく見えないが、耳は真っ赤に染まっていた。やはり、彼女は何を考えているかはわからない。
それでも。
もし、彼女の力が本物なのであれば。
僕の願いの一つくらい、叶えてくれないだろうか。
「今度こそ、パルを治すことはできないものかな」
「パルくん……ですか?」
「ああ、以前の君には難しかったかもしれない。しかし、改めて学園一の音術師だと証明された今の君であれば……どうだろう」
しかし、リズはそれに答えることができないようだった。
ただ蒼白になって、喉を詰まらせるようにしていた。
けっきょく彼女は、神の遣いになることはできてもパルを治してくれはしない。
「ごめん、無理だよな。第一席の音術師でも無理なのに。……だから、聖歌学園で伝統的な授業を受けただけではできないのかもしれない。リズ、気を悪くしないで聞いて欲しいんだけど。もしカノンに依頼したら——」
リズの目が、見開いた。
「——パルを助けられると思うか?」
「だ、ダメです!」
驚くほどはっきりと、リズは否定した。まるでカノンという人間自体がダメだとでも言うように。
「どうして?」
「い、いえ。その、確かに、カノンさんの音術は独特です。どこで習ったのか、学園の教本で書かれているだけのそれとは少し違う気がします」
「だったら」
「き、危険です!」
いっそう、リズの言葉が強くなった。
それが本当に、不思議だ。
しかし、リズも自分の言葉が強くなったことに気がついたのだろう。
口元を抑え、そして改めて抑えめに話し始めた。
「カノンさんは、その……す、素性がわからないですから。その、意識のない第二皇子に近づけるなど、本当に……何が起こるか——」
「それは、カノンに『痴れ者の血』が流れているからか?」
「……え?」
こうやって、他人にカノンへの不信感を植え付けようとしているのだろうか。リズとはそんな少女だったということか。
僕は、本当にリズのことを知らなかったのだ。
どうせ政治だと、知ろうとしなかったことへの後悔が今になって湧き上がる。
「もういいよ。ちょっと今、君と話したくはないかもしれない」
「いえ、ちょっと待ってください。シャルル様にお伝えしたいことが——」
「——リズ。外してくれ」
思わず大きくなった僕の声に、リズは泣きそうな表情を浮かべた。
「……はい」
歯を食いしばるようにして、彼女は僕から顔を背けた。
◆ ◆ ◆
僕とリズの関係の不和に呼応するかのように、国の情勢も動きつつあった。
ノーザウンの国家音術師たちの成果が、より顕著に積み上がりつつあったのだ。隣国との交易で有利な条件を引き出す。政略結婚も優位に進める。
しまいには国土の無償譲渡さえ引き出してしまった。
戦争不要の帝国、ノーザウン。
その色が一層強くなり、それによって武器商会を抱えるブラックヴィオラの国内でのプレゼンスが低下していた。
政治的にリズ・ブラックヴィオラとの婚姻の必要性が弱まっていた。
僕は以前にも増してカノンと時間を費やした。
フランソワと3人で食事をとって以来、カノンは僕に対してもよく笑うようになった。仲間を誘い休日に馬乗りに出かけることもあれば、時折授業の時間を抜け出して街へ出向くこともあった。
僕が渡す何気ない贈り物を、カノンはいたく喜んでくれた。
その頃には、僕は自分の役割がわかっていた。
僕はカノンが正しく評価されるための媒介なのだ。
カノンはいくら音術の技術があろうとも、平民なので偏見混じりの評価しか受けない。であれば、彼女は平民から抜け出す必要がある。
簡単なことだ。
カノンを妻として迎えればいい。
そうすれば彼女はメルバーティ家の皇妃である。
ある舞踏会の日。
プレゼントしたドレスに身を包むカノンが僕の側にいた。
僕はこの日、すべて終わらせるつもりでいた。
「これから起こることには、少し驚くかもしれないが、どうか落ち着いて見ていて欲しい」
カノンはなんだかわからないようだったが、こくりと頷いた。
僕たちは大階段から降りてゆき、すでにホールの真ん中にいる彼女の元へと向かった。
燃えるようなドレスを着た美しい少女、リズ。
彼女のすぐ近くまで向かうと、取り巻きの少女たちがすぐさま離れていった。
僕たちの間に、世間話は不要だ。
「リズ、残念だ……」
「……ざんねん?」
僕は長年、君と結ばれるものだと思っていた。
美しく優秀な、この少女と結婚できることは幸せだと思うことさえあった。
何よりも。
「ああ、君だけが希望だった。君こそがパルの呪いを解いてくれるものだと」
彼女はパルの除術を、諦めてしまった。
それなのに。
「ええ、確かに音術でパルくんを救うには至れませんでした。しかし、別の方法であれば——」
この後に及んで、この女は何を言っている?
自分でパルの呪いを解くことはできないと認めたくせに、抜け抜けと偽物の希望でも作り出そうというのだろうか。
その浅はかな性根に、僕は燃えるような怒りが沸いた。
「——もういい。君の法螺話にはうんざりなんだ。いい加減にしてくれ」
「……ほらばなし?」
なぜ君は、僕の言っていることがわからないという表情ができるんだ?
そもそも嘘つきは、君なのに。
「君はあることないこと学園で言いふらすことによって、カノンも傷つけているそうじゃないか」
「……そんなことはしていません。それに、仮に私がカノンさんを貶めるような噂を流たとしても、パルくんを救える可能性があることとは別の話で——」
「黙れ。おまえの話はもう聞きたくない」
いくらでも理由を語ることはできる。
しかし、本当の理由はそれしかなかったのかもしれない。
僕はもう、彼女の言葉を聞きたくはないのだ。
「リズ・ブラックヴィオラ。僕は君との婚約を破棄する」
これにてリズとの関係は終わるだろう。
しかし、それだけ。
僕は側のカノンに視線を移す。彼女は少し笑っているだろうか。
これから彼女と関係を作っていくことこそが、きっと僕の役割なのだ。




