【SIDE シャルル】初めての感情
婚約破棄しておいてこんなことを言うのはずるいかもしれないが、リズ・ブラックヴィオラはとても可愛らしい少女だ。ブラックヴィオラは武器商会を抱える公爵家であり家柄としても申し分なく、だからこそノーザウン第一皇子である自分の許嫁だった。
彼女はいつもつんとした表情をしていた。成績優秀でなにをやらせても上手くこなしたが、それを褒めると「当然です。ブラックヴィオラの娘ですので」と誇るともなく言うのだった。逆に何かを失敗すると、すぐどこかに行ってしまうので彼女がなにを思っていたのかは知らない。
幼馴染であったとしても、リズは僕に対して心を開いていなかったと思う。たまに喋る機会があったとしても、リズは捲し立てるか黙り込むかのどちらかだった。
ただし、僕は彼女に過剰な期待をしていたことは否定しない。
僕はリズがいずれ、この国を救う人になるかもしれないという希望を抱いていた。
ノーザウンには、音術と呼ばれる力がある。
これは歌の力で他人を操る能力だ。この力をどれほど使いこなせる人物を排出できるかによって、近隣諸国との力関係が決まるとさえ言えた。
リズの声は美しかった。
彼女が喋れば自然と人が集まってきて、皆彼女の話を聞きたがった。
美しい声というのは、音術を使うものにとってとてつもないアドバンテージであり、この国一の音術師になるのは彼女だと誰もが信じていた。
しかしリズは堕落し、言動も支離滅裂となり、次第にその能力さえも衰えているように見えた。
「リズ・ブラックヴィオラ。僕は君との婚約を破棄する」
そう口にしたのは僕にとって、あるいはカノンにとってそれが必要だったからだ。
カノン。
ファミリーネームさえ持たない庶民の女の子。
ただしあまりにも美しい声を持ち、リズに負けないほど優秀で、彼女とは違う快活で朗らかな女の子。
僕はカノンを幸せにすると決めたのだ。
カノンは十四歳のときにノーザウン国立聖歌学園の音術部へ入学した。
僕は騎士部のためそれほど繋がりがあるわけではないが、しかし彼女はよく話題に上がった。
「庶民に入学を許可するだなんて、学園はどうかしてるな」
国立聖歌学園へ入学するには高い寄付金と口利きが必要だ。はっきり言えば貴族以外に入る余地はなく、それでもカノンが学園の門を潜れたのは学園長が彼女の才能を見出したかららしかった。
「もう学園長も朦朧してるんだ」
同級生がそんなことを口にするのも無理はない。国立聖歌学園に入学するということは、この国を背負って立つ覚悟を持つということで、それ相応の教育を受けてこなかった庶民には甚だ重すぎる責任だと、僕も思ってしまう。
「そう言うな。きっと学園長にもお考えがあるんだろう」
「はいはい。さすが皇子様は優等生でいらっしゃる」
本来は気のいい仲間までもがカノンに対して違和感を持っているようだった。直接的な関わりのない騎士部でさえもそうなのだ。
だとすれば、音術部であれば尚更。
「あの……次の授業はどこの教室で行われるのでしょうか」
「はぁ? 自分で確認しなさいよ」「てゆうか話しかけないで」「はは、学園の外にでもあるんじゃな〜い?」
困った表情を浮かべるカノンは、しかしクラスメイトから邪険に扱われている。
もし彼女が貴族であればそうはならないだろう。
僕は廊下でたまたま見つけた彼女たちの間に割って入った。
「カノンさんの次の授業の場所を、僕から尋ねてもいいかな?」
「しゃ、シャルル皇子!」
僕はとびきりの笑顔で音術部の少女たちに尋ねると、彼女たちの動揺が見て取れた。
「……おうじ?」
一方でカノンはぽかんとした表情を浮かべている。貴族といえど村社会だ。皇帝にでもならなければ、庶民に広く顔を知られることもない。
「し、失礼しました。こちらです」
決まりの悪い表情を浮かべながらも、一人の少女が案内を開始してくれた。
「ほら、あなたも行こう、カノンさん」
「は、はい」
カノンは小動物のような少女だ。
短い黒髪にクリクリとした目。庶民は貴族と比べ食料が豊富ではないので大抵は小柄になり、彼女も多分に漏れない。
ピョコピョコと跳ねるように、彼女は僕たちの後についてきた。
僕はカノンを退け者にしようとした一人に耳打ちした。
「平民は、守るものだよ。貴族であればね」
本来貴族と平民が交わることはない。
だから、異物がやってきてしまうと自分を見失ってしまうものだ。それでも、僕たちは誇りを忘れてはいけない。同じレベルで争うべきじゃない。
恥ずかしそうに少女は頷いた。
ついで、カノンの方を見て、微笑みかけた。もう大丈夫だという意味を込めて。
彼女は右目の下を人差し指でひっぱり、なおかつベロを出していた。
ん? どゆこと?
それはあれだろう。いわゆる、あっかんべーという表情だろう。
はぁ?
どゆこと?
僕、皇子だよ?
え? それっていま皇子である僕が、庶民の女の子に馬鹿にされたってこと?
意味わかんないんだけど。
僕は自分の顔がどんどん熱くなっていくのがわかった。
めっちゃムカつくんだけど。ムカつくムカつく。
本当にムカつく。
こんなにムカついたのは、生まれて初めてだ。




