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3度目の世界

 私には2つの記憶がある。


 ひとつは25歳まで日本でOLをやっていた記憶である。

 新卒で事務職に就いた会社は、実態は過酷な飛び込み営業ばかりのブラック企業だった。深夜残業に休日出勤は日常茶飯事。


 私は過労で注意力を失い、若くして交通事故で死んだ。


 もうひとつはクージュ大陸で大冒険をした記憶である。

 それは大人気RPG——アフターエンディングの世界で、学生時代に没頭したゲームのものだった。日本での死後、私はその世界の登場人物として蘇った。

 サポート役として勇者パーティに加わり、魔王討伐のために様々な街やダンジョンを巡り、そしてついに討伐は達成された。私の活躍ぶりも過分に評価され、最終的には聖女様だなんて崇められていた。もっとも残念なことに、その後パーティの仲間の裏切りにあってチヤホヤされたのは一瞬だったのだけれど。


 ナイフを心臓に突き立てられ、痛みと共に徐々に意識を失っていく中で、せっかく異世界転生したのにまたこんな歳で死んじゃうのかな、なんて思っていた。


 しかし。

 水面に絵の具が広がるように、私の意識は誰かの中で再び目覚めた。


 鏡の前にいた。

 そこに写っていたのはとんでもなく美しい少女だった。均整のとれた体つきに、天使の輪が閃く漆黒の長髪。ビビッドな赤いドレスは派手なのに、それに負けないやや吊り目なキリッとした顔立ち。金のティアラやネックレスも豪奢なのに調和が取れており、すべてが収斂されて少女自体が一つの宝物のように輝く。


「参りましょう。リズお嬢様」


 リズ。

 私はその名前を知っている。おそらくファミリーネームはブラックヴィオラ。

 恋愛シミュレーションゲーム——メロディアスキングダムの登場人物だ。容姿端麗、文武両道。家柄も素晴らしいにも関わらずヒロインにいじめを行い、展開によっては国を戦争に導く悪役令嬢である。


 ……というか、またゲームの世界に転生!?

 さっき別のゲーム世界で死んだばかりなんですけど!?


 ただしかし、せっかく降って湧いた命に文句を言っても仕方がない。これも日本のブラック企業に殺された私に対する神様からの慈悲なのかもしれない。


 前の人生では冒険者リッサとして、苦しいこともありつつ大活劇を楽しんだ。仲間と共に魔王を倒したときのカタルシスなんて、絶対に日本の社畜人生では味わえないものだった。


 今度は恋愛シミュレーションゲームの世界にやってきた。

 きっと今回だって、この世界を攻略し尽くすことができるはずだ!


 なんて自分を奮い立たせていたのだけれど、そこには大きな問題も横たわっていた。


「ど、どうしました? リズ様。お時間が過ぎてしまいます」


 10歳くらいのメイド服をきた少女が必死に呼ぶ私は、敵役の悪役令嬢だ。

 前回主人公格のキャラに転生したのとは正反対。リズ・ブラックヴィオラはほとんどのルートにおいて不幸な運命を辿る。


 リズ・ブラックヴィオラ。

 高貴な生まれと自身の能力を鼻にかけ、他人を馬鹿にする嫌なやつ。


 メイドの少女の方を見た。


「ひっ」


 少女は小さな悲鳴をあげた。


「別にとってくったりしないよ?」


 少女は焦ったように小刻みに頷いた。

 どうやらリズ・ブラックヴィオラは、身内にも嫌われているらしい。


 今現在は、ゲームでいうとどの場面なのだろうか。そもそも私はゲームのシナリオ通りの進行になってしまうのかもわからない。確かめることがたくさんありそうだ。


「ところでクーシャ、お時間が過ぎているって、一体なにがあるのでしたっけ?」


 私がリズであれば、メイドの少女はクーシャのはずだ。

 メロディアスキングダムは社畜時代、魂の抜けるような休日の時間をそれに注いだため端役まで頭に入っている。


「はい、もちろん舞踏会でございます! シャルル様より、重大なご報告があるとのことなので、決して遅れることは許されません! 急ぎましょう」


 そして少女が私に背を向け、案内しようとしたときだった。

 急いだためか足が絡れ、彼女はその場で転んでしまった。


「痛ッ! お、お見苦しい姿を申し訳ございません! なんでもありません、すぐに参りましょう」


 脂汗を浮かべながらクーシャは言った。


「待って、怪我したんじゃないの?」


 私はすぐに彼女に駆け寄り、その足首を確かめた。

 捻挫でもしたのだろうか、さっそく真っ赤に腫れていた。


「お嬢様! おやめください! 本当になんともありませんから! どうか、お慈悲を!」


 私が何をすると思っているのだろうか。

 彼女の足首を両手で包み込み、咄嗟に回復魔法をかけた。


 ——あ、違うか。

 それは前の世界の、リッサとしての能力であって、いま自分はメロディアスキングダムのリズなのだ。

 それなのに。

 私の手のひらは光り、優しい熱を帯び始めた。


「……え、嘘。痛みが……引いてる?」


 クーシャは驚愕の表情で私のことを見た。

 驚くべきことに、私はリッサ時代の能力を使えるようだった。メロディアスキングダムの世界では、多少不思議な力はあるが、こんなゴリゴリの魔法は存在しない。


 ちょっと誤魔化した方がいいかもしれない。


「さぁ? なんでもないって言ったのはあなたでしょ。……私に嘘をついていたわけ?」

「とんでもございませんお嬢様! 最初からなんともありませんでした……!」


 まだ少し不思議そうだったが、クーシャは気を取り直して再び立ち上がった。


  ◆  ◆  ◆ 


 部屋の中央には煌びやかなシャンデリアがあり、その光が広間全体に散らばる無数の煌めきを生み出していた。ドーム型の高い天井には空のような絵が広がっており、屋内なのに信じられない開放感だ。

 赤を基調とした絨毯はふかふかで、それを踏み締めるだけでなんだか場違いなところへきてしまったように感じる。


 前の世界での私は、骨付き肉に齧り付く冒険者だったのだ。

 優雅なクラシック音楽に合わせて穏やかな表情でお喋りしている来客たちはまるで別世界の住人で、だからこそ私は気を引き締めた。


 こういうのは最初が重要だと、私は身をもって知っていた。

 なにせ前の世界に転生直後、挙動不審な振る舞いを続けた結果牢獄に閉じ込められてしまったのだ。せっかく転生したのに、そんな失敗はもうしたくない。


 私はリズ・ブラックヴィオラ。

 泣く子も黙る悪役令嬢だ!


「あら、リズさん。素敵なドレスでいらっしゃるわ! それはそうよね! なんでも今日はシャルル様のお伝えごとがあるそうじゃない。きっとリズ様に関することに違いない!」


 そういって私の前に現れたのはリズの取り巻きの一人、マイカだ。

 いつも金魚の糞のようにリズにくっついて周り、ときにはリズの悪巧みに加担する調子の良い女の子である。


 そして名前に上がったシャルルと言うのは、メロディアスキングダムのメイン攻略対象であるシャルル・メルバーティ第一皇子のことだろう。柔らかい金髪に青い瞳で、どんな身分の相手にも優しい皇帝の嫡男である。


「私に関するお伝えごと、ですか……」

「ええ、きっと正式に婚約なさるのではないかしら!」


 そもそもリズはシャルルの幼馴染であり許嫁でもある。しかし、ゲームの進行を正しく進めカノンの好感度が上がっていけば、シャルルはカノンを選ぶこととなる。


 お伝えごとがなんであるかはわからないが、それを聞くことで物語の現在地がわかりそうだ。まぁカノンが普通の選択肢を選んでいけば、いずれ私とシャルルは疎遠になるのだろうけど。


「ただまぁ、お伝えごとの内容がリズさんに関わらないのであれば、ちょっとそのドレスは派手過ぎじゃないかしら? 弟君のこともあるのに」

「弟君って、パル様のことかしら?」

「他に誰かいらして?」


 なんだかマイカのあたりがきつい気がする。

 本来の彼女は取り巻きであり、リズに対する太鼓持ちなのに。

 

「パル様のお具合は本当によろしくないらしいわ。国有数の除術師を以てしてもどうしようもないらしいのだもの。シャルル様もさぞ心配されているっていうのに、リズ様ったら、ねぇ。暖炉の火だって、もう少しお淑やかに燃えるものよ」


 パル・メルバーティはシャルルの弟で、たしか歳は10歳くらいだったと思う。兄に似た美少年だが、たしかゲームでは敵国の呪術師に呪いを掛けられ、ヒロインであるカノンが彼の呪いを解けるかというのもクリア条件なのだった。


 メロディアスキングダムでは、魔法の代わりに音術という能力がある。

 それは音楽を用いて人の体や精神になんらかの作用を与えるというもので、それによる呪いは人を死に至らしめることも可能だ。リズもカノンもマイカも、ノーザウン国立聖歌学園の音術部でクラスメイトだ。ちなみにシャルルは騎士部である。


 ただそれとして、マイカの楽しそうな様子には少し違和感を覚える。ずいぶんリズに対して含むことのありそうな物言いだ。


「なにか言いたいことが?」

「いえ別に〜。あら、本日の主役がやってまいりましたよ」


 そう言うと、大階段から降りてきたのは礼服に身をつつんだ長身の男だった。

 一挙手一投足に惹きつけられるように、皆の目が彼に吸い寄せられた。会場の子女から嬌声が上がり、彼を見ただけで幸せになれると言わんばかりに。


 シャルル・メルバーティ。

 彼は確かに美しかった。階段を降りてくる優雅な所作に揺れる金髪。憂いを帯びた青い瞳。肌の色は不健康なほどに白いが、しかしその体躯からは日々の鍛錬も見て取れた。


 ため息を漏らす子女たちに対して、私だって例外じゃなかった。

 ここはかつて没頭したゲーム世界で、その皇子様がまっすぐ私を目指してやってきたのだ。


 息を飲むほどの顔の良さ。

 彼を見ているだけで呼吸が止まりそうになる。


 シャルルは私のすぐそばまでやってきて、そして言った。


「リズ、残念だ……」

「……ざんねん?」

「ああ、君だけが希望だった。君こそがパルの呪いを解いてくれるものだと」


 学園で、当初からリズの音術のスキルは秀でている。しかしゲームでは、彼女がいくら努力したところでパルの呪いを解くには至らない。それができるのは、カノンだけ。


 しかし、私は閃いてしまった。


「ええ、確かに音術でパルくんを救うには至れませんでした。しかし、別の方法であれば救えるかもしれないです」


 どうやら私は、聖女リッサ時代の能力を使えるみたいだ。

 だとすれば、パルのことも回復魔法、あるいは状態異常回復でなんとかなるかもしれない。

 それなのに。


「——もういい」


 シャルルは目元を右手で隠すようにして、怒りを堪えるように言った。


「君の法螺話にはうんざりなんだ。いい加減にしてくれ」

「……ほらばなし?」


 シャルルは感情を押し殺すように、さらに続けた。


「君はあることないこと学園で言いふらすことによって、カノンも傷つけているそうじゃないか」


 シャルルに目を奪われていたから、私はそのときに彼の背後にカノンがいることに気がついた。カノンは目に涙を湛えながら、シャルルの服を掴んでいた。


「……そんなことはしていません。それに、仮に私がカノンさんを貶めるような噂を流たとしても、パルくんを救える可能性があることとは別の話で——」

「黙れ。おまえの話はもう聞きたくない」


 静かだが確かな剣幕に、私は言葉を失った。


「リズ・ブラックヴィオラ。僕は君との婚約を破棄する」


 異世界転生初日。


 私は婚約者を失った。


 きっとそれだけではない。立場とか、これまでの名声とか、もっとたくさんのものを失ったのだとシャルルの表情をみて直感した。


 下を向いたカノンが、うっすらと笑っているように見えた。

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