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第7話  赤いカスミザクラと白いダリア   1


    ※


 あすもとは連絡がつかないまま。僕は、幸雄に謝って、熊野ゆめみさんの家へと向かった。


「大したお構いもできませんが。どうぞ、ごゆっくりしていってください」


 そう、熊野ゆめみさんに、平坦な声で言われ。向かいに浅く座る、僕は口を開けなかった。


「どうかしましたか。私とふたりになってから、ずっと、驚いた顔をしていますが」


「……あの。熊野さんは、セレブだったんですね」


 僕は、思ったままを口にして、今居る美術館の様なすごい家に来るまでを思った。


 ハーブ園を一緒に出て、黒い大きな車に乗せられ。着いた先は、田村のおばあちゃんの家から近く。

 頂上に異人館のある、急な坂の通りの途中。何かの施設かなと思っていたところは、熊野ゆめみさんの家だった。


 自動で開いた高い門、車に乗ったまま入ると噴水のある広間。広間を挟む、白くて大きい四角い建物がふたつ。ひとつの建物に車が入ると、下に降りて地下に着いた。

 車を出てエレベーターで上がり。扉が開くと、天井がとても高い、白と光がまぶしい室内が見えた。

 広く長い廊下を進むと、左右に扉がいくつもあり。着いた先は、昨日のレストランの様に、奥の壁が一面ガラスの部屋。

 ガラスの向こうは、白と黒の石が敷き詰められた、どこかの有名なお寺のような広い庭。

 広い室内には、とても大きなソファセットに暖炉、よくわからない置物が置かれ。

 壁に天井に床、家具も全て白い。白すぎると思う室内に居ると、頭がふわふわしてきて。とりあえず、すごいところに来てしまったと思った。


「ゆめみでいいです。セレブとは、どういう意味ですか」


「……ごめんなさい。嫌な言い方でしたね」


「謝らないで下さい。私、質問をしただけです。セレブとは、どういう意味ですか」


「……えっと、お金持ちって意味です」


「私は、持っていません。持っているのは、父です」


 そう、今日出会ってから表情と声色がずっと一緒な、ゆめみさんが言い。僕は、謝りかけて、口を閉じた。


「ご友人を置いてきてしまいましたが、良かったんですか。一緒に来られても、良かったのですが」


 僕は、幸雄ごめんと思いながら、ごくりと喉を鳴らしてから言った。


「……ゆめみさん。……昨日のこと、何を聞きたいんですか」


「聞く前に、お渡ししたいものがあるので。とってきてもいいでしょうか」


 「はい」と返すと、ゆめみさんは席を立ち。多分、リビングだろう空間から姿を消した。

 僕は、ひとりになって、大きく息を吐き。


「……どうしよう。僕、ちゃんと話せるかな」


 ぼそりと弱音を吐き、昨日のことを思い返した。


 昨日は、あすもと一緒に、すごいレストランに夕飯を食べに行った。

 夕飯を食べる前に、二十年前に死んでいた、レストランをつくった清水さんの魂と出会い。夕飯の終わりに、店の中でトラブルが起きた。

 レストランのオーナーに、ゆめみさんはグラスの水をかけられていた。

 レストランのオーナーは、あすもにひどい目に遭わされ。あすもに頼んでいた清水さんは、最後の花を取り出された。


 普通ではありえない光景を、レストランに居た人たちはあすもに眠らされていたので見ていない。ゆめみさん以外は。

 ゆめみさんは、一部始終を見てから、あすもに眠らされていた。

 僕は、あすもと出会ってから。何度も、普通ではありえない光景を見てきた。

 それでも、未だに、慣れることは出来ない。初めて見てしまった、ゆめみさんが僕に事情を聞きたい気持ちは分かる。


 昨日のことを、どう説明しようかと思ったとき、


「失礼いたします。ゆめみ様のお客様。お茶をご用意しました」


 長身のひとが、音を立てずに部屋に現れ。僕は、「はい」と、姿勢を正した。


「ごゆっくりされて下さい。私は、ゆめみ様の、運転手と身の回りのお世話をさせて頂いてます」


 そう言って、目の前の低い大きなテーブルにお盆を置いた。パンツスーツ姿のひとは床に両ひざをついて、僕の前に花柄の皿がついたカップを置いた。


「何でも、お言いつけ下さいね。ゆめみ様のお客様」


 カップとそろいのポッドから琥珀色のお茶を注ぎ。にこりと笑んだひとは、縁なしの眼鏡をかけていて、瞳が薄い青だった。

 薄い黄色の髪の毛をうしろできっちりまとめ。白い顔は彫りが深く、お化粧をあまりしてない様に見えるけれど、すごく美人な外国のひとだと思った。


 「どうぞ」と言われて、僕はますますふわふわしてきた頭で、カップを両手にした。

 一口飲んで、どこかで嗅いだ匂いだと思い。


「ジャスミンティーになります。先ほど、ゆめみ様のお客様が受け取らなかった。テディベアの花のお茶です」


 言われたことに、香りの正体が分かり。背中が冷たくなった。

 先ほど、僕は、ぬいぐるみから取り出した最後の花を向けられ。その花を、あすもは、むしゃむしゃと食べてしまった。

 僕たちの話を聞いていて、事情が分かっているのかと思い。僕は、目の前の整った異国の顔を、口を開けず見つめた。


「綺麗な花でしたね。白く、儚い。まるで、夢のような」


 笑みを浮かべて言った。薄い青の瞳のひとは、声色を変えて言った。


「いつまで、あれは、夢を見ているのでしょうね。あなたの、害でしかないものなのに」


 笑みを浮かべたまま、固い声で言った。薄い青から、目を離せない。


「あなたのような、美しい花にたかるもの。害を及ぼす、虫でしかない」


 「害虫」と、はっきり聞こえ。僕は、かあっと、どこかが熱くなるのを感じ。


「害虫駆除。いつでも、承ります。ゆめみ様と、仲良くして下さいね」


 にっこりと、目の前のひとが笑み。僕が口を開く前。


「アン、何を話しているの。お茶を用意してくれたの」


 ゆめみさんが戻ってきて、アンと呼ばれたひとは立ち上がり。ゆめみさんにおじぎをして、部屋から出ていった。


「アンと、何の話をしましたか。顔色が悪いですが」


 ゆめみさんが、向かいに座って言い。僕は、何の話をしたか、なぜか思い出すことが出来ず。


「にちかさん。これを、お返ししますね」


 ゆめみさんが、テーブルにハンカチを置き。僕は、昨日渡したものを受け取り。洗濯してアイロンがかけられているのが分かった。


「昨日は、ありがとうございました。私、レストランの庭に雷が落ちてから、気付くと病院に居たんですが。にちかさんは、大丈夫でしたか」


 表情のない顔に、「大丈夫です」と返し。何も言えないでいると、少ししてから、ゆめみさんが平坦な声を上げた。


「私、にちかさんにハンカチを渡してもらったあとのことが、思い出せないんです。警察の方が言っていたのですが、雷が庭に落ちたあと、レストランに居たものは感電をし気を失ってしまったそうです。お医者様に、感電をしたせいで、思い出せないのではと言われました」


 ゆめみさんが、昨日の普通ではありえない光景を、思い出せないことが分かり。僕は、ほっと息を吐き、身体の力が抜けた。


「私は、にちかさんのことは、思い出せて良かったと思いました。お礼を、ちゃんと言いたいと思いました」


「……お礼なんて、言われることしてないです」


「しています。今日、大学のOBの方の演奏会に行って、本当に良かったです。私は、お礼が言いたくて、にちかさんのお名前で人探しを頼もうかと思っていました」


 僕は、そんなにと思い。ゆめみさんは、僕を透明な瞳で見つめて言った。


「お礼を言い、聞きたいことがあったんです。どうして、私を、助けてくれたんですか」


 じっと見つめられて、僕は、昨日のことを思い返した。


『帰れ! 俺の店から、出て行け! お前じゃ、話にならん! 人形は、家で大人しくしとけ!』


 そう言って、レストランのオーナーが、ゆめみさんにグラスを傾け。僕は、全身がかあっと熱くなるのを感じた。


「……助けてないです。思ったままを言っただけです。女の子に、ひどいことしたから」


「にちかさん。私は、初めて、女の子として扱ってもらいました。損得なしに助けてもらいました。ありがとう」


 僕は、なぜか、とても照れくさくなり。顔を下に向けると聞こえた。


「私、にちかさんと、仲良くなりたいんです。お友達になってくれませんか」

 

   ※


「にちかさん。今晩は、お邪魔します」


 そう言って、二日連続で来ている、ゆめみさんが店に入ってきた。

 僕は、「いらっしゃい」と、奥のテーブル席に案内し。他のお客さんの視線が集まっているのを感じた。


「にちかさん。今日は、何を食べたらいいですか」


 今日は、薄い黄色の着物を着ている、日本人形みたいなゆめみさんが言い。


「お嬢さん。昨日も、同じことを言っていたが。自分の食べたいものはないのか」


 カウンターの向こうから、じいちゃんが言った。


「私は、お友達の、にちかさんが決めたものを食べたいです。おじい様、いけませんか」


「様は、いらねえよ。友達だからって、決められることはないだろう」


「私は、食べることに、それほど興味はありません」


「それは、いけねえな。食べることは、生きることだからな」


 ゆめみさんは、表情のない顔で首を傾げ。僕は、今日のおすすめの定食でいいと聞き、「はい」と言われたとき。


「俺も、今日のおすすめひとつ。こんばんは。光太郎さん、夕飯食べにきました」


 幸雄が店に現れ、僕がそばに立つテーブルに近づき、


「二日前、ハーブ園に居た。熊野ゆめみさん、でしたよね。今晩は」


 あいさつをちゃんとしたあと。ゆめみさんは席を立った。


「にちかさん。今日は、おいとまします。他のお友達が来るなら、言って下さい」


 僕は、とても驚き。ゆめみさんは、「また」と背中を向け、店を出ていってしまった。


「にちか。俺、何か、ダメだったか」


 幸雄が不安そうな顔で言い。僕が口を開く前。


「ダメなのは、お嬢さんだろう。にちか、休憩に入れ。幸雄君と食べてこい」


 そう言ったじいちゃんは、今日のおすすめ、デミグラスオムライスとクリームコロッケの皿をふたつ作ってくれ。幸雄と一緒に、居間で食べることにした。


「幸雄。土曜は…」


「謝らないでいい。俺が邪魔ってオーラ出してたから、ついていかなった」


 僕の言葉をさえぎったあと。向かいに座る幸雄が、オムライスを一口食べて「うまっ」と言い。


「昨日、今日、俺、法事で親戚のとこで、学校休んでたから。なんかあったんなら、話聞くぞ」


 幸雄がスプーンを操りながら言い。僕は、持っていたスプーンを置いて、ちゃぶ台の上を見つめて言った。


「……幸雄。僕、言ってないことがあるんだけど」


「俺は、にちかが言いたくないことを、聞きたいとは思わない」


 僕は、ゆっくり顔を上げ。幸雄は、食べながら言った。


「聞けというなら、聞く。それ以外は、どうでもいい」


 食べっぷりのいい様子を見つめ。僕は、頬が緩むのが分かった。


「熊野ゆめみさん、田村のおばあさんの家の近くに住んでる、すげえ金持ちのひとだろ」


 僕は、驚き、「何で知ってんの」ともらした。


「うちの親父、寺の住職だからな。この辺りの住人のことをよく知ってる。土曜家に帰って、にちかが熊野さんて女の人に連れてかれたって言ったら、色々教えてくれた」


「幸雄。色々って…」


「にちか。冷めるから、食べろ。今日のクリームコロッケ、いつも以上にうまい」


 そう言い、幸雄は大きなコロッケをさくさくと食べ。僕は、スプーンを持たずに、「教えてよ」と言った。


「熊野さんのお父さんは、服飾の大きな会社を経営してる。この辺りに越してきたのは三年前。父ひとり子一人だけど、元々美術館で何十年も買い手がいなかった、とても大きな家に住んでる。お父さんは忙しくて、ほとんど家にいない」


 僕は、ゆめみさんについて知らなかったこと、知ってることにうなずき。


「お父さんは、ひとり娘に会社を継がせようとしてる。ゆめみさんは、日舞華道お茶、たくさんのお稽古事の免許を持つ大学生一年生」


 三日前、すごい家に呼ばれて、友達になりたいと言われ。次の日から、店に訪れてくれているけど。僕は、ゆめみさんが大学生なことを、はじめて知った。


「一部で、人形と呼ばれてるらしい。見た目と、とても大人しいかららしい」


「……確かに、お人形さんみたいに綺麗だけど。そんな風に言うのは、ダメだろ」


 僕が思ったままを言うと、幸雄は「ごちそうさま」とスプーンを置いた。


「綺麗だけど、人形ではないよな。すごく、怖い」


「……怖いって、僕は思わないけど」


「俺は、思うよ。にちかは見えてなかったか。さっき、すごい目で見られた」


 僕は、驚いたあと、ゆめみさんについて想った。


 黒くて前髪の厚い、胸までの長い髪の毛。綺麗に整った、白い小さな顔。

僕より身長は高いけれど、とても細く華奢で、見ていると少し不安になる身体。見るからに高そうな、着物やワンピースで包み。

 容姿は容姿は、人形のように綺麗で、表情を変えることがない。


 口数がとても少なく、質問ばかりで自分のことを話さず。はっきり言って、何を思っているのかは分からない。

 ゆめみさんのことを、これから知っていけるのかなと思い。


「にちか、大丈夫か。ゆめみさんは、大丈夫なひとなのか」


 僕は、幸雄に心配そうな顔を向けられて、少し考えてから言った。


「……まだ、よく知らないけど。大丈夫だよ。僕と、友達になりたいって言ってくれたんだ」


『私、にちかさんと、仲良くなりたいんです。お友達になってくれませんか』


 三日前、僕に言ってくれたとき、ゆめみさんの瞳は少しだけ揺らいでいた。


「本当に、大丈夫なのか。なんで、にちかの周りには、にちかだけ好きな人間が集まるんだ」


 僕が「何だそれ」と言うと、幸雄は眉間にシワを寄せて続けた。


「鈴谷あすも。本当に、大人気ないよな」


 僕は、突然に思えるあすもの名前に、どきりと心臓が鳴り。言わないでいいと言われたけれど、口を開いた。


「……僕は、約束してるんだ。あすもの仕事を手伝うことを」


 そう言ったあと、僕は、幸雄には見えない左手の甲の『赤いヒガンバナ』に顔を向けた。


「……僕は、手伝いたくないけど。あすもの言うとおりにしてる」


 あすもと出会ってから二週間のこと。とても簡単に言い、「でも」と続け。


「……よく分からないこと言われて。しばらく、会えないって言われた」


 最後、とても小さく言い。


『にちかを、明日香のようにはさせない』


 昨日、あすもが言ったことを、浮かべていた表情を思い返し。僕は、なぜか、胸がぎゅっとなるのを感じた。


「俺、鈴谷あすもの仕事、分かってるぞ。にちか、大丈夫なのか」


 驚き、ゆっくり顔を上げると。幸雄が、とても真面目な顔で続けた。


「あいつの仕事、探偵だろ。あいつの仕事には関わるな」


 僕は、少しして、言われた意味が分かり。


「俺、ドラマとか漫画でしか知らないけど。探偵は不幸になるものだ、周りの人間も」


 間違った答えを言う。真剣な顔をした幸雄に、頬が緩み。


「そんなことにならない。あすもは、不幸にならない」


 僕は、思ったままを口にして、自分に驚いた。


「にちかは、そう思うんだな」


 少し考えてから、こくりとうなずき。幸雄は、頭を片手で抱えて言った。


「じゃあ、そうなんだろう。俺は、あいつと関わって欲しくないし、あいつにどっか行ってほしいが。にちかが頼んできたら、なんでもする」


 本当に、幸雄は優しいなと思ったとき。ポケットに入れている携帯が震え、取り出すとメッセージが一件入っていた。


「……幸雄、ありがとう。僕、ちょっと、行ってくるね」


 「どこに」と言われ、「ごめん」と残し。僕は、家を出て、メッセージで呼び出された場所に向かった。

 早足で着いたのは、ポートタワーの近くの薄暗い港。僕は、携帯を取り出して、メッセージを確認した。


『にちか。仕事を手伝って欲しい。一緒に、空へ花を投げた場所に、今から来てくれ』


 登録していない番号からだったけれど、内容から、あすもだと思い。

 三日ぶりの、うさん臭い、ぴしりとしたスーツ姿。その場でぐるりと探していると、ひとの短い悲鳴が聞こえた。

 僕は、聞こえたほうに顔を向け。少し先、街灯の下に居る、ふたつの人影を見つけた。

 細長い影に気付いて、近づき、


「それでは、花を頂こう」


 名前を呼ぶ前に、あすもは、目の前のひとの腹の中に右手を入れた。手を入れられたひとは、聞いたことのない、悲痛な声を上げ。


「いいぞ。もっと鳴け。男が、情けなく、慈悲を請え。痛みの声を上げて、私を楽しませろ」


 あすもが、楽しそうな声を上げながら、とても嫌な笑みを浮かべ。僕は、かちんと固まってしまい。


「つまらない。気絶したか。男、もっと、私を楽しませろ」


 そう言ったあと、あすもは、右手をひきぬき。赤黒い瞳を光らせ、こちらに向いた。


「にちか。これが、私の正体だ。私は、悪魔だ」


 にやりと笑った顔に、何も言えず。あすもは、嫌な笑みを残して、手のひらからこぼした赤い花びらに包まれ消えてしまった。


   ※


「……さん。にちかさん。私の話、聞いていますか」


 僕は、気が付くと、店の中に居て。テーブルに座るゆめみさんが、そばに立つ僕の顔を覗き込んでいた。


「にちかさん。昨日は、にちかさんのご友人に、失礼な態度をとってしまって。すみませんでした」


 回らない頭で、昨日、ゆめみさんが店に来たことを思い返し。


「にちかさん。今日は、寝不足のようですけど。昨日の夜、何か、あったんですか」


 僕は、昨日の夜、港から家に逃げるように戻り。ほとんど眠れず、学校ではずっとぼんやりし。港の光景とあすもの姿を、ずっと思い返していた。

 そんな事情を話せず、黙っていると。


「にちかさん。今から、私についてきてくれませんか」


 ゆめみさんが、透明な瞳で言い。僕は、「ごめんなさい」と返して、続ける前。


「お店のお手伝いは、もう、しなくて大丈夫です。おじい様には、少し、眠って頂きました」


 平坦な声で言われて、カウンターに顔を向けると。じいちゃんが作業台に突っ伏していて、僕は温度が下がった。


「大丈夫です。おじい様は、悪魔から心臓を返してもらったときの様に、倒れているわけではないです。私が、私の悪魔に頼んで、眠らせてもらっただけです」


 地面を蹴る前に言われて、僕は、ゆっくり後ろを振り返った。

 ゆめみさんは、首を傾げ。何の表情も浮かんでいない顔で言った。


「驚いた顔をしているのは、どうしてですか。にちかさんも、にちかさんの悪魔が居るでしょう。私を、レストランで、にちかさんの悪魔が眠らせたでしょう」


 僕は、ゆめみさんに言われたことで、頭が真っ白になり。口を開く前に、突然、目の前に赤い花が舞い。風に身体が包まれて、目を閉じた。


「にちかさん。昨日の夜は、驚かせてしまって、ごめんなさい」


 後ろから、ゆめみさんの声が聞こえ。目を開くと、暗くて、海の香りがした。

何度かまばたきをして、薄暗い港に居るのが分かり。僕は、夢を見ているのかと思い、もう一度目を閉じた。


「私、にちかさんと、お友達になりたい。誰よりも、仲良くなりたい」


 また、後ろから、ゆめみさんの声が聞こえ。昨日も聞いた、ひとの絶叫が聞こえた。


「だから、悪魔と契約したの。にちかさんと、同じものになったの」


 絶叫に重なる、平坦な声が聞こえ。僕は、ゆっくり、後ろに向いて目を開いた。

 目の前には、二つの人影。辺りに声を響かせるひとと、腹の中に右手を入れるゆめみさん。


「昨日、にちかさんの悪魔の姿で、こうしてたのは私。にちかさんの悪魔の、正体を見せたほうがいいと思ったから」


 辺りに響いていた声が消え、ゆめみさんは右手を引き抜き。どさりと、地面にひとが倒れた。

 白目を剥いて泡を吹いているひとに、僕は駆け寄ろうとし。ゆめみさんに片腕をつかまれ、足を止めた。


「にちかさん。私は、私の悪魔の為に、花を取る。男から、悪い奴から、花をとる」


 ゆめみさんは、地面に倒れているひとを、冷たく見える瞳で見下ろしながら続けた。


「こいつは、女の子にひどいことをしてた。だから、花をとった。もう、ひどいことが出来ないように」


「……だからって、ひどいことをして。花をとるのは、ダメだ」


 思ったままが、口から小さくもれ。ゆめみさんは、僕から手を離し、じっと僕を見つめて言った。


「驚いた顔をしているのは、どうしてですか。にちかさんも、にちかさんの悪魔と一緒に、花をとって、ひどいことが出来ないようにしたでしょう。女の子にひどいことをしていた、男から、悪い奴から」


 ゆめみさんが、何の表情も浮かんでない顔で言い。僕は、口を開く前に、風に包まれ。

 閉じてしまった目を開き、見えたものに、かちんと固まった。


「綺麗でしょう。私の、契約のしるし。『赤いカスミザクラ』」


 そう言った、ゆめみさんの厚い前髪は左右に割れ、額の真ん中に赤いしるしがあった。

 赤く光る、桜の形。『赤いカスミザクラ』を見つめ、口を開けないでいると。


「ゆめみ様のお客様。どうぞ、ゆめみ様と仲良くして下さいな」


 後ろから声が聞こえ、ぞわりと、全身に鳥肌が立った。


「あの害虫、私に恐れをなしたのか。こんな、緊急事態に現れないとは。これだから、害虫は、男は、消えてしまえばいい」


 そう言ったあと、僕の横を通り。ゆめみさんの家で一度会った。長身のパンツスーツのひとが、ゆめみさんの隣に立った。


「改めて、自己紹介をしますね。私は、嫉妬の悪魔と、害虫が言っていたものです。レヴィアタンとお呼び下さい。アンと呼んでも、にちか様なら構いません」


 そう言ったあと、レヴィアタンは眼鏡を外し、まとめていた髪の毛がほどけた。

 薄暗い中で、波を打ったあと。金色だった髪の毛は、光る薄い青になった。


「ゆめみ様。すごく、上手に出来ましたね。私の為に、ありがとうございます」


 そう言って、レヴィアタンはシャツのボタンを外し。豊かな胸を半分見せながら、地面に伸びているひとの腹に片足を降ろした。


「ああ、気持ち悪い。男、女の子にひどいことをしたやつ。このまま、消し炭にしてやりたい」


 ぐりぐりと、腹の中で足を動かしながら。レヴィアタンは、笑みを浮かべた顔で続けた。


「私も、害虫と同じ。生きている人間に手出しは出来ない。私は、人間に開いてもらわなければいけない」


 そう言ったあと、腹から足を抜き。レヴィアタンは、髪の毛だけでなく全身を光らせた。


「ここに来て、四日間。十人の男、女の子にひどいことをしたやつ。ゆめみに食べさせてもらったけれど、まだまだ、足りない」


 そう言って、こちらに向いた顔。うろこがあるのが見え、首と胸元にも見えた。


「一番食べたいのは、害虫。あの嫌味な顔が歪み、助けて欲しいと請うてくるまで。ありとあらゆる痛みを与えたあとに、感覚を残したまま頭から喰ってやりたい」


 レビィアタンは、にやりと、ギザギザの歯を見せ。赤い瞳を光らせて、楽しそうに続けた。


「大丈夫。にちか。あなたには、手を出さない。私は、ひどいことをされた、女の子の味方だから」


 僕は、今の状況と、分からない言葉に口を開けず。


「にちかさん。安心して下さい。私が、お友達として、にちかさんの悪魔を開きます。レヴィアタンに、食べてもらいます」


 ゆめみさんが言ったことに、


「……勝手なことを、言わないで。そんなこと、しないで」


 思ったままが、震える言葉になった。


「かわいそうに。本当のことを知らされず、害虫に騙されて」


 レヴィアタンが、とても楽しそうな声を上げ。僕は、「本当のこと」と、もらした。


「最上にちか。あなたは、何も知らない。自分が、女の子なことも」


 歌う様に、レヴィアタンが言い。突然、赤い花びらと風が舞い、身体を包んだ。

 僕は、目を閉じてしまい、開くと白だった。まばたきを何度かくり返し、見えたのは、ゆめみさんの家の中の風景だった。


「にちかさん。やっぱり、そのお洋服似合う。私のおさがりだけど、とても気に入ってるものだから受け取って」


 ゆめみさんの声が聞こえ、白く広い部屋のソファに座っているのが分かり。下半身がすーすーするのが分かった。

 顔を向けると、ふりふりとふわふわが見えて。


「にちかさん。こっちに来て、自分のかわいい姿を見て」


 ゆめみさんに手をとられ、立ち上がり。壁の大きな鏡の前に立たされて、頭が真っ白になった。


「にちかさん。かわいい。私、初めて見たときから、分かってた。男の子の制服を着せられて、かわいそうだった」


 隣に立つ、ゆめみさんが平坦な声で言い。鏡の中にうつる自分の顔は、両目が大きく開かれた。


「にちかさん。私は、父が、男が大嫌い。だから、もう、男の子のふりなんてしないで」


 ゆめみさんは、僕に抱きつき。僕は、鏡から目が離せない。

 薄いピンクのひらひらふわふわしたドレスを着て。短くしている髪の毛が肩下まで伸びている。

 仏壇に飾られた母さんの顔によく似ている、自分を見つめながら言った。


「……勝手なことを、しないで。勝手に、決めないで」


 少しして、僕に抱きつくゆめみさんの姿が、レヴィアタンに代わり。鏡越しに、にやりと笑まれた。


「それでは。本当のことを、教えてあげましょう。あなたは、ひどいことをされた女の子」


 両目を冷たい片手で隠され、取られると。僕は、セーラー服姿になっていた。


「最上にちか。自分の両親を殺し、自分を男にした。悪魔に騙されている、かわいそうな女の子」


 歌う様な、とても楽しそうな声のあと。僕は、また、赤い花に包まれ。


「本当のことを、教えてあげましょう。あなたを騙している悪魔のこと、教えてあげましょう」


 勝手なことをするなと、言えないまま。目を閉じてしまった。


第7話 赤いカスミザクラと白いダリア 1 了



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[良い点] 様々な花が目をくらませます〜 [気になる点] 香りが漂う小説ですね [一言] 作者は花が大好きなんですか?
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