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第4話 赤いアザミのハナビ


   ※


 僕は、小さなころから、身体が丈夫なのが取柄だった。

 なのに、じいちゃんの見舞いに行って、大きな男子と色々あって、家に戻ってから。

 三日間、高熱が出て、寝込むことになり。


「来たのか。あすもが、医者と看護師さんへの挨拶も終わらせて、荷物も持っていった。もう、することはないぞ」


 僕は、じいちゃんの退院の日、昼前に病院に着いた。

 入院する前と変わらなく見える。パジャマ姿でないじいちゃんに、ほっと息を吐き。


「この三日、寝込んでいたらしいが。体調が戻ったのなら、休んだぶんの勉強をしておけ。俺のことは、あすもがしてくれる」


 僕は、本当のことを言われ、苛立ちを感じた。


 いいと言われたけれど、じいちゃんの少ない荷物を持ち。病院をあとにして、小雨が降る中、傘をさして駅までの道を歩く途中。


「にちか。あすもとは、うまくやっていたのか。わがままを言って、困らせてはないだろうな」


 隣で背中をぴしりと伸ばして歩く、じいちゃんにぴしゃりと言われ。


「……何だよ、それ。僕、じいちゃんに、わがままを言ったことないだろ」


「俺に言えないぶんを、幸雄君に言ってきただろうが」


 僕は、言われた本当のことに、何も返すことが出来なかった。


 物心ついたときから、ずっと一緒だった。幸雄は、昔から年相応に見られなくて、同じ歳なのに兄のように僕の面倒をよく見てくれた。

 僕は、幸雄の過保護なところに苛立ちを感じるけれど。自分が、たくさん甘えてきたのを分かっている。


「幸雄君の代わりに、あすもに甘え過ぎてないだろうな」


「……何だよ、それ。代わりになんて、してない。幸雄とは全然違う。あすもは、うるさくて厳しくて意地悪だ」


「そうか、それは良かった。幸雄君のような甘い人間が、身近にふたりも居たら。にちかは腐っちまうからな」


「……何だよ、それ。じいちゃんまで、同じこと言うの」


「あすもに、同じことを言われたのか。わがままを言って、叱られたか。幸雄君と会わせろと、わがまま言ったか」


 僕は、言ってないことを言われて、驚きながら返した。


「……わがままじゃない。あすもは、お見舞いにきてくれた、幸雄を追い返したんだ」


「左手の甲のしるしが安定するまでは、普通の人間に会えないと言われたろうが」


「……じいちゃん。何で、さっきから。あすもに言われたこと分かるの」


「俺が、あすもと契約をしていたからだ。俺には力がないから、しるしを刻まれなかったがな」


 僕は、そうだったと思い出して、質問をする前に言われた。


「悪魔と契約すれば、普通の人間とは違うものになる。契約してから数日は体調が崩れ、普通の人間に迷惑をかけることがある。俺は、明日香さんとあきらが結婚した日に、あすもと契約をした。そして、言いつけを聞かずに店を開け、普通の人間に迷惑をかけてしまった」


 じいちゃんが、あすもにも言われたことを言い。「旭」と、めったに出さない父さんの名前を出して、初めて語ったことにとても驚いた。


「店でボヤが起こり、幸い、お客さんに被害はなかった。原因は、低級な幽霊のしわざだったらしい。悪魔と契約をすれば、力としるしのない、俺でも狙われた」


 じいちゃんが足を止めて、僕も止まり。顔を向けると、眉間にシワを寄せた顔が見えた。


「俺は、あすもとの契約が終わった。普通の人間に、ただの老いぼれになった」


 じいちゃんは、とても固い声で言ったあと。傘を持っていないほうの手で、僕の肩を強くつかんだ。


「俺は、力のない老いぼれだが、なんでもしてやる。にちかは、普通の人間として、ちゃんと生きろ。」


 そう言ったあと、じいちゃんは目じりのシワを深くし。僕は、なぜか、喉がとても狭くなった。


「明日からは、ちゃんと学校に行って、店を開けるから手伝いをしなさい。心配をかけたが、もう、大丈夫だ」


 じいちゃんが、肩の手を頭に乗せ、僕の髪の毛をなでながら言い。涙をがまんして、「うん」と返した。


「あすもとは、しばらく会えないが。会いたいとわがままを言わず、生活をちゃんとしなさい」


 僕は、じいちゃんに言われたことに、涙がひっこみ。


「……何で、じいちゃんは、あすもなんかと仲がいいの」


 僕は、ずっと聞きたかったことを聞き。じいちゃんは、僕の頭をぐしゃりとつかみ、にかりと笑んで言った。


「そんな言い方してやるな。あすもは、にちかのことを、ずっと大事にしてくれてる」


 そう、じいちゃんに言われ。僕は、三日前、あすもが言っていたことを思い返した。


『私は、悪魔だが、にちかを何よりも大事なものとして扱っている。己の大事なものにひどいことをされれば、償いを求めるのは当たり前だろう』


 大事にしてくれているかは分からないけれど。この三日、タウとラムとともに、あすもは家に居た。

 僕の看病をしてくれたのはタウとラム。あすもは、目を覚ますとベッドのそばに必ず居て、僕の様子を聞き苛立つことを言ってきた。


 正直、じいちゃんが居ない家で、ひとり寝込んでいたらと思うと身体が冷える。

 タウとラムが居てくれて、あすもが居てくれたこと。とても助かったと思うけれど。


『にちかは、これから、私と一緒に居るからだ。さまよえる死者の魂に好かれ、最後の花を手にするのに役立つ。大事な、私のものだ』


 あすもが、嫌な笑みを浮かべて、言っていたことを思い返し。僕の頭から手を離したじいちゃんに言った。


「……僕、最後の花の為に、大事にされてるんじゃないの。……じいちゃん、僕が、あすもに食べられてもいいの」


 じいちゃんは、両目を少し大きくしたあと。豪快に笑いはじめた。


「そうか、そうか。にちかにも、明日香さんと同じことをしているのか」


 笑い終わったあと、じいちゃんは訳の分からないことを言い。僕が質問をする前。


「にちか、大丈夫だ。じいちゃんは、しぶとく生きるからな」


 「大丈夫だ」と、じいちゃんが明るい笑みで言い。色々と聞きたいことはあるけれど。あすもと出会ってからの、もやもやが晴れるのを感じた。


「腹が減ったな。久々に、ステーキでも喰いにいくか。にちか、精をつけて、色々とがんばりなさい」


 じいちゃんが、止んだ雨に傘をたたみ。僕も、傘をたたんで、「うん」と緩んでいる頬で言った。


   ※


 じいちゃんが家に戻って一週間が経ち。僕の生活は、すっかり元通りになったけれど。


「……だから。僕の風邪は、ひとにうつるやつだったから。幸雄と会えなかったんだって」


「だからって、あんなに、冷たく断る必要なかっただろ。俺、にちかになんかしたんだったら、言ってくれよ」


「だから。僕、熱があったから、何言ったか覚えてないし。気にしないでいいから」


「そういうときだから、本音が出ることもあるだろう。言いたいことがあれば、何でも言ってくれればいい」


 僕が熱で寝込んでいるとき。僕に扮したラムに、冷たく追い返されていた。

 幸雄が、一週間経っても、めちゃくちゃ拗ねてしつこいままだった。


「幸雄君。もうそろそろ、家に帰りなさい。にちかには、これから出前を運んでもらうから」


「そうそう。幸雄、今日は忙しいから。話は、また明日しよう」


 今日は、学校から幸雄と家に戻り。僕は、数の多い出前の手伝いを調理場でしながら、カウンターの隅に座る幸雄の相手をしていた。


「光太郎さんが戻ってから、はりきりすぎじゃないか。大丈夫か」


 過保護でとても優しいけれど、拗ねたら長引いてしまう。幸雄が、拗ねていても心配してくれ。僕は、緩んだ頬で返した。


「大丈夫。幸雄、ごめんな。本当は会いたかったから」


 幸雄は、ほっとしたような笑みを浮かべ、「また、明日」と店を出ていき。


「にちか。ああいうのは、ほどほどにしておけよ」


 扉が閉まったあと、隣に立つじいちゃんに言われ。僕は、牛肉にパン粉をつけながら、「ああいうの」と聞いた。


「自分は、にちかにとって特別だと。誤解させるような言葉を、私以外に吐くなということだ」


 答えが、カウンターの向こうから聞こえ。顔を向けて、「出たな」ともらしてしまった。


「光太郎。私のほうがいいと思わないか。一週間、拗ねたままで、女々しくにちかに問い詰めるような。幼い真似を、私はしない」


 ひとがいなくなった店に突然現れ、カウンターに座ったあすも。

 うさん臭いと感じるスーツ姿。瞳は黒く、普通の人間にしか見えず。


「にちか。一週間、私がいなくて寂しかっただろう」


 そう言い、にやり笑んだ顔は嫌なもので。僕は、苛立ちは感じず。

 頬が緩みそうになり、咳払いをしてから口を開いた。


「あすも。幸雄のことを、そんな風に言うな」


「あすも。久しぶりだな。俺は、幸雄君のほうが、素直でいいと思うが」


 僕のあとに、じいちゃんが言い。あすもは、少しだけ瞳を大きくしたあと、笑みを浮かべた顔で言った。


「素直でいいのは、女性に限ったこと。男は、いかに、自分の思惑を見せることなく、女性を愛でるべきだろう」


 相変わらず、訳の分からないことを歌うように、あすもが言ったあと。


「最後の花の為、非常食だからそばに居ると。明日香さんへ言っていたこと、にちかにも言っているんだってな。プレイボーイが本気になると、手練手管を出せないのか」


 じいちゃんが、はっきり言い。あすもは、笑みを消して、固まった様に見えた。


「素直に好意を向けないと、子供には分からない。かわいいと思う気持ちを意地悪で表していたら、嫌われるだけだぞ」


 そう言ったあと、じいちゃんは牛かつを揚げはじめ。店の中には、じゅじゅうとかつが揚がる音だけ響き。

 ちらりと、カウンターのほうを見ると、


「……どうした、あすも。お腹でも痛いのか」


 あすもが、カウンターに両肘をつき、組んだ両手の中に顔を押し付け。

 いつも、自信満々で、ひとを見下している様子なのに。今は、落ち込んでいるように見えた。


「にちか。私の発言を、光太郎に伝えるのはやめて欲しい」


 ぼそりと、あすもが小さな声で言い。


「にちか。これからも、じいちゃんに全部言いなさい」


 じいちゃんが、はっきりと言い。僕は、じいちゃんの言うことを聞こうと思った。


「あすも。一週間、来ないでくれと頼んで。寂しい思いをさせて、悪かった」


 僕は、じいちゃんの言ったことに、驚き。じいちゃんは、あすもの前に、揚げたてのカツを挟んだサンドウィッチを置いた。


「光太郎。私を、子供の様に言うのか」


「あすもが俺より長く生きてるのは、よく知ってるさ」


 ふたりは、五十歳くらい歳が離れて見え。見た目とは違い、あすもより年下だったじいちゃんは、「それでも」と続けた。


「仲間外れにされたら寂しいだろう。俺とにちかが普通の生活に戻るまで、よく我慢してくれたな。ありがとう」


「光太郎。頼む、にちかの前で辱めないでくれ」


 僕は、「はずかしめ」の意味が分からず。じいちゃんは、ふっと笑ってから、明るい声で言った。


「いいことを教えてやる。会えない間、にちかは、あすものことを気にしていたぞ」


 じいちゃんが、とんでもないことを言い。あすもが、ゆっくり顔を上げ、僕を大きく開いた瞳で見つめた。


「にちか、水を入れてやれ。あすも、熱いから、気を付けて食べろ」


 僕は、熱い顔を下に向けて、グラスに水を注ぎ。カウンターの向こうから、「熱い」と、あすもの小さな声が聞こえた。


    ※


 夜七時、じいちゃんの店の名物、牛カツサンド二十箱の出前。僕は、じいちゃんに言われて、あすもと向かうことになった。

 頼んでくれたのは、常連のお客さんで、じいちゃんの古い友人名越なごしさん。出前先は、名越さんが営んでいるライブハウス。


 神戸の観光の象徴、ポートタワーの近く。海側の高速道路のそばに、二階建てのライブハウスはひっそりと建ち。裏口から入ると、大音量の音が聞こえた。


「にちかちゃん、出前ありがとう。相変わらず、光太郎に似てなくて、かわいいな」


 出迎えてくれた名越さんは、じいちゃんとは高校の同級生で、いつも楽しそうに口喧嘩をしている。


「名越さん。注文ありがとうございます。もう、店は通常営業してますから。待ってますね」


「光太郎は、昔から、悪運が強かった。大丈夫だ。にちかちゃんが、結婚式を挙げるまで。悪魔を利用してでも、生きるだろうさ」


 いつも、革ジャンに革のパンツ姿。着ているティシャツには、大きな鎌を持ったがいこつの絵。

 じいちゃんの古い友達、名越さんは、どこまでじいちゃんから聞いているのだろうと思い。


「にちかちゃん。後ろに居る、うさん臭いリーマンみたいなのが。神戸に戻ってきた親戚かな」


 あすもに対しての言葉で、何も知らないのが分かった。


「親戚の、鈴谷あすもと言います。私は、真面目な勤め人です」


「失礼なこと言って、すまないな。あんた、その恰好で、光太郎の店からここまで来たのか」


「はい。この格好は、おかしなものなのでしょうか」


「そんな高そうなスーツ着て、宅配のでかい荷物を背負ってるやつ。鈴谷さん、あんた以外、いなかっただろうが」


「はい。ここに来るまで、周囲から目を向けられていましたが。てっきり、私の容姿の良さに見惚れているのかと」


 いいと言ったのに、出前の品をつめた宅配用の保温リュックを背負い。あすもは、ライブハウスまでの道を、涼しい顔で進んでいた。

 僕は、隣で恥ずかしさを感じていたのに、あすもはうぬぼれしか感じていなかったのに驚き。


「鈴谷さん、あんた、海外に居たんだっけか。面白いやつだな」


「ありがとうございます。これから、ふたりのことお任せ下さい。私は利用されても、結末がよいなら構いません」


 あすもが訳の分からないことを言い。僕が口を開く前。


「オーナー、大変です。今日、出演予定の子。リハのあと消えてしまって、連絡がとれないんです」


 そう言いながら、困った顔をしたひとが近づいてきた。


「あの、暗そうな女の子か。姫路から初めて神戸に来たって言ってたから、外に空気を吸いにいって、近くで迷ってるんじゃないか」


「携帯置いたままなんで、連絡とれないんですよ」


「あのこは、アニメで歌うんだろう。客を入れていないし、本番まであと一時間あるから、待っておけばいいんじゃないのか」


「アニメじゃなくて、Vtuberですよ。メイクと演奏はないですし、配信ライブですけど。配信テストで不具合が出てて、早く戻ってきて欲しいんですよ。オーナー探してきてくれませんか」


「俺みたいな、イカついじいさんが行けば。あの子、逃げ出すんじゃないか」


 そう言ったあと、名越さんは僕に向いて言った。


「にちかちゃん。申し訳ないが、探してきてくれないか」


 僕は、「えっ」と言い。名越さんとの間に、あすもが立った。


「にちかに頼みごとをするのなら。それなりの対価を頂けますか」


 僕は、大きな宅配バッグを背負ったままの、あすもの背中に口を開き。


「対価は、北野アイビーのディナーをふたりぶんだ。にちかちゃん、光太郎と行っておいで。退院祝いだと言っておいてくれるか」


「なかなか、粋な計らいをされる。私と契約をしたければ、光太郎に言えばいいですよ」


「あんた、不動産関係の仕事してんのか。何かあれば、頼んでおくよ」


「では、件の女性を見つける為に、置いて行かれた携帯を持ってきてもらえますか」


 僕は、ふたりの会話に口を閉じ。名越さんが離れたあと、あすもが振り返り。


「私は、にちかに対しての言動を改めることを決めた。にちかに対して、素直になろう」


 そう言い、どやあっと音が聞こえそうな顔をしたけれど。


「……何言ってんのか、分かんないけど。荷物、いい加減おろせよ」


 スーツ姿で宅配の大きな荷物を背負った姿は、格好がつかないなと思った。


「分かった。にちかを、代わりに背負ってやろうか」


 あすもは、にやりと、嫌な笑みを浮かべて言い。言っていることと、やっていることが違うだろと思った。


 名越さんから、ピンクのカバーをつけた表面がバリバリのスマホを受け取り。荷物を置いたあすもと、ライブハウスの外に出て。


「にちか。一度やった、ひと探しをやってみなさい。その機械を両手に持ち、持ち主を目を閉じて頭に浮かべてみなさい」


 僕は、言われたとおりに、スマホを両手に握り両目を閉じた。

 少しして、頭の中、映像が浮かび。僕は、両目を開いて、地面を蹴り。首根っこを強くつかまれて、止まってしまった。


「……何、すんだよ! 早く、行かないと!」


 僕は、後ろを向いて、大きな声を上げ。片手にしていたスマホを、あすもにとられた。


「では、先に行っておこう。早く、来るんだぞ」


 僕は、首根っこを離されて、あすもの姿がなくなったのに驚き。固まりそうになったけれど、先ほど見た映像を思い返して、走り出した。


 着いたのは、ポートタワーの目の前。街灯が少なくて薄暗い、ベンチが等間隔に置かれた通り。

 先ほど、スマホを両手に持ち、頭に浮かんだ景色どおり。大きな羅針盤のモニュメントの近く、ベンチに座る人影を見つけた。


 僕は、人影へまっすぐに向かい、


「……あのっ! ……早まらないで下さい!!」


 正面に立って、大きく言った。


 ベンチのそばの街灯に照らされた、鋭いカッターの刃。痛々しい線がたくさんついた、手首に当てられている。

 赤が見える前に、手を止め。顔をこちらに向けてくれたことに、ほっと息を吐いた。


「……あの。……ライブ、もう少しではじまりますよ」


 パーカーを深くかぶっている女の人は、カッターを地面に落として、僕に背中を向けた。


「……あの。……ライブが…」


「……無理。……無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理…」


 僕の声は、女の人の「無理」の連続の声にさえぎられ。驚いていると、「無理」の声が止み、とても小さな声が聞こえてきた。


「……やっぱり、私なんかが、ライブ無理。……私なんか、一生、引きこもってればよかったんだ。……あいつの、言う通りに」


 僕は、どうしようと思い。


「……君が、止めたから。……私、もっと、無理になった。……責任とって」


 ぶつぶつと続いた声に、とても驚き。


「責任転嫁もはなはだしい。己の逃げを、にちかになすりつけるな。こちらに向いて、謝罪をしろ」


 突然、目の前に立った。あすもの背中から聞こえた声に、固まった。


「痛みで精神が安定するのなら、いくらでも傷つけてやろう。どんな痛みがいい、選ばせてやる」


 楽しそうな声が続き。僕は、長い脚のひざ裏に、ひざを入れた。


「僕が、頼まれたんだから。あすもは、話すな」


 かくんと、重心を少しだけ崩した。あすもは、ゆっくり振り向き、嫌な笑みとともに前をどいた。

 見えた女の人は、背中を向けたまま、身体を小さく丸めていた。僕が、「あの」と近づくと、女の人はとても小さく言った。


「……ごめんなさい。……私なんかが、ごめんなさい。……私なんか、一生、引きこもってればよかったんだ。……あいつの、言う通りに」


 僕は、先ほどから思っていたことを、なるべくやわらかい声で言った。


「謝らないで下さい。私なんかって、言わないで下さい」


 少しして、女の人がこちらに向き。僕は、思ったままを言った。


「何で、自分を傷つけるんですか。痛いの、嫌じゃないんですか」


 女の人は、固まった様に見えたあと。透明に見える瞳から、ぼろぼろと水をこぼしはじめた。

 僕は、慌ててハンカチを伸ばして、謝る前に言われた。


「……嫌だけど、……痛いと、生きてるって思える。……生きてるの、痛いから」


 涙を流しながら、女の人は、とてもはっきりと言い。僕は、初めて知る感覚に、口を開くことが出来なかった。


「……痛いけど、生きたい。……引きこもってたほうがいいのに、ライブしたい。……何で、私、こんななの。……今、あいつの言うことなんか、聞いて。……もう、自分が何をしたいか、分かんないよ。……どうしたらいいの」


 女の人は、僕じゃなく、自分に聞いているように思えて。


「考えている事を考え抜く事ができない時のみ、人は本当に考えている。ゲーテの言葉だ」


 僕らから少し離れている、あすもが言い。僕が口を開く前に、女の人に顔を向けて続けた。


「芸術こそ至上である、それは生きることを可能ならしめる偉大なもの、生への偉大な誘惑者、生の大きな刺激である。ニーチェの言葉だ。貴女は、痛みよりも、歌を歌うという行為で、生きたいと思ったのだろう。だから、部屋から出て、ここへ訪れたのだろう」


 僕は、あすもが言ったことがまともで、驚き。女の人に向くと、涙が止まっている瞳を大きく開いていた。


「自分のことがわかっていたところで、先のことはわからない。ウィリアム・シェイクスピアの言葉だ。己のことを分かっていなくても、開いている扉に入ればいい。人間は、己が分からず迷っているものしかいない。だからこそ、歌を歌い、同じ想いをしているものとつながりたいんだろう」


 女の人は、こくりと頷き、ゆっくり立ち上がった。


「振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない。寺山修司の言葉だ。振り向かずに行け、ライブハウスから逃げた原因はなんとかしてやろう。後日、対価を頂こう」


 女の人は、じっと、あすもを見つめ。こくりと頷いて、地面を蹴った。


「さて、取り出してやるから。脅迫が失敗したもの、出てきなさい」


 僕が呆気にとられていると、あすもが静かに言い。突然現れた人影が、あすもに向かい。

 人影の両手に握られた、鈍く光る刃物が見えた。


「生きることは恋に似ている。すべての理性がそれに反対するのに、全ての健全な本能がそれに賛同する。サミュエル・バトラーの言葉だ」


 僕が声を上げるより先、刃物が小さな音を立てて地面に落ち。あすもは、人影の片腕をねじったまま、静かに言葉を続けた。


「恋が入ってくると、知恵が出ていく。ローガウの言葉だ。知恵の代わりに、全身を満たしているもの。頂こう」


 そう言ったあと、あすもは、人影の背中に左手を収めた。

 僕は、目の前の光景に固まってしまい。「来なさい」と言われ、ゆっくり近づいた。


「取り出すのを、手伝いなさい。取り出さなければ、先ほどの女性を攻撃し続けるだろう。このものは、先ほどの女性とライブハウスの人間を、床に落とした刃物で刺そうとしていた」


 僕は、とても驚き。あすもは、左手を抜いた身体を床にうつぶせに寝かせた。


「手を入れて、つかんで、外に出しなさい」


 そう言ったあと、床の身体のそばに片ひざをついてしゃがんだ。あすもは、背中に両手をそえて、ぱかりと開いてしまった。

 あすもが開いた裂け目は、黒く、何も見えず。僕は、冷たい左手で左手首をつかまれ、中に入れられてしまった。


 人間の中に手を入れて、温度は感じず。僕は、何も見えないところにちくちくしたもの感じて、つかんだ手を抜いた。

 手の平を広げると、赤く細い花弁をびっしりと広げる、さわると痛みを感じる花。


「取り出した花は、赤いアザミ。日本語の「アザミ」の名は、「あざむ」に由来するといわれている。あざむには「興ざめする」という意味がある。美しい花だと思って触れると、トゲがあって驚かされる。つまりは、「あざむかれた」ということだ」


 あすもは、背中から花を左手で取り出して、床に落とすのをくり返し。僕は、「手伝いなさい」と言われ。こわごわ背中に左手を入れて、ちくちくする花を取り出していった。


「この男は、先ほどの女性のファンだったものだ。女性の芸術活動に意見をし、拒否をされたあと、女性に嫌がらせを続け。今日、リハーサルが終わった頃、今すぐ外に出て自死をしなければライブハウスで暴れると、メッセージを送っていた」


 僕は、床に花を落として、とても驚き。疑問に思ったことを聞いた。


「……何で、事情を知ってるんだよ」


「女性の機械に触れたからだ。あの機械を、今の人間は自分の分身のようにしている。触れれば、私は、そのものを知ることが出来る。安心しろ。契約している人間の機械や身体に触れても、知ることは出来ない」


 僕は、質問の答えと、不安に感じたことの答えをたずねる前に言われ。


「私は、にちかに、使役されている立場だ。これからは、言われたとおりに動こう」


 続けて言われたことに、思ったままを言った。


「変なこと、言うな。あすもは、そのままでいい」


 ちくちくする花をつかみ、手をひきぬいて。声が返ってこない、隣に向いた。


「まったく、善処しようと思っていたのに。同じことを言うのか」


 訳の分からないことを言ったあと。あすもは、両手を背中に入れて、大量の花を取り出し床に落とした。


「花は、すべて取り出した。この男は、明朝になれば目を覚まし、物騒な想いは消えているだろう。これだけの想いを向けられ、さぞ、あの女性は大変だったろう」


 あすもが、背中に両手置いて、穴をふさいだのを見届けたあと。僕は、床に積もっているものに顔を向けた。

 こんもりと盛り上がった赤い花。ぼんやりと光る姿は、今まで見てきた花の光とは違い、見ていると目がちくちくするのを感じた。


「……この花は、食べないのか」


「見るからに、美味くはないのが分かるだろう。それに、これを食べれば、私の身体は吹き飛んでしまうかもしれない。この花たちは、もうすぐ、爆発をするだろうからな」


 僕は、言われた意味が、少しして分かり。


「にちか、手伝いなさい。ここで爆発が起こり、騒ぎを起こしたくはないだろう」


 僕と違い、落ち着いた様子で、あすもは上着を脱ぎ。花を上着に乗せるよう言い、一緒に運ぶ様に言った。

 ポートタワーの前を過ぎて、観光客がちらほら居る広場を横切り。街灯のない、暗い波止場に着き。

 あすもは、上着を床に落とすよう言い、明るい声で続けた。


「にちか。私がする様に、海の上の空に花を投げろ」


 僕が、「えっ」ともらしたあと。あすもが、花をつかんだ手を、思いきり空に振り上げ。

 少しして、空に赤い花が咲き、辺りが静かに照らされた。


「にちか。早くしなさい。花は、爆発を待ってくれない」


 僕は、空を見て固まっていたけれど、慌てて花をつかみ振り上げた。

 少しの間のあと、赤い花が空に大きく咲き。僕は、思ったままを言った。


「……変なの。投げたら、綺麗だな」


「遠くから見れば、たいてのものは綺麗に見える。村上春樹の言葉だ」


「……何で、さっきから。誰かの言葉を言うんだ」


「にちかが、話すなと言ったろう。誰かの言葉ならいいだろう」


 そう言って、あすもは花を空に咲かせ。僕は、思ったままを言った。


「幸雄みたいに、拗ねるなよ」


「にちかに好かれているものと、一緒にしないでくれるか」


 固い声が聞こえ。僕は、空から隣に顔を向け、見えた表情に驚いた。


「私は、好かれるようなことはしていないが。これ以上、にちかに嫌われたくはない」


 初めてに思える、こちらをまっすぐに見ている顔。じっと見つめていると、大きな荷物を背負っていた姿を思い出してしまい。


「どうした。私は、何か、おかしなことを言ったのか」


 言われた言葉に、吹き出してしまった。


「……うん。あすもは、変だ。変で、おかしいよ」


 僕は、緩んだ頬で言い。あすもは、瞳を少し大きくした。


「変で、おかしいけど。あすものこと、嫌いじゃないよ」


 そう言ったあと、あすもは瞳をとても大きくし。僕は、気付いた。


「……あすも! 花、すごい光ってる!」


 僕は、焦りながら言い。あすもは、背広ごと、空に花を投げた。

 空に、今まで一番大きな、綺麗な赤い花が咲き。見とれていると、隣から小さく聞こえた。


「嫌いじゃなくて、良かったよ」


 僕は、顔を向けて、嫌ではない笑みを浮かべているあすもに驚き。何も言えず、緩んでいる頬でいた。


第4話 赤いアザミのハナビ 了




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