不自然な彼
待ち合わせの城前に向かうと馬車が準備されており、そこにはすでにディミトリが立っていた。
「すみません、遅くなりました」
「別に待ち合わせ時間前だ。いくぞ」
ディミトリは急かすが、私は思わず彼に見惚れてしまった。
ジャケットを纏うカジュアルな正装は、まるでスーツを着たスポーツマンみたいな厚い胸板に良い姿勢。
単純に生き物としてとても強そうで、なんだかドキリとしてしまう。
「なんだ? どうかしたか?」
「なんでもありません!」
腕を引っ張られ、私は座席に引き上げられた。
この人はリズ・ブラックヴィオラに比べてとても大きい。肩が触れ合うほどの隣に座ると、それがよくわかった。
「今日はどちらに行かれるのですか?」
「俺の婚約者として、街に顔を売りにいく」
「まだ結婚するとは決まっていませんよ?」
「俺が結婚を目指すことに不満があるのか?」
率直な言葉をテレもせずにいうのは、そのことについてすごく考えてくれたってことだろうか。
城で大人しくしていない私を「好きにすればいい」なんて突き放した彼。でも、それは本心じゃなかったってことなのだろうか。
それは嬉しい気がするし、ますます私はディミトリに何も返せていないなぁと肩身が狭くなる思いもある。
「私……ディミトリ様に街を紹介していただけること、けっこう嬉しいです」
「けっこう? 俺直々に案内してやるんだ。もっと光栄に思え」
「いいえ、まだ『けっこう』くらいです。でも、デートが終わったあとはすっごくうれしくなるかもしれません」
「期待はするな」
光栄に思えだなんて偉そうに言ったと思えば、今度はそんなふうに顔を背ける。
「どうしてですか? 私すっごく楽しみです」
「…………慣れていないんだ。女性を案内するのは」
ディミトリは実直だけれど、少し不安に思ってしまう部分もある。
本当に慣れていない人が、あんなふうにキスをするのだろうか。
彼が慣れていないというように、私だって男女関係は全然わからないのだった。
◆ ◆ ◆
「王子ー! 寄ってってくれよ! いい魚が取れたんだ」「ディミトリ様よ! なんて格好いいお方なの!?」「となりの人はどなたかしら、すっごくお綺麗……」
ディミトリの人気はすごかった。
人通りでは誰もが声をあげ、ディミトリに何かを渡そうとしたりあるいは女であれば矯正を上げた。
「王子よ、その女の人は誰なんだい?」
調子の良さそうなおじさんがディミトリに尋ねると、彼は躊躇うことなく言った。
「婚約者だ。失礼の無いように頼むぞ」
「へぇ……あの女嫌いな王子がついに婚約者を。こりゃあお祝いだ!」
おじさんは自分の店なのか、スイングドアの建物に入ると串焼きにした魚を持ってきた。
香ばしく焼き上がったイワナのような魚は、皮目から覗く身を見るだけでフカフカなのがわかる。
「ほら、食べてくれ」
「やめろザイフ。彼女はノーザウンからきたばかりだ。まだザイレントの食べ物に慣れていない」
「そんな、美味しそうじゃないですか!」
私はザイフと呼ばれたおじさんからそれを受け取り、パクリとかぶりついた。
思った通りフカフカの白身には臭みもなく、独特の香草の香りと香ばしいタレの甘みが口いっぱいに広がった。
「おいし〜!! ザイレントのお魚は本当に美味しいですね!」
ザイレントに来てから本当に何を食べても美味しくて、味付けもどこか日本時代を思い出す。ぜんぜん別の土地なのに、不思議だ。
前世は本当にそっけない食べ物ばっかりだったし。
お魚に甘辛いタレだなんて、本当に、日本みたい。海が近いとか、多湿な気候が似てるとかで、食べ物の感じが似てるのかな。
なんだか思い出してしまう。
別にいい思い出なんてたいしてなかったはずなのに、不思議だ。
「……どうした? やはり口に合わなかったか?」
「まさか!」
私は泣きそうになっていたかもしれない。
ディミトリもザイフも、他のみんなも心配そうに私をみていた。
私は涙を拭って、言った。
「とってもおいしくて、ちょっと故郷を思い出しちゃっただけです。私はザイレントの食べ物が大好きです!」
言うと、みんながわっと沸いた。
「お姫様、こっちの果物も食べて!」「ほらこれも!」「仕立て屋をやってるんです! うちの店にもぜひ来てください!」
ディミトリは慕われていて、だからこそみんな優しくしてくれる。
城の使用人たちはディミトリが少し怖いと言っていたが、彼はこの国一の騎士。彼はこの国の、ヒーローなんだ。
私たちはもみくちゃにされながらたくさんのものを貰い、言われるがままに様々な店を案内された。
それはとても騒がしかったけれど皆親切で、私なんかには勿体無いほど素晴らしい体験だった。
まぁ、ディミトリとのデートというにはちょっと人が多すぎたとは思うけど。
さんざんもみくちゃにされた後、私たちは街中から離れた貴族用サロンの屋上でお茶を飲んでいた。
微かに甘くて香り高い。
少し口に含むだけで、気持ちが落ち着いてくるようだった。
「悪かったな。これほど人が集まってくるとは思わなかったんだ」
「いいえ、とっても楽しかったです。ディミトリ様は、国民から本当に慕われているのですね」
それはとってもいいことのはずなのに、ディミトリの表情に影が落ちた。
「一面しか知らないからだ。奴らは自分たちが平和に商売ができるのを俺や、騎士たちのおかげだと思っている。それは、俺が他国の兵を殺しているということを知らないからだ」
ディミトリは一の騎士で、『魔神』と呼ばれることもある。
50人以上を一人で倒すほどの戦力で、それだけ倒したっていうのは戦闘不能にしたということで、それは彼の言う通りなのだろう。
平和な生活は、誰かの血の上に成り立っている。
それは前世だって、あるいは前前世《日本時代》だってそうなのだろう。
それはきっと、当たり前のこと。
それをこの人は、気にしている。
「誰かを守るために必要な戦闘はもちろんある。しかし、中には不必要に殺してしまったものもいる」
彼は微かに手を震わせるようにして、後悔しているように言った。
彼の辛さは、少なくともこの世界において、この国において必要なことで、きっと彼が率先して辛い思いを背負うことでいろんなものが守られている。
知っている。
私はそんなこと、誰よりもわかっている。
だって私は、言葉を交わすことのできる魔物を何匹も殺してきたから。
私は彼の震える手に触れた。
ディミトリはぴくりと動いたあと、その震えが止まった。
触れると、彼の中で滞留するマナが行き場を失ったように蠢いているのがわかった。
私はディミトリに言った。
「私は一緒に背負えますよ? ディミトリ様がの辛さを」
「……これは俺の問題だ」
「じゃあ、ディミトリ様が辛いのが辛いっていう、私の問題が生まれました。一緒に背負えないのなら、隣で別の荷物を背負うことにします」
ディミトリは、ため息をついた。
余計なことを言っただろうか。私は少し不安になる。
「敵わないな。俺は時折、おまえがまるで救世主のように見えることがあるんだ」
前世ではそんな感じでした!
「俺はそんなお前に惹かれたのだろうな」
ディミトリは私の手を握り返した。彼の中のマナが、再びどろりと蠢いた気がした。
「だからこそお前に、俺は傷ついて欲しくはない。わかってくれないか?」
本当に不思議で仕方がない。
なんでディミトリは、そんな結論になってしまうのだろう。
私の中の救世主に許しを見出すのに、それを捨てて普通になれというような。
なんだか彼は、とても不自然だ。




