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第5話  アイビーのレストラン


    ※


 小鳥の声が聞こえて、瞼をゆっくり開き。見慣れた天井が見えて、上半身を起こす前。


「……何で。ふたりが、ここに居るんだよ」


 カーテンを閉めていない窓から朝日が差し込む、明るい自分の部屋。ベッドのそばの床に並んで座る、ふたり。


「にちか、おはよう。私が起こすと言ったのだが、三隈幸雄がついてきた」


「にちか、おはよう。こんな、親戚のひとが居ること。どうして教えてくれなかったんだ」


 今日もぴしりとしたスーツ姿のあすもと、固い顔をした幸雄が言い。

 僕は、ふたりを見つめ、眠気が冷めた。


「にちか。私は、光太郎とにちかの親戚で、異国帰りの真面目なサラリーマンとしか言っていない。それなのに、三隈幸雄から敵意を向けられている」


「にちか。俺は、そんな態度とってるつもりはない。ただ、この家に出入りしているのは大丈夫かなと思う」


「私のどこが、そういった感想になるのか。三隈幸雄、詳しく聞かせてもらおうか」


「あんたが、普通の人間ではないからだ」


 僕は、幸雄が言ったことに、慌てて上半身を起こした。


「私のどこが、そういった感想になるのか。三隈幸雄、詳しく聞かせてもらおうか」


 あすもが、にやりと嫌な笑みを浮かべ。僕が口を開く前。


「失礼かもしれないが、詳しくと言われたから。見た目が整っていて、ちゃんとした服を着て、ちゃんとした言葉を使っているけれど。うさん臭くて、人間味を感じない」


 幸雄が、固い声で、僕も思っていたことを言い。


「……うさん臭いけど、そんなことない」


 僕は、昨日、思ったままを口にした。


 昨日、海の上の空に、あすもと一緒に花火を上げた。

 その時のやりとりと、あすもが浮かべていた表情。僕は、普通の人間に思えた。


「にちか。俺、今日は、先に行くな」


 幸雄が立ち上がって、すたすたと部屋を出ていき。


「にちか。三隈幸雄が言ったことは、本当のことだ。私は、普通の人間ではなく、悪魔だ」


 僕は、笑みを浮かべている、あすもに顔を向けて言った。


「幸雄が、ごめん。あとで怒っとく」


 本当のことであっても、幸雄は言い過ぎだ。そう思い、言葉を吐いたあと。


「にちか。謝る必要はない。私のことを、買いかぶり過ぎではないか」


 あすもは、嫌な笑みから、嫌じゃない笑みを浮かべて言い。僕は、「買いかぶり」の意味が分からず。


「本当に、言動がそっくりだな。だから、そばに居たくなる」


 あすもが、僕の左手を左手でとり。もう、感じる冷たい温度に驚かず。


「私を、こんなにしてしまったこと。責任をとってもらおう」


 あすもが、僕の左手の甲に唇を落として、頭が真っ白になった。


「にちか。ベッドを出て、服を着替えて顔を洗い、居間に来なさい。光太郎が朝食を用意してくれている、たくさん食べて学校に行きなさい」


 あすもは、固まっている僕から離れ。


「普通の人間ではないものが寄ってくれば、左手の甲で感じることが出来る。感じても、無視をしておけば大丈夫だが。何かあれば、私の名前を呼べばいい」


 立ち上がり、上から、嫌な笑みを浮かべて続け。僕が、左手の甲の『赤いヒガンバナ』に顔を向けると、聞こえた。


「学校が終わったら、まっすぐ帰ってきなさい。私と、ふたりきりで、ディナーを食べに行くのだから」


    ※


 今日一日、学校で幸雄にさけられ。仲直り出来ないまま、家にまっすぐ戻り。

ディナーに行く服なんてないと言うと、


「それでは、数分で、上から下までそろえよう。私と、そろいで作ってやろう」


 あすもが、楽しそうな声で言い。僕は、はっきり「嫌だ」と返した。

 じいちゃんがアイロンをかけてくれ、磨いておいてくれた。制服の白いシャツと黒のパンツに着替え、こげ茶のローファーをはいた。


「制服から制服に着替えても、気分は上がらないだろう。私と同じ様なものを着れば、違う世界が見えるぞ」


 僕は、あすもにしつこく言われ、はっきり「嫌だ」と返し続け。


「にちか。あすもに習って、行儀よく楽しんでこい。じいちゃんは、斎藤ひとみちゃんと、楽しんでくるからな」


 帽子をかぶり白いスーツを着た、珍しく浮かれているじいちゃんを見送り。あすもと一緒に家を出た。


 夕方六時過ぎの辺りは、厚い雲の下、灰色でしっとりと蒸し暑く。僕は、着替えたばかりなのに、背中の汗を感じながら坂を上がった。


「……楽しんでくるって。デートみたいに言って、変なの」


「光太郎は独身だ、女性と楽しんでもいいだろう。懸賞で当たった、斎藤ひとみという歌手のディナーショーに行くこと、デートと言ってもおかしくはない。焼きもちをやくのはやめなさい」


 僕と違い、すずしい顔をして隣に居る。あすもが、にやりと笑みを浮かべ。


「……退院祝いだって。名越さんが言ってたのに、変なの」


「朝、光太郎が言っていたろう。私に、ずいぶん世話になっているから。名越氏に招待されたディナーに、にちかと一緒に行ってこいと」


「……そうだけど。じいちゃんと、行きたかったのに」


 僕は、足を止めて、一緒に止まったあすもに向いて言った。


「中学生になってから、出かけることも外食に行くこともなかったから。あすもと行くのは、嫌じゃない」


 言い訳のような言葉を、早口で吐くと。あすもは瞳を少し大きくして細めた。


「嫌じゃなくて、良かったよ。私は、とても楽しみだからな」


 今、悪魔ではなく、普通の人間にしか見えない。あすもは、にこりと笑んで言った。


「にちか。ディナーの時間まで余裕がある。今からでも、着替えが出来るぞ。私と同じ格好をすることが出来るぞ」


 楽しそうな顔と声に、僕は「いらない」と言い。緩んでいる頬で前を向いて、あすもと歩きはじめた。


 異人館の建物が並ぶ、観光客でにぎわう通りから。少し坂を上がって、裏道に入り。

 高い塀に囲まれ、重厚な木の門扉が開いた外観が見え。門の前に立って、施設の雰囲気に固まってしまった。


「にちか。私が居るから、大丈夫だ。怖くないから、入ろうか」


 まるで、歯医者さんに行くときの様に。あすもが、僕の背中に冷たい手をそえて言った。


「……怖くはないけど。こんなとこ初めてで、緊張する」


「それは、とてもいいことだ。この場所に、敬意を感じているということだからな」


 そう言ったあすもに、肩を抱かれて中に入り。目の前に広がった景色に驚き、違う世界へ来てしまったと思った。


 目の前に広がる、校庭ぐらいあるだろう、とても広い洋風な庭園。手入れが行き届いた緑で溢れ、青い匂いが強く香り。薄暗くなってきた辺りを、あちこちにある木に吊るされたランプがオレンジ色にじんわり照らしている。

 ファンタジーの世界に迷い込んだ様に感じながら、ふわふわしてきた頭で進み。庭の先にある建物に気付いた。


 ずっとあるのが分かる、大きくて立派な二階建ての洋館。壁には緑がからまり、壁に刻まれた模様とともに、建物を引き立てている様に見える。


「この建物は、大正末期に建てられたものだ。大戦で壊されてしまったが、戦後すぐに修復し姿を取り戻した。百年近く、ここで、様々なものを見てきたものだ」


 あすもが隣で静かにいい。僕は、百年と思い。長生きな建物の前に着いた。

 建物の扉の前には、黒い、結婚式の格好をした男性が立ち。「いらっしゃませ」と、声をかけられて、僕は固まり。


「にちか。食事の前に、庭を散歩しておくか」


 今居る景色に、とてもなじんで見える。あすもに、「まかせる」と小さく言った。


「この素晴らしい庭を、ゆっくり見られることは当分ないが。どうする」


 僕は、「まかせる」と言い、あすもの姿を見つめた。

 僕の家の中や神戸の街中だと浮いて見える。高そうなスーツを着た、普通のひととは違うと思う姿。

ここでは普通に見えて、自分はとても浮いて見えるのだろうと思った。


「時間は少しかかるだろうが、また訪れたときにしようか。激動の時代、戦争を乗り越えたのだ。ここは、これからもあり続けるだろう。今日、ずっと守ってきた、主がいなくなっても」


 あすもが、よく分からないことを言い。僕は、質問する前に、背中にそえられた手に導かれ建物の中へ入った。


 模様が彫られた高い天井の下、長い廊下の床には濃い赤の敷物がひかれ。扉を開いてくれた男性に案内され、絵や美術品が上品に飾られた廊下を進み。

 濃い茶色の扉を開いてもらい。目の前に広がった景色に、やはり違う世界にきてしまったと思った。


 廊下より高い天井には、とても大きいきらきらした灯りが吊るされ。教室がふたつ入りそうな広い場所を、少しだけ暗く、ぴかぴかと夢の中の景色みたいに照らしている。

 奥の壁は全面透明なガラスで庭が見渡せ。茶色く光る床の上白いテーブルクロスがかかったテーブルがぽつぽつと置かれて、テーブルにつくひとたちはみんなきちんとした大人に見え。


 僕は、絵を見てるみたいだと思い、固まるしかなく。


「にちか。ここはレストランだ。食事を、私と楽しもう。私が居るから、安心しなさい」


 あすもに、耳元で小さく言われ。ここに来てから、肩をずっと抱かれたまま。僕は、案内された席に着き、引いてもらった椅子に浅くかけた。


「ノンアルコールカクテルは何があるのかな。連れと乾杯したいのだけど」


 店員さんからメニューを渡された。向かいに座るあすもは、慣れた様子で注文をしていき。僕は、緊張をしながら、様子を見つめるしかなかった。


「にちか。食事の途中、席を立つタイミングが分からないだろう。先に済ませておきなさい」


 僕は、言われた意味が分かり。あすもが呼んでくれた店員さんと、レストランを出てトイレに向かった。

 トイレも広くて綺麗で、用を足したあとに、手を洗いながら大きく息を吐き。

 顔上げると、洗面台の鏡に頼りない表情が見え。ぱしぱしと両手で叩いたあと、トイレを出た。


 僕は、廊下に立ち、左と右どちらに広間があるか分からなくなり。どうしようと思ったとき。


「よろしければ。レストランへ、連れていってくれませんか」


 とても静かな声が聞こえ。顔を向けると、


「失礼かもしれませんが。迷っているように見えて、お声をかけさせて頂きました」


 少し先に、見知らぬ男性が立っていた。


 栗色の髪を後にまとめた、彫の深い顔立ち。鼻の下には立派なひげ、瞳はガラス玉みたいなブルー。

 あすもより、更にきちんとして見えるスーツ姿の男性。その容姿から、外国のひとだろうと思い。


「大丈夫ですよ。私の出身はイギリスですが、日本に住んでいる時間のほうが多く。日本語はちゃんと分かります」


 僕よりも、きちんとした日本語で言い。あすもと同じくらいの歳で長身の男性が、目の前に立って続けた。


「私の名前は、清水しみずと言います。日本人の女性と結婚したからです」


「……僕は、最上にちかと言います」


「初めまして、にちかさんと呼んでいいでしょうか」


 僕は、圧倒されるのを感じながら、「はい」と小さく言い。清水さんが、「行きましょうか」とほほ笑み。「こちらです」と廊下を左に進みはじめ、隣に並びついていった。


「にちかさん。ここに来られるのは、初めてですよね。ここを、どのように思われましたか」


 僕は、隣のゆっくりな歩みについていきながら、思ったままを言った。


「……自分がいつも居るところと、違うなって。近くにあったのに、違うところだなって思いました」


「違和感を覚えてしまいましたか。それは、これから改善していなかないとダメですね」


「……ダメじゃないと思います。僕は、子供で、こんな立派なところ知らなかったから」


「年齢がいくつであろうと、どんな方であろうと、ここを利用される方は大切なお客様です。お客様が、ここを心地よいと思って頂けるよう、私が努力するのは当たり前です」


「……清水さんは、ここで、働いているひとなんですか」


 清水さんは、足を止めて、止まった僕に身体ごと向いて言った。


「にちかさん。私は、ここを愛していて、お客様を愛しています。だから、この扉を開いてくれませんか」


 そう言い、清水さんは、いつの間にか着いていたレストランの扉に顔を向けた。


「私は、愛するものを守りたい。愛するものを、大切にしないものは許さない」


 清水さんがよく分からないことを言い。僕は、あすもに言われたことを思い出した。


『普通の人間ではないものが寄ってくれば、左手の甲で感じることが出来る。感じても、無視をしておけば大丈夫だが。何かあれば、私の名前を呼べばいい』


 朝、あすもが言っていた。僕は、左手の甲に顔を向けて、『赤いヒガンバナ』を見つめても何も感じず。


「にちかさん。扉を、開けてくれませんか」


 顔を上げると、清水さんがにこりと笑み。   

 僕は、ほっと息を吐いて、レストランの扉を開いた。


「ありがとう。にちかさんのディナーが終わるまでは、何もしません。食事を、お楽しみ下さいね」


 やはり、別世界みたいなレストランの光景。目の前にして固まっていると、隣から聞こえ。顔を向けると、清水さんの姿はなかった。

 僕は、もう一度、左手の甲に顔を向け。何も感じず。


「にちか。そんなところに居ると邪魔になる。ディナーを楽しもう」


 聞こえてきた声に顔を上げると、あすもが正面に立っていた。


「ディナーが終わるまでは、何も起こらない。私が居るから、安心しなさい」


 清水さんのことを言おうしたけれど、あすもに背中へ冷たい手をそえられてテーブルに戻った。


「一旦、置いておきなさい。今からは、私と楽しみなさい」


 そう、あすもが言ったあと。店員さんが僕の前にグラスを置いた。


「安心しなさい。それは、ノンアルコールカクテル、シャーリー・テンプルだ」


 僕の視線の先には、細長い透明なグラス。氷と薄い赤の液体が注がれ、レモンとミントの葉がグラスのはしにそえられいる。

 照明のせいか、きらきら輝いて見える目の前のグラス。あすもの説明がなければお酒に見え。お酒じゃないと分かっているけれど、手にするのを迷った。


「シャーリー・テンプルは、ざくろ味のグレナデン・シロップとジンジャーエールを合わせたもの。アメリカで店に訪れた子供でも飲めるカクテルとしてつくられ、名前は当時の子役からとられた。世界中で愛されている、ノンアルコールカクテルだ」


 僕は、同じグラスを手にした、あすもに「乾杯」と言われ。グラスを持って、かちんと、小さな音を立てた。

 あすもがグラスを傾けてから。僕も、初めての飲み物を一口飲み。「おいしい」とぼそりもらして、グラスを傾けると聞こえた。


「良かった。シンデレラと迷ったが、にちかは炭酸が好きだからな。おかわりを、いくらでもしなさい」


 グラスを置いて、少し酸っぱい、おいしい炭酸の味がする口で「うん」と言うと。   

 あすもは、嫌じゃない笑みを浮かべ。店員さんが僕らの前に皿を置いた。


「ナイフとフォークを無理に使わなくてもいい。食べ方に気をつけなくてもいい。今日は、箸で自由に食べなさい」


 そう言ったあと、皿の前に置かれた箸を左手に持ち。あすもは、皿の上にある、綺麗で華やかなものに伸ばした。

 綺麗な箸遣いで、一口食べてから。


「この皿の料理は、サーモンのテリーヌ。サーモンの刺身とオクラの下には、テリーヌという名のサーモンのムース。皿を飾る緑は、水菜、セルバチコ、ラディッシュ、セルフィーユ、新鮮でくせがない味だ。皿に散る琥珀は、ゆずの風味がするだしを固めたゼリーで、テリーヌに緑と一緒に食べると味が変わって面白い」


 あすもは、初めて見るどう食べたらいいか分からないものを、くわしく説明した。

 僕は、「食べてみなさい」と言われて、箸をのばし。一口食べてから、初めての味に「おいしい」ともらした。


「このレストランは、日本の素材を取り入れ、日本人の舌に合うようにした料理を出してくれる。美味いものしか出てこないから、楽しみなさい」


 あすもの説明は、長くて分かりにくく、正直聞くのが面倒なときがあるけれど。今は、とても心強いものに感じ。僕は、「うん」と素直に言い、皿に箸をのばした。


 皿の上が空くと、次の皿が置かれ。初めて見る綺麗で戸惑う料理を、あすもが説明をしてくれて、ひるまず食べることが出来た。

 サーモンのテリーヌ、スープ、お肉、パン。全部おいしくて、食べていくごとに緊張がなくなり、食事を楽しむことが出来た。


「にちか。デザートは、甘夏のタルトとソルベ、この店の名物であるトリークル・タートとバニラアイス、どちらがいい」


 満足な食事が終わってから。あすもにデザートを聞かれ、「トリークル・タートって、何」と聞いた。


「トリークル・タートは、日本では糖蜜パイと訳され。世界中で、日本でも人気な児童書に出てくるだろう。両親を亡くした男子が魔法学校に入る物語に」


 僕は、小学生の頃本を読み映画も見たことのある、物語のタイトルを口にした。


「トリークル・タートは、糖蜜パイの名どおり甘さの強い砂糖のタルトだ。19世紀末の料理本にレシピがあり、100年以上の歴史を持つイギリスの伝統的なデザートだ」


 僕は、あすもの説明を聞いたあと、


『大丈夫ですよ。私の出身はイギリスですが、日本に住んでいる時間のほうが多く。日本語はちゃんと分かります』


 食事の前に出会った、清水さんのことを思い出し。左手の甲は反応しなかったけれど、伝えておこうと思い。


「にちか。この場所の歴史を、ここを作った人間の話をしよう。百年近く前、大正末期、イギリス人の青年が神戸に訪れた。彼は、神戸の土地にほれこんで、移住を決意した。日本人女性と出会い結婚をして、広大な土地を買った。庭をつくりこの建物を建て、家族と過ごし客を招いていた。彼は、とても幸せな日々を、ここで過ごして居た」


 僕が話す前に、あすもはおとぎ話のような話をはじめ。黙って、低く静かな声を聞いた。


「七十年ほど前、日本で大戦がはじまり、神戸の街にここも被害を受けた。彼は、妻子と多くの友をなくし、ここは壊れてしまった。対戦が終わり、彼は、ここを立て直して以前の姿に戻し、レストランに作り替えた。なくしてしまった、愛するひとを迎えるように。訪れる客に愛を持って接し、この場所と従業員を愛してきた」


 あすもが、珍しく、分かりやすい話をしてくれ。「だが、しかし」と言ったあと、乾いた音が両耳に痛く響いた。


「愛する場所は汚された。汚したものを断罪するときがきた」


 雷の音と分かって、閉じてしまった両目を開き。嫌な笑みを浮かべた顔が見えた。


「にちか。デザートは、次に来たときに楽しもう」


 あすもが静かに言ったあと。また、雷の大きな音が聞こえ、少しして土砂降りの雨の音が聞こえはじめた。

 顔を向けると、ガラスの壁に水が叩きつけられ、庭がぼんやりとしか見えず。


「にちか。今からはじまることを、私は見せたくはない。汚いものを、君には見せたくはない」


 あすもに顔を向けると、笑みを消した顔が見えた。僕は、左手の甲が、じんわり熱いのに気付き。


「……何が、はじまるんだ。……ここに、何か居るのか」


「とびきりなものと、食事の前に出会っただろう。食事が終わるまでは何もしないと、言ってくれただろう。このレストランに、招き入れただろう」


 僕は、あすもが言ったことに、思い返した。


『ありがとう。にちかさんのディナーが終わるまでは、何もしません。お楽しみ下さいね』


 食事の前に出会った、外国のひとに見える、清水さん。

 やはり、普通の人間ではなかったのかと思い。


「左手のしるしに反応がなかったのは、私が切っておいたからだ。にちかが手洗いに行っている間に話しかけられ。私は、清水氏に力を貸すことにした」


 僕は、知らなかったことに、とても驚き。あすもは、にやりと笑って続けた。


「最後に、断罪をしたいと言われ。面白いものを見せてくるならと、力を貸すことにした」


「……何だよ、それ。……何を、するつもりだ」


「にちか。すぐに席を立ち、ひとりで家に戻っておきなさい。寄り道をせずに帰るんだぞ」


 僕は、思うまま、「嫌だ」と言い。あすもが少し瞳を大きくして、細めてから言った。


「本当に、同じだな。純粋で、勇敢で、恐れを知らない。狡猾で、臆病で、恐れから逃げる。私とは正反対で、だからこそ、とてもひかれてしまうよ」


 あすもが、訳の分からないことを歌うように言ったあと。すぐ後ろから、「ふざけるな!」と大きい声が聞こえた。


「にちか。大丈夫だ。私がそばに居るから、観客として楽しもうじゃないか」


 あすもに、どういうことかを聞く前。「話が違うだろう!」と、また、大きな声が聞こえ。

 後ろに向くと、ひとつのテーブル席に視線が集まっていた。


「出資の話を白紙にとは、どういうことだ! どうして、娘が話をしに来るんだ!」


 テーブルにはふたり。ひとりは、怒りの声を上げる、派手な身なりをした中年の男性。もうひとりは、若い女性で、お人形さんみたいだと思った。


「私は、父の伝言を預かって、ここに来ただけです。私は、何も分かりません」


 若い女性は、とても小さく、透明な声で言った。

 胸まであるまっすぐな黒髪、厚い前髪の下は整った白い顔。薄いピンクの着物姿。

 日本人形みたいな、とても綺麗な若い女性。ぱしゃりと液体がかけられて、とても驚いた。


「帰れ! 俺の店から、出て行け! お前じゃ、話にならん! 人形は、家で大人しくしとけ!」


 若い女性にグラスを傾けた、中年の男性が怒りの声を上げ。僕は、全身がかあっと熱くなるのを感じ。


「……あの。よかったら、使って下さい」


 気づいたら、若い女性のそばに立ち。ハンカチを伸ばしてしまっていた。

 若い女性は、間近で見ると本当に綺麗で。僕を、じっと見つめてから、「ありがとう」とハンカチを受け取ってくれた。


「……あの。女の子に、ひどいことしないで下さい」


 僕は、中年の男性に向いて、思ったままを言い。ぎろりとにらまれた。


「ここは俺の店だ。文句があるなら、出て行け! ここは、お前らみたいな、金が払えないガキが来るところじゃないんだよ!」


 「出て行け!」と、中年の男性が大きく言い。どおんっと、外から、とても大きな音が聞こえた。


「にちか。素晴らしい。君の高潔さは、どんな宝石よりも輝いて見える」


 僕は、あすもの楽しそうな声に、閉じてしまった目を開き。店の中が真っ暗で、背中が冷たい温度についるのに気付いた。


「だから、言っただろう。綺麗な君に、汚いものを見せたくないと」


 すぐ後ろから聞こえた、あすもの静かな声。僕は、ほっと息を吐き。

 外がまばゆく光って、見えた光景にとても驚いた。


「残念だ。貴方の父上は、ここをとても愛してくれていた。だからこそ、ここをゆずったのだ」


 そう、静かに言った清水さん。右手に長い鉄の棒を持ち、左手で中年の男性の胸倉をつかんでいる。


「貴方の父上が、己を忘れる病になり。ここを、勝手に自分のものにしたこと。貴方の父上を、この棒で何度も叩いたこと。私は、ずっと見ていたけれど、何もすることが出来なかった」


 ぴかぴかと、外からの光に照らされる。目の前のふたり。清水さんが、流れるように言ったあと。中年の男性は、目と口を大きく開いた。


「出て行け! ここは、俺の店だ! 警察を呼ぶぞ!」


「もう、呼んでおいたよ。これから、貴方の罪を掘り返すからね」


 清水さんが、とても静かな声で言ったあと。どおんっと、外から音がして、身体が物理的に震えた。


「にちか。大丈夫だ。目を開けて、窓の外を見てみなさい」


 柔らかく肩を持たれ、身体がくるりと回り。僕は、ゆっくり目を開けた。


「雷は、日本では、神が鳴るとも書く。ひとは知っている、神の力をしめすものだと。神の残酷さを、これほど、知らしめるものもないだろう」


 どおんっ、どおんっと、大きな音を立てながら。庭に光が落ちていくのを、固まって見つめ。

 僕は、あすもの冷たい温度を背中で感じながら、楽しそうな声を聞いた。


「サンダー(thunder)、ドンナー(Donner)、トネール(tonnerre)、フードル(foudre)、 トォオーノ(tuono)、トゥルエノ(trueno)、トニトルス(tonitrus)、ブロンテー(βροντη)、グローム(гром)、ドンデゥル(DONDER)、オスカー(åska)、プコーロァン(ផ្គរលាន់)、プティル(petir)」


 あすもが、どこの言葉か分からない、知らない歌を歌い。目の前の庭に、これまでで一番の音と光が落ちて、めりめりと大きな木が倒れた。


 僕は、目の前の光景に固まったまま、くるりと身体を回された。


「ここは、貴方の店ではない。私がつくった、愛あるひとたちのものだ。出て行くのは、貴方だ」


 そう言ったあと、清水さんは、鉄の棒を床に落として中年男性から手を離した。

 中年の男性は、清水さんに背中を向け。ガラスの壁に力なく向かい、扉を開き叫び声を上げながらレストランを出た。


 激しい雨に打たれながら、倒れた庭の木のそばに座り。大声を上げている姿。

 見ていると、くるりと身体を回された。


「お見苦しいものを見せしてしまい。大変、申し訳ありませんでした」


 正面に立つ、清水さんはにこりと笑み。


「それでは、最後の花を頂こう」


 あすもが静かに言い、僕の前に立った。


「はい。お力添え頂いて、ありがとうございました」


 そう言ったあと、清水さんはあすもの隣に立ち。身体を向けたあすもの左手を、自らのお腹に収めた。


「にちかさん。おさわがせして、汚いものをみせて、申し訳ありませんでした」


 僕は、口を開けず、首をぶんぶんと振り。  

 発光しはじめた清水さんは、柔らかく笑んで続けた。


「にちかさん。また、この店に来て下さいね」


 僕は、お別れのときだと分かり。狭くなった喉で「はい」と小さく言い。


「悪魔には、充分に気を付けて。愛に溢れた人生を」


 清水さんが、とても優しい声で言ったあと。あすもが、「ラスト・フラワー」と言い、ずるりと左手を抜いて。

 清水さんは、さらさらと、金色の粒になって消えてしまった。


「この葉は、アイビーという。アイビーは大変繁殖力が強く、一度生長してから取り去るのは困難になる。この建物に絡んでいる姿を見ただろう」


 いつの間にか、瞳を赤く光らせていた。あすもの左手に握られているのは、金色に光る、緑の葉がたくさんついたつる。

 まぶしいくらい光っている姿は、強さを感じる。


「アイビーの花言葉は、『永遠の愛』、『友情』、『信頼』。そして、『死んでも離れない』。先ほどの紳士は、二十年前に亡くなっていたが。ここにとどまり続け、守る為に、私に『最後の花』を差し出した」


 そう言ったあと、あすもは、するするとつるを飲み込んでしまった。


「食べ応えはあったが、苦味を感じる、珍味というべき味だな。デザートではなく、酒のつまみだ」


 味の感想を聞き、僕は、今更気づいた。


「はじまりの雷が聞こえれば、ここに居る普通の人間は気を失うようにしていた。客には迷惑をかけず、私の力を借りたいと。にちかが手洗いに行っている間に、交渉をしてきたから。私は、面白いものを見せてくれるならと、力を貸してやった」


 そう言ったあと、あすもは、薄い闇の中でにやりと笑い。パトカーと救急車のサイレンが聞こえはじめ、楽しそうな声で聞こえた。


「雷と雨の中、隠しておきたい秘密がめくれ。あわてふためく罪人と、裁きにきた亡霊。まるで、古典の舞台のような景色が見られて。デザートは食べられなかったが、とても満足だ。面倒な事情聴取をされる前に、退散しよう」


 僕が、嫌な笑みと言葉に、口を開く前。


「去る前に、教えてくれませんか。私は、普通の人間ではないのですか」


 後ろから、透明な声が聞こえ。顔を向けると同時、あすもがテーブルに座る若い女性の両目を左手で隠した。


「お嬢さん。あなたは、本当に人形だったのか」


「私は、人形ではありません」


「では、眠りなさい。悪魔とは関わらずにいなさい」


 そう言い、あすもが手を離して。若い女性は、がくりと首を落とした。


「眠らせただけだ。数時間後には目を覚まして、普通の人間ならば忘れているだろう」


 僕は、口を開く前に、ひょいと水平に抱かれ。


「面倒なので、さっさと退散しよう。口を開くのなら、眠らせてしまうが」


 僕の身体を両腕にした、あすもが楽しそうに言い。


「ふざけるな。勝手なこと、しようとするな」


「素晴らしい。にちかは、どんな芸術品にもかなわない。私を、心震わせるものだ」


 「ふざけるな」と、口を開く前。両目を片手で隠されてしまい。


「おやすみ。朝まで、ゆっくり眠りなさい」


 僕は、後頭部をがつんと殴られたように感じて、意識がなくなりかけ。


「にちか。かわいい、私のもの。たくさん愛でてやるから、美味しく成長してくれ」


 あすもの甘ったるく感じる声に、「ふざけるな」と言えず。意識を手放した。


第五話 『アイビーのレストラン』 了


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