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決闘

 ディミトリはきっと、私の普通でない部分に惹かれたのだと思う。

 でも一方で、私には普通の女の子であることを求めている。サロンを出た私たちは、仕立て屋に行ったり宝石商を見に行ったり、それはそれは女の子が好きそうな場所を案内してもらった。


 それが嫌なわけではないけれど、しかしずっとディミトリにしっくりこなかった。

 帰り道で馬車に揺られながら、隣に座るディミトリは言った。


「俺はザイレントが好きだ」


 その気持ちはとてもよくわかる。

 活気があって、人が親切で、食べ物が美味しい。そんな街をディミトリや王がつくっているのは、本当にすごい。


「いまはまだ、武力でなんとか平和を保っているが、俺はそうじゃない世界を目指したい」


 虚空を見つめながら、彼は理想を語る。


「この国には美味いものがたくさんある。そういう場所はきっと、他国からしても壊したくないだろう。俺はザイレントをもっと、楽しくて訪れたい場所にする」


 ディミトリの言おうとしていることが、なんとなくわかる。

 彼はきっと、ザイレントを観光国にしたいのだ。だからこそ食べ物の輸出さえ絞ったのかもしれない。ここに訪れないと食べられないものを作るために。

 

 なんと平和的な考え。

 日本人だった私からすれば、あまりにも真っ当な思考。


 でも残念ながら私が日本人だったのは前々世。

 その間に冒険者を挟んで私の価値観は大きく変貌していた。


「戦いは散々だ。きっと違う形の世界があるはずなんだ。俺はお前と、新しい世界をみたい」


 国家最高の戦力である一の騎士。

 戦いのために鍛え上げられた肉体をもつ彼。いずれ国王となる彼。彼はとても美しい未来の話をするのだった。


  ◆  ◆  ◆


 ただ、私はいま諍いの渦中にいる。

 ディミトリの嫌う戦いで、私はニコルをパスカルに勝たせなきゃいけなかった。


 ニコルは日々の鍛錬でマナの扱いが上達し、身体強化も自然とできるようになった。

 本当にセンスがある少年だ。


 そして決闘の当日。


 太陽が高く上る昼過ぎに、騎士たちが円を組むように座る中心でニコルとパスカルは模擬剣を持って対峙していた。


 騎士に混じって座ろうとすると、みな腰を浮かせて離れていきぽっかりスペースができてしまった。私は腫れ物なのだろうか。

 まぁ、広くなっていいけれど。


 中央に立ち、剣を軽く振って確かめているパスカルがこちらを見た。


「わかっているな。もし俺が勝ったらお前はザイレントから出ていくんだ」

「ええ。ですがきっとあなたにそんな権限はないでしょ? 私がディミトリ様に『帰ります』って直接言って差し上げましょう」

「……大したタマだ。実はディミトリと別れたいのか?」


 別に別れてもいいと思っているが、しかしそう言うわけでもない。


「私はただ、ニコルが負けるはずないと思っているだけです。ニコルが勝ったらちゃんと認めてくださいね。あなたたちが弱いって」


 身体強化魔法さえ使ってしまえば、いくら模擬剣を打ち込まれたところで耐えられる。逆に彼の一振りは必殺であり、大砲の一撃になるはずだ。


 私はニコルを見る。

 彼が負けるはずがない。それなのに、彼の表情は固かった。

 模擬剣を握る手には力が入り、微かに震えているように見える。マナが、荒れている。


 そして二人の戦いは誰が合図するわけでもなく始まった。


 パスカルの剣戟の一閃を、ニコルは後方に跳ねることで躱わす。

 避けられたことが意外だったようで、パスカルは剣を不思議そうに眺めていた。


「汚い! いきなり切り掛かるなんて」

「戦争に綺麗も汚いもない」


 そして再びパスカルは二撃三撃とニコルに浴びせかけた。それをヨロヨロとした動作ではあるが、ニコルは紙一重で躱している。


 パスカルは私から見れば決して強くはない。

 しかしそれは、あくまで私から見ればの話だ。彼は前世で出会った勇者に及ぶべくもないし、あるいはC級冒険者にさえ敵わないだろう。


 でもここは、魔法のない世界である。

 彼には日々の鍛錬の積み重ねがあり、それは年若い騎士には届かない頂きなのかもしれなかった。


 ニコルは防戦一方だった。

 鍛え上げられた肉体によるパスカルの剣戟を弱々しい剣で捌くのがやっとで、一向に攻めに転じられない。


 私はすぐにニコルが勝つと思っていた。

 身体強化をまともに使える人間が、そうでないものに負けるはずがない。


 だからこそ、ニコルが押されている理由は明白だ。


 ——ニコルは身体強化を使ってない!


 ニコルは今、生身で戦っている。


「どうしてなの! ニコル!」


 歯を食いしばって捌くニコルに、そんな余裕はないはずだ。


「はん、バカか。パスカル様があんなガキに負けるわけないだろ」「ニコルが勝つなんてどんな節穴だよ」「お嬢様が剣を語るなんざでしゃばりが過ぎんだよ!」


 押されに押されるニコルではある。

 しかしそれは、同時にパスカルが押し切れないということでもあった。


「おい、こんなに粘れるもんなのか?」「ニコルってこんなだったっけ?」「パスカル様、息が上がり始めているぞ」


 見たところ、ニコルの劣勢には違いない。しかし、ニコルは少し前まで騎士団の中で侮られていた存在だった。それがこの短期間で、指揮官が押し切れないほどの剣術を身につけたのだ。


「おい……ニコル……すごくねーか?」「捌ききってるぞ、どんな努力をしたんだよ」「頑張れー、クソガキ!」


 困惑に賞賛が混じり込み、ついにはぽつぽつと応援まで始まってしまう。

 しかしパスカルもその手を止めることはない。向かい風までも力にして、さらに一段動作のキレがました。上段、下段、さらには突きと自在に繰り出される剣は、まるで蛇の尾のようだ。


 ただしずっとは続かない。

 上がり続けた息に限界が来て呼吸を深くした瞬間、まるでパスカルとニコルが一つのロボットのように連動して動いた。肺に流れる息に吸われるように、ニコルの剣先が薙ぎ払われる。


 躱そうとしたパスカルは、しかし躱しきれなかった。

 ニコルの剣先がパスカルの顎をかすめ、まるでボクシングのように彼の頭が揺れた。


 パスカルはふらつき、そして白目を剥いて倒れた。


 あたりがシンと静まり返り、誰もがきょとんと中央の二人を見つめていた。

 誰かが言った。


「おい……これってニコルが勝ちってことだよな?」


 皆それを簡単に受け入れることはできない。

 しかし、どう見てもそうだろう!


 もちろん、彼が勝つことはわかっていた。でも、実際に勝ってくれるとすごく嬉しい!


 私はニコルに走りより、彼に抱きついた。


「やったー!! ニコルー!!!」

「ちょ……リズ様、お、おやめください!」

「あ、ごめん。嫌だった?」


 離れるとニコルは、顔を真っ赤にして言った。


「いえ、そういうわけではありませんが、汗がリズ様についてしまいますので」


 野外泊の多かった前世時代でそんな程度の汗は一切気にならないのだけれど、確かに貴族であれば気にするのかもしれない。ニコルも年頃の男の子だしな。


 なんだかニコルは私が抱きついてから、急激に息が荒くなった気がする。きっとギリギリの戦いだったのだろう。


 それにしても。


「なんで身体強化を使わないのよ。負けるかと思ってヒヤヒヤしたじゃん」

「す、すみません! あの、使ってしまうと、それは決闘にならないのではないかと思ったので」


 決闘にならない?

 どういうことだろう。


「僕はパスカル様の強さが知りたかったのです。僕みたいに不思議な力を使わずに、その場所に到達された。僕はパスカル様を、尊敬していますので……」


 恥ずかしそうに、ニコルが言う。

 彼はとても甘い。自分だけが身体強化を使えるのならば、それはニコルの強みじゃないか。でもきっと、私にはわからない哲学をニコルは持っているのだろう。


「戦って、改めてわかりました。パスカル様は、すごかった……」


 勝利を噛み締めるように、ニコルは手を握りしめた。

 慣習が、徐々に沸き始める。


「おい、パスカル様が立ち上がらないぞ。介抱しろ!」「本当にニコルが勝ったのか……」「じゃあ、どうなるんだっけ? ……俺たちが弱いって証明されて……それだけ? パスカル様が負けるなんて思ってなかったから、よくわからん!」


「あの、リズ様……」

「なあに?」


 ニコルはこっちを見た。それはまるで、精悍な戦士の顔で。


「本当に、本当にありがとうございます。僕は、自分がパスカル様を負かせるだなんて」

「でもまあ、君はまだまだだけどね」


「も、もちろんです! でもいずれ、僕はリズ様を超えて見せます」


 私を超える……とは、ずいぶん大きく出たものだ。


「それで、なんですけど……もし僕がリズ様を超えたら、僕をリズ様の騎士にしていただけませんか」


 私の……騎士。

 少年は顔を真っ赤にして、私をまっすぐ見て言った。まだリズ・ブラックヴィオラとそう変わらない背丈の少年は、いずれ私を超えていくのだろうか。


 それはなんだか、ワクワクすることな気がした。


「いいよ。でもこれから、もっと厳しい訓練にするからね」

「は、はい!」


 ニコルは本当に嬉しそうに、溌剌とした返事をしたとき。


「それは困るな。うちの兵に勝手をされては」


 そこに現れたのは、氷のような表情を浮かべたディミトリで。

 無造作に落ちていたパスカルの模擬剣を拾ったのだった。

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