確信
その日の訓練を終え、ニコルは若年騎士宿舎へと帰ったあと、城で私の前に立ちはだかったのはディミトリだった。
「おかしなことになっているらしいな」
「……おかしなこと?」
夕日に傾く陽の下で、彼はとぼけて笑って見せたがディミトリの厳しい表情は変わらなかった。
まぁ、当たり前だよね。王都に連れてきた直後の婚約者が指揮官に向かって軍が弱いなどと言ったのだ。自分の話ではあるが、客観的に見ればおかしい。
「勝ち気だとは思っていたが、まさかここまでとは」
「すみません」
「大人しくしていることはできないのか? 確かにザイレントはノーザウンほどの都会ではないが、何もおまえを幽閉しているつもりもないのだが」
しかし、ディミトリがそんなことを言ってくるのは納得できない。
「ディミトリ様は、私に何をしていて欲しいのでしょうか」
「……何を?」
「ノーザウンにいたころは聖歌学園に通っていました。つまりは毎日すべきことがあったということです。なんの予定もなければ、自分で予定を作るのは当然でしょう」
まぁ、リズがどんな生活をしていたかは私は知らないけれど。
「城のものと交流してもいいし、街に降りていってもいい。別に城に閉じ込めているわけじゃない」
「はぁ!? みんな働いてるのに、私が話しかけたら迷惑じゃないですか! 現にパスカルさんは迷惑そうでした!」
「なんで話しかける相手がパスカルなんだ」
ディミトリは頭を抱えたまま私を睨んでいる。
「ディミトリ様は私の話し相手も管理したいのですか。それは結構な束縛男なのですね」
「そくばく……おとこ……? 俺が?」
ディミトリは顔を真っ赤にして口をパクパクさせていた。
「ちょっと他の男と話しただけで私を締め付けるだなんて、あなたがそんなに自分に自身のない男だとは思いませんでした」
——思わず、言ってしまった。
言い過ぎてしまったかもしれない。
赤くなった顔が青くなり、最終的にディミトリは下を向いた。
「おまえは何もわかっていない」
寂しそうに、ディミトリは言った。
「それがどれほど危険なことかわからないというのであれば、好きにするがいい」
まさか城について二日目で見放されるとは。
確かに婚約者の実家にきてこんな態度の私はおかしいかもしれない。
でも元来の性格か、私は素直になれなかった。
「ええ、好きにさせていただきます」
がっかりを隠そうともせず、ディミトリは私に背中を見せた。
◆ ◆ ◆
ディミトリの好意を失えば私はまた婚約破棄だろうか。
それはそれで残念ではあるが、仕方がない。まだ助けられた恩を返せてはいないのだし、なんとか一人で戻ってパルの呪いを解くことで、ノーザウンの暴走を止めることを考えよう。
それはそれとして、私はまだ「出ていけ」とも言われていないのだから、やるべきことをやるだけだ。
ニコルとトレーニングを始めて3日目、私は彼と打ち合いの特訓を始めていた。
マナの付着による動作の可視化で、彼の動きは飛躍的によくなった。打ち込んでくる一打一打を模擬剣で受け流すのも身体強化を行わないと辛いレベルになってきた。
ニコルは筋が良い。股関節が柔らかく跳躍が子鹿のようで、まるで伸びてくるような打突。一打ごとにすぐに次の一打を狙う集中力。どうしてあれほどぎこちなかったのか、本当にわからない。
その剣先が、ついに私の顔面に届きそうになった。
危ない。
私はそれを叩き落とし、そのまま体術でニコルを組み伏せた。
「う……っぐ」
馬乗り状態から飛びのき、私はニコルに謝った。
「あ、ごめん、思わず!」
「……い、いえ。ダメですね。ぜんぜんリズ様には敵いません」
ぱんぱんと服を払いながら立ち上がるニコルはそういうけれど、そんなに悲観する必要はない。
「そりゃ、私に勝つのは無理だよ」
「ええ! 無理なのですか!」
「うん」
生身のリズ・ブラックヴィオラならいざ知らず、私は身体強化を使っている。一方でニコルは生身だから、身体能力は人とゾウほども違う。
「すみません。もう一度お願いします!」
「あ、ちょっと待って! だいぶ動きがよくなってきたので、次のステップに進みます。今体にまとわりついている緑の光。マナが、体の内側に入っていくように想像できる?」
「内側に?」
打ち合いの最中、私はずっとマナの動きに注視するようニコルに求めてきた。最初は彼の動きに合わせてマナが跳ねたり飛んだりするだけだったが、しかし集中するごとにその動きは精緻さを増していた。
それは逆転現象の兆候だ。
今やマナは、彼の動きに連動して動いていただけではない。
マナを先んじて動かすことで、彼の体がついていったことを意味した。
マナを肉体の一部とし、神経や筋肉のように動作させる。
それこそが身体強化魔法なのである。
彼が集中し始めると、緑の発光体が吸収されるように消えた。
「え、嘘。何これ」
マナをコントロールできたことに、ニコルは驚きを隠せなかった。剣をおいて両手で体をパタパタと確認している。
「大丈夫だよ。何もおかしいことじゃない。マナの感覚が、わかるでしょ?」
「え、ええ。なんだか、ぽかぽかと温かいような……」
「そのまま、その温かさに集中しながら剣を振ってみて」
ニコルの動作がさらに洗練され、まるで流体のように滑らかになる。
しかもそれは、あまりにも疾い。模擬剣だって重いものだ。彼の体力で振るには限界があり、その限界を超えたスピードで走った剣先が、ふらふらと舞っていた落ち葉を斬り裂いた。
「……いいね。すごい」
斬れない模擬剣で落ち葉が斬れたのは、ただその振りが鋭かったからじゃない。彼の剣にはマナが纏い、それが刃の代わりとなって葉っぱを斬り裂いたのだ。
「じゃあもう一度……私とやろうか」
私は半身で模擬剣を構える。
まだ自分の力をよくわかっていないニコルが、半信半疑の表情で私に斬り掛かってきた。
私はその剣先に剣先をぶつけて軌道を変え、懐に入り込んで掌底を頬に軽く叩き込んだ。
「別に剣を持ってるからといって剣を使うとは限らないよ?」
「は、はい!」
飛び退くように距離をとったニコルが再び私に切り掛かってくる。
まだ3日目。
でもすでに、ニコルがパスカルに負けることは絶対にないと確信していた。




