第9話 赤いカスミザクラと白いダリア 3(END)
※
「本当のことを、教えてあげた。あなたを騙している悪魔のこと、教えてあげた」
歌うような声が聞こえ、僕は、目を開きたくない。
「私は、あなたを、天使の餌にしない。女の子に、ひどいことはしない。アスモデウスのような、害虫とは違う」
僕は、耳を塞いでしまいたい。もう、目覚めたくないと思い。
「祖父と母親を騙し、自分を騙した。悪魔が、とても憎いでしょう。アスモデウスが、害虫が、憎くてたまらないでしょう」
言われたことに、かあっと全身が熱くなるのを感じた。
「さあ、目を開いて、害虫を呼び出して、罰を与えましょう。私、レヴィアタンが、手伝ってあげる」
頭の奥が痺れる様な、とても甘く感じる声。全身に響き、僕は、ゆっくり瞼を開いた。
見えるのものは、黒だけ。全身が熱く、左胸がどくどくと鳴って。目の前の黒に、『赤いヒガンバナ』が浮かんだ。
「さあ、契約をしている、悪魔を呼びなさい。害虫駆除をしましょう」
僕は、「あすも」と、かすれた声で言い。少ししてから、思うままを言った。
「……出てきて。あすもから、話を聞きたい」
とても、頼りなく感じる声を上げ。僕は、来てくれないかもしれないと思い。
「にちか。かわいく言ってくれたな、いい子だ」
聞こえた声に、喉がとても狭くなり。目の前の黒が、ぱあんっと弾けた。
「にちかと離れている間、ウミヘビの動向を観察していた。天使の差し金と思ったが、私の幸せを妬み嫌がらせをする為だけのものだった。遠慮なく、蛇退治が出来る」
僕は、閉じてしまった目を開き。ぴしりとしたスーツの背中が見えて、両目から水をこぼしてしまった。
「にちか。嫌な、怖い思いをさせてしまったが。終わったあと、全てなくしてやろう」
そう言われたあと、薄暗い部屋の中、あすもの背中の向こうに居るものが見えた。
「目の前に居るものは、レヴィアタン。七つの大罪の嫉妬を司る、水中に生息する悪魔。神が天地創造の五日目につくり出した、巨大なウミヘビ」
今居る、ゆめみさんの家のリビングはとても広い。レヴィアタンの長い身体はとぐろを巻いているけれど、部屋の左右の壁につき頭は天井についている。
「最上にちか。どうして、私の言うことを聞かなかったの。そんな、害虫のほうがいいの。男のほうがいいの」
レヴィアタンの声を上げるのは、薄い闇の中で赤い瞳を光らせる、とても大きな蛇。
僕は、レヴィアタンを見ていると身体がとても冷たくなって、固まり。
「男が死ぬほど嫌いで、幸せな人間が大嫌い。そのくせ、寂しがり屋で、私につきまとってくる。陸の悪魔はベヘモットだろう、さっさと、海に戻れ。レヴィアタン、お前のシナリオはひどい出来だった。演劇だとしたら、二分で外に出ていたぞ」
あすもが、とても楽しそうな、意地の悪い声で言い。レヴィアタンが口を大きく広げ、あすもの背中越しに向かってくるのが見え。
「にちか、目をつぶったままでいなさい。ひどいことをするから」
あすもの声が聞こえ、閉じてしまった目を開くと。レヴィアタンの閉じている口から、とがった靴をはいている片足が出ているのが見え。
ごくりと、飲み込まれてしまった。
「アスモディウス。今度こそ、お前を、ひどい目に合わせてやる。お前を、いたぶること、天使と神には見えないように、知られないようにした。ヨナのように、神は吐き出せとは言わない。私に、いたぶられ、食べられて消えろ」
レヴィアタンが、大きな口を天に開いて、とても楽しそうに言い。
僕は、目をそらすことも出来ず、固まったまま。正面から向けられた赤い瞳に、全身を震わせた。
「最上にちか。アスモディウスを、私の中でいたぶり殺したあと。私と契約をしましょう。ゆめみと、三人仲良くしましょう」
僕は、今更、ゆめみさんのことを思い出し。レヴィアタンは、高い声で笑ったあと言った。
「ゆめみは、今、私が飲み込んでいる。私の中で守っている」
僕は、言われたことが理解出来ず。赤い瞳の蛇ににらまれ、カエルの様に口を開けなかった。
「ゆめみは、幼い頃に引き取られた。血のつながらない父親から、ひどいめにあっていた女の子。私は、契約をして、力をあげた。ゆめみは、手始めに父親を開いて、私にとても汚い花をくれた」
知らなかった、ゆめみさんの事情。僕は、聞きながら、レヴィアタンにずるずると近づかれた。
「男、女の子をひどいめに合わせたやつ。汚い花を取り出せば、一生、不能になる。私とゆめみと一緒に、これから、害虫駆除をしましょう」
歌うように言った蛇の顔が、下に向き。レヴィアタンが、苦しそうな声を上げはじめ。
「残念だが。その様なことを、にちかにはさせない。私以外の悪魔と、契約はさせない」
小さく、あすもの声が聞こえ。大きな、爆発音が聞こえた。
「神に男のつがいを禁止され、欲求不満を人間の男をいたぶることで発散している、哀れな悪魔。勝手に不毛なことをしておけ、にちかを使おうとするな。私のものに手出しをするな」
閉じてしまった目を開くと、目の前、レヴィアタンは大きな身体をぐねぐねと大きく動かしていた。
「また、私の幸せをねたみ、邪魔をしに来るのなら。こんなものでは済まさない。天使と神に勝手なことをしていた報告をして、罰を受けてもらおう。頭を砕かれて、大嫌いな男に喰われるようにしよう」
あすもの平坦な声のあと、レヴィアタンから大きな音が聞こえ。少ししてから、大きな蛇の首が床に落ち。赤く光る花が辺りに舞い散った。
レヴィアタンの長く大きな身体は花びらに変っていき。大量に舞う赤の中から、あすもが現れた。
「目を閉じているよう、言っていただろう。ひどいものを見せて、すまなかったな」
僕の正面に立って、片膝をついてしゃがみ。あすもは、嫌ではない笑みを浮かべ、柔らかい声で言った。
「私は、天に背いてでも、明日香との約束を守る。私は、にちかがとても大事で、かわいい」
僕は、下にある顔を見ていると、胸がぎゅっとなるのを感じ。
『鈴谷牧師が生きていたら、言っていただろう。今だけ、私を身代わりにしてもいい』
先ほど見た、あすもと明日香の光景を思い返したとき。
「にちかさん。騙されないで下さい。男は、汚いです。私みたいに、汚されないで下さい」
ゆめみさんの声が聞こえ、顔を向ける前。冷たさに、強く包まれた。
「どうして、邪魔をするんですか。にちかさんを、汚さない為なのに」
「汚さない為に、父親と同じようにするつもりだったのか」
「そうですね。にちかさんは、何も出来なくなってしまうから、私が一生お世話をしてあげようと思いました」
「使役していた悪魔が消えても、冷静に己の欲望を満たそうとする。やはり、普通の人間が、何よりも残酷だな」
「そうですね。私は、父親のせいで、こんな風になりました」
「貴方の境遇と過去に同情はするが。男として不能にする以上のこと、魂をとりだし、父親を植物人間にしたのはやりすぎだ。身体は生きているが、精神は死んでしまっている。悪魔にそそのかされ、殺人を犯してしまっている」
「そうですね。私は、父親に引き取られてすぐ、三歳のときに魂を殺されたんです。力を手に入れたら、やり返すでしょう」
あすもに強く抱かれた両腕の中、ふたりのやりとりを聞き。僕は、ゆめみさんの事情を知り、幸雄がゆめみさんを怖いと言った意味が分かった。
「やり返したあと、楽しんでいただろう。父親を殺したあとも、悪魔を使い、大義名分を使い、ひどいことを楽しんでいた。己の残虐を楽しむ性癖は、父親のせいではないと気づけ。自分が、父親と同じものだ…」
明らかに、あすもが言葉を途中で止め。僕を包んでいた両腕の力がなくなった。
僕は、あすもの胸から頭を上げて、見えたものに固まった。
「にちかさん。私、悪魔を開くことが出来て。花を取り出せるみたい」
あすもの後ろに立つ、ゆめみさんは初めて見る笑みを浮かべ。僕に、あすもから取り出したのだろう、まばゆい光を放つ『白いダリア』を伸ばしてきた。
「にちかさん。これを、私が食べたら。悪魔になれるのかしら」
ゆめみさんが、花に顔を近づけ。僕は、左手が熱くなったのを感じながら、「ダメだ!」と大きく言い。目の前が真っ白になった。
※
「……あすもさあ。そんな、こ難しくて、長い話。よく、今、話しに来たよね」
「明日香。今しか、話せなかったからだ。娘が産まれれば、天使の監視がきつくな
る。今、この空間を目隠ししているが、数分しか持たない」
「だからって。まだ、産んでから、三時間しか経ってないんだけど」
「明日香。私の計画通りに、ことを進めていいな」
「頭回らない。けど、そうするしかないんでしょう」
「三年後、娘は、十六歳まで男として生活することになる。それまで、女性としてかわいがり、しつけをちゃんとしておくといい」
「そんなの、三歳までに無理でしょ。私に勝手に決められて、私の娘かわいそうだね」
「十五歳で今の旦那と知り合い。結婚の出来る、十六歳になった日に駆け落ちをしようとした。母親が、娘のことを想ってのことだろう」
「駆け落ちしたのに、あすもがすぐ見つけて。旭さんが教師だから、十八で結婚したけどね。私は、二十五歳で死ぬって言われてたし、生き急いでたんだよ」
「私と光太郎は、娘に事情を話さない。明日香の様にはさせない」
「駆け落ちしたこと、謝ったのに。あれから、六年も消えてたの。怒ってたからなの」
「明日香。時間がないので、無駄話は出来ない。私は、三年後、娘のそばに居ることが出来ない。十年後、光太郎との契約が発動するまでは」
「お義父さん。私たちの結婚式の前の日に、あすもに心臓を半分預けてたんだよね。そんなそぶり、一切見せてなかったよ」
「光太郎は、普通の人間だ。鈴谷神父の様に力があれば、娘のままでいられた」
「お父さん、強かったからね。女の子だと、色んなものに狙われやすいなら。あすもがそばに居れるまで、男の子でいいよ。私みたいに、暴走するかもしれないしね」
「本当に、あの頃の明日香は、発情期のイノシシのようだった。娘は、旦那の性格になるよう祈っておけ」
「嫌だよ。旦那さんみたいな、のんびり屋だったら。したいこと何も出来ずに、天使に殺される。二十二まで生きたけど、あっという間だった。三年なんか、すぐだろうね」
「まだ、三年ある。その間に、なんとかしてみせる」
「なんとかならないから。今、来てくれたんでしょう。あすも、契約を、さっさと済まそう。済まして、無駄話をしよう」
「子供を産んでも、十三の頃から変わらないが。旦那の前では、ちゃんと猫をかぶっているんだろうな」
「猫じゃなくて、愛をかぶってんの。旭さんは、私のかわいいところしか知らない」
「私に、寿司を投げつけ、公園に野宿していたことは言ってないのか」
「当たり前でしょう。あすものことは、ほとんど話してない。駆け落ちのこと、まだ怒ってるの」
「怒ってはいないが、とても拗ねていた。ふたりで居た長崎から神戸へ、明日香をさらわれたのだからな。私と会えなくなって、寂しかっただろう」
「寂しくは、なかったけど。あすもが作ってくれる、深夜の塩ラーメン。ずっと食べたかった」
「深夜のインスタント麺は、美容に悪い。ちょうど良かったじゃないか」
「嘘、寂しかったよ。結婚式、ちゃんと、最前列に席取ってたのに」
「知ってるよ。全部、見ていたからな」
「なんか、ストーカーみたいだね。私、サラってひとと似てるの」
「似ても似つかないな。私は、明日香のことを、女性として見たことはない」
「私は、娘だったもんね。私の娘、孫だと思って、かわいがってあげてね」
「無駄話は終わりだ。天使に見つかる前に、契約をしよう」
「もう、会えないんでしょう。寂しいよ」
「明日香。もう、十三歳の娘ではなく、母親になったのだろう。私が果たせなかった約束を、娘に託すんだろう」
「あすも。三年後、天使の目をごまかして。にちかが、普通の人間として生きて、寿命を迎えられるようにして」
「最上明日香。契約成立だ。約束どおり、あなたが愛する娘、にちかのことは任せておけ」
「にちかって、いい名前でしょう。何が起こっても立ち直れる、強い子になって。楽しい思いをたくさんして欲しい」
「玄関の『ニチニチカ』の花、水が足りないようだ」
「戻ったら、水たくさんあげとくね。『ニチニチカ』の花言葉には、『生涯の友情』もあるんだよ。あすものことも、名前にこめたんだよ」
「色んな意味を、こめすぎだろう。娘に、背負わせ過ぎだろう」
「うるさいな。本当に、あすもは、ずっとうるさくて。私、お父さんがいなくなってから、ずっと…」
「天使に見つかる。花を頂こう、娘は任せておけ」
「……あすも、ありがとう。お父さんで、何でも言える友達で、大事なひとだった」
「明日香。そんなことを、言わないでくれ。胸が張り裂けそうだ」
「……全然、痛くないんだね。花を取り出されるときって、安心するんだ」
「明日香。もう、口を閉じてくれ。花を、取り出せない」
「……あすも。ありがとう。天使の餌にされるぐらいなら、娘をお嫁さんにしてあげて。あなたみたいに、優しいひとはいないから」
「明日香。分かった。ありがとう」
「……あすも、ばいばい」
「さようなら。私の、愛しい娘」
※
「にちか。怖いものは、全部なくなった。目を開きなさい」
僕は、ゆっくり瞼を開いて、
「生まれた日、私たちの会話を聞いていたのか。明日香は、にちかによく似ていたろう」
薄暗い中、あすものひざを枕に寝ているのが分かった。
「……僕、あんなに、暴れん坊じゃない」
思ったままを言うと、上にある、あすもの顔が柔らかい笑みを浮かべた。僕は、ゆめみさんの家から、田村のおばあちゃんの家の縁側に居るのに気付き。
「にちか。怖いものは、全部なくなった。目を閉じなさい」
そう言われて、言う通りにしなかった。
「安心しなさい。十六歳になれば、娘に戻り、普通の人間として寿命をまっとう出来る。それまでは、全てを忘れて、私と一緒に居なさい」
あすもは、優しい声で、声と同じ顔で言い。僕は、見ていると喉が狭くなって、顔を背けた。
「明日香と居られたのは、二年ほど。長く生きている私からすれば、まばたきをする間のことだ」
縁側は戸が開け放されていて、夜の静かな庭と紺色の空に浮かぶ白く丸い月が見えた。
「とても短い、明日香と過ごした時の中で。私は、悪魔に堕ちてから、初めての気持ちになった」
月を見つめていると、上からぽつぽつ言葉が降ってきて。僕は、とても静かで、左手の甲の『赤いヒガンバナ』を見た。
「私は、天使に永遠に縛られ、人間から取り出した魂を差し出す存在。人間とは、仕事で関わるか、誘惑をしたり賭けをする遊び相手だった。なのに、時よ止まれと、明日香と過ごしているときに思った」
光っていないけれど、くっきりとした赤に見え。このしるしが、母さんにもあったのかと思った。
「芽生えた想いは、私を苦しませるだけだった。不条理で、非生産的で、何の意味もなく。理屈ではなく、心が求めてしまう」
「……あすも。母さんのこと、すごく好きだったんだね」
「私は、にちかのことが好きだ。見守るうち、孫に対する想いでないと分かった」
僕は、顔を上に向け。あすもは、笑みを浮かべてない顔で、とても静かに言った。
「これから三年、一緒に居られる。私は、にちかに好かれるようにしよう。自ら望んでくれるように」
僕は、何を言われているか分からず。あすもは、にやりと、嫌な笑みを浮かべて言った。
「皆の願いなど、無視してしまおう。私と堕ちて、ふたりでいつまでも一緒にいよう」
僕は、言われたことが分かる前に、お腹を大きく鳴らしてしまった。
「食事は、朝起きて、光太郎と食べなさい。全てを忘れて、眠りなさい」
冷たい片手に両目を隠され、とろりとした眠気が全身を包み。僕は、思ったままを言った。
「……あすも。……母さんが言ってた、塩ラーメン。……今度、作って」
「いくらでも。眠りなさい。もうしばらくは、明日香が望んだ幸せな子供でいなさい」
あすもが、とても優しい声で言い。安心して意識を手放す寸前。
「私は、にちかが欲しい。三年の間に、普通の人間の生よりも、私を選ぶようにしてみせよう。ふたりで天に背き、いつまでも一緒に居よう」
あすもが、とても楽しそうに言い。僕は、まだ子供だからか、意味が分からなかった。
※
小鳥の声が聞こえて、瞼をゆっくり開き。見慣れた天井が見えて、上半身を起こした。
カーテンを閉めていない窓から朝日が差し込む、明るい自分の部屋。僕は、ベッドの上で寝ていたのが分かり、ぼんやりした頭で思った。
「……何で、こんなに。……塩ラーメン、食べたいんだろ」
僕は、首を傾げたあと、制服に着替え。顔を洗ってから、「おはよう」と居間に入り。
「にちかさん。おはようございます。お身体の調子は、どうですか」
ちゃぶ台の前に座っていた、ゆめみさんに驚き。変わった姿と雰囲気に、とても驚いた。
「そんなに、驚いた顔をしないで下さい。昨日までとは違う。今の私は、おかしいでしょうか」
厚い前髪は、眉上で切りそろえられ。胸の下まであった髪の毛は、肩上までに短くなった。ティシャツにパンツ姿のゆめみさんが言い。
僕は、ぶんぶんと首を左右に振り。ゆめみさんは、ほっとした様な表情を小さく浮かべた。
「私、父親と縁を切るんです。父親と違うものになるならと、対価を引き換えに、こんな風になったんです」
「……あの、もしかして。……鈴谷あすもっていう、うさん臭いやつに言われたんですか」
「にちかさん。昨日の夜のことを、覚えていますか」
僕は、質問を質問で返されてしまい。昨日のことを思い返して、口を開いた。
「……店の手伝いを、してましたけど。昨日は、店に来てませんよね」
「にちかさん。一昨日の夜、港で見たものを覚えていますか」
「……一昨日も、店の手伝いをしてましたけど。港には行ってません」
「にちかさん。すみませんでした」
「……一昨日は、急に帰りましたけど。何か、用事を思い出したんですか。また、ご飯を食べに来て下さいね」
「自分で、食べたいものが分かること。それが条件で、おじい様に、アルバイトとして雇って頂きました」
僕は、少しして、「ええっ!!」と大きく言い。
「にちか、朝から、大きな声を出すんじゃない。ゆめみさん、朝食をたくさん食べて、働いてもらうぞ」
じいちゃんが居間に現れ。ちゃぶ台の上に、三人分の朝食を並べ。『いただきます』と三人で声を合わせ、食べはじめた。
「にちか。ゆめみさん、今朝うちにきて、家を出たが行先がないと言ったから。うちで働いてもらって、近所のアパートに住んでもらうことにした。お付きのひとと一緒にな」
「にちかさん。レヴィアタンを、覚えていますか。うちの家に居たものです」
僕は、味噌汁を一口飲み。また、じいちゃんの人助けがはじまったと思い。ゆめみさんに答えた。
「……アンって、呼んでたひとですか。身長が高くて、すごく綺麗なひとですよね」
「にちかさん。レヴィアタンは、もう、何もしません。仲良くしてあげて下さい」
僕は、「はい」と返して、初めて見るゆめみさんの笑みに頬が緩んだ。
三人で朝食を食べ終え、歯磨きをしてから。「いってきます」と、玄関の扉を開いたとき。
「にちか。あと三年は、普通の人間として生きろ」
そう言われ、振り向くと、
「そのあとを選ぶのは、にちかだ。じいちゃんは、どちらでもいいから。にちかが、幸せになれるなら」
じいちゃんが明るい声で言って、にかりと笑い。僕は、緩んだ頬で「いってきます」と返して、家を出てすぐ。
「おはよう。光太郎さんに、外で待つよう言われて。待ってた」
のそりと、幸雄が現れ。「おはよう」と返して、並んで通学路を進みはじめた。
「にちか。光太郎さんに聞いた。ゆめみさん、出入りするようになるのか。大丈夫なのか」
「大丈夫だよ。何か、すごく変わったから」
さっきのことを、幸雄と話しながら。薄い青が広がる空の下、乾いた暑さを感じながら歩き。僕は、平凡な日常って、とてもいいなと思った。
「そういえば。ポートタワーの辺りで、何人も、男の人が倒れている事件が起きてるらしい。命に関わることではないが、みんな、同じ後遺症があるらしい」
僕は、「何それ」と言い。ポートタワーの近くで、赤いアザミの花を取りだしたことを思い出した。
もしかして、あのときと同じことが起こっているのかと思い。
「にちかは、大丈夫だ。今日、俺には、見えなくなった。それでも、気持ちは変わらない」
幸雄が止まり。言われた意味が分からない、僕も止まった。じっと見つめられ、首を傾げると。
「にちか。俺は、あいつには、絶対に負けない。にちかを、さらわせない」
幸雄が、とても固い声と顔で言い。
「三隈幸雄。なかなか、素晴らしい宣言だ。私に勝つ為に、魂を差し出せるかな」
正反対に思える、軽い、楽しそうな声が後ろから聞こえた。
「あんたが、何かしたのか。もう、俺には、にちかが男子にしか見えない」
幸雄が、強い視線を、僕の後ろに向けて言い。僕は、振り返る前に、右肩を抱かれ左手を冷たい手に包まれた。
「三隈幸雄。どうして、そう思う。にちかは、男子で、私のかわいいものだ」
そう言って、僕の左手の甲『赤いヒガンバナ』に唇を落とした。あすもに振り向くと、とても嫌な笑みを浮かべていた。
僕が、「離れろ」という前。あすもは身体を離して、目の前に立った。
「にちか。おはよう。光太郎には、許しをもらった。今から、ついてきなさい」
僕は、とても嫌だと思う笑んだ顔に、はっきり「嫌だ」と返した。
「私とした約束を忘れたか。私の仕事を手伝い、私の為に貢いでくれるのだろう」
長身で整った容姿、ぴしりとしたスーツ姿。うさん臭くは見えるが、普通の人間にしか見えない。悪魔、あすもは、とても楽しそうに言い。
僕は、出会った頃の様に、強い苛立ちを感じながら言った。
「忘れてない。仕事は手伝う、貢ぐとか言うな」
「では、今から、ついてきなさい。仕事のあとに、塩ラーメンを作ってやろう」
そう言ったあと、あすもは、両目をとても細くし。僕は、「分かった」と、なぜか緩んだ頬で返した。
ラスト・フラワー END