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薄幸少女×貧乏神様=学校の六怪談!

この世には、不吉と災いをもたらす貧乏神という神様がいるそうな。

この神様はあんまり綺麗な身なりの人ではなくて、美人でもなく、名前からして黒闇天女というらしい。黒闇である。黒に闇、もう一点の救いの光もない。その上彼女はあの地獄の王様兼裁判官、閻魔大王様のお妃様の一人とされ、なんかもう貧乏とか暗いとか恐いを通り越して、最早迫力すら感じる次第である。どこかの組の姐さんのようなイメージで、どっちかというと生半可な人間には太刀打ち出来そうもないほどに強そうだ。そして、この厨二病も真っ青な漆黒の女神様には、それはそれは綺麗なお姉さんがいるそうな。その名も吉祥天女。名前からしてもう目出度い感じのこの美女は、幸福、財産、美を司っているという、別名なんと宝蔵天女。宝の蔵、だ。もう目出度いなんて言葉程度では烏滸がましいくらい、この世の宝を全て収納した、存在自体がひとつなぎの大秘宝みたいな名前である。

どう考えても格差しかないようなこの姉妹だが、実はとっても仲良しらしい。

昔むかし、この二人の姉妹がある民家を訪ねて来た。最初に訪ねてきたのは姉であるゴージャス吉祥天女で、その目映い美しさと如何にも!というお金持ちスタイルに家の主人は大喜びしたらしい。美人な上に幸福を運んでくるというのだから、吉祥天女様の自己紹介を聞いた家の主人も、そら、飛び上がって渾身のガッツポーズをしたに違いない。もしかしたら踊りを踊り出したりもしたかもしれない。人生勝ち組になったと天にも昇る瞬間である。どうぞどうぞと揉み手で吉祥天女様を家にあげた後、家の主人は、後ろをからもう一人、女の人がやって来るのに気がついた。その女の人は見た目も美人じゃなくて、尚且つ身なりも貧乏臭かった。女の人は家の主人に、私は黒闇天女だと言い、不幸と災いを司っている、と告げた訳である。凄く正直な事だと思う。豪速球ど真ん中だ。まあ別に、神様が貧乏とか不幸とか災いを、恥だと思っているというのも変な感じがするし、逆にそこまで威風堂々としているのは流石は神様というか、である。なんか私なんかがそう言われては、気圧されてああそうですかとしか言えないような気もする。けれども、その家の主人は違った。家の主人は貧乏神である黒闇天女の事を凄く嫌がって、家から出ていけ!と怒鳴ったそうな。こうして不意の神様お宅訪問は修羅場と化したわけだが、黒闇天女様は負けなかった。流石は閻魔様の姐さんである。彼女は強い。黒闇天女様は、ほーっほっほっほと高笑いして家の主人の顔を真正面から見つめると、「さっきの吉祥天女は私の姉です。私を追い出せば姉も一緒に出ていきます。」と高らかに宣言した。そう、この二人、容姿や性格は正反対でも、物凄く仲良し姉妹だったのだ。黒闇天女様の言う通り、さっき招き入れたはずの吉祥天女様は、黒闇天女様の後を追ってぷいっと出ていってしまった。家の主人は泡食ったろうが、後の祭りである。こうしてこの家は、不幸を避けようとして幸福を逃したのである。

私はこの話を聞いて、家の主人よりも、何だか貧乏神様に、親近感というか、同情というか、何とも形容しがたい妙な気持ちを持ったのだった。そりゃあ、貧乏も災いも、わざわざ求めるような物ではないだろう。出来れば幸せだけを味わいたいというのも、人間の素直な欲求なのかもしれない。でも、福の神様だけを招き入れて貧乏神様を追い出すということは、自分だけで幸福を独り占めするということに他ならない。自分が幸福になれるのならば誰かが不幸になってもいいと言うのは、何だか物凄く、浅ましいような気がした。良いことがあれば嫌なこともあって、雨が降れば晴れる日もあるのが人生というものだ。そもそも、晴ればかりでは作物が育たないように、一面だけ切り取れば嫌な事でも、別の角度から見れば有り難い事もある。それに、何にでも度合いというものは必要なのだ。晴れの日も過ぎ足れば干魃を起こすし、恵みの雨も度を越せば水害をなす。幸、不幸にも、丁度よいサイクルというものがあるのだろう。幸福だけを求めては、目が眩んで、自分の持ち得る小さな幸せに気が付けなくなるような気がする。私はそれは嫌だった。それに、魚心あれば水心、というが、貧乏神様であれ、好いてくれれば嬉しい。そもそも、数あるおうちの中から一軒を選んで訪ねてきたのに、門前払いの厄介払いで追い出されるなんて、そんなのは悲しいじゃないか。とまあ、義憤なのか私怨なのか、私は頼まれもしないのに憤った訳である。誰にも歓迎されずに、次から次に別の家へと渡り歩くなんて、そんなの、黒闇天女様は全く気にしてないかもしれないけれど、私が気にする。世知辛すぎる。本当に、渡る世間は鬼ばかりである。で、悲しくなったり憤慨したり気を揉んだりした私は、次の日から、神社を片っ端から参り始めた。別に特別信仰厚かった訳でも、急に神道に宗旨替えした訳でもなかったのだけれど、何だか神様という存在に生々しさというか、妙な、そう、やっぱり親近感だと思う、親近感を持ったのだ。なので、そこに居るとあらば、どんなに小さくても、祠や神社を見つけたらふらっと寄ってみる。それから、どこそこに住んでいる者です、などと挨拶をする。そして心の中で世間話に付き合って貰ったりもした。神社が荒れ放題になっていたり、だーれも参拝していなかったりすると、神様も大変ですねえなんて言って、いつもありがとうございますとお賽銭をしたりする。御神前にこれはどうなんだろうとも思ったのだけれど、新米の季節には地元のお米やお塩を買って持っていったりもした。神様というのは、ご利益があるとなるとうわーっと人々がやって来て、忘れられてしまうとさあーっと波が引くように誰も参らなくなって放置されてしまう。私達人間は皆、現金で、ちょっと薄情だ。神様も、誰かのお願い事だけ聞く人生なんて、つまらないだろうなあと思った。静かな神社で、沢山世間話をした。桜の花が咲 きましたねーとか、もう蒸し暑いですよねーとか、今年の新米美味しいらしいですよとか、寒くなってきたので風邪引かないで下さいねとか。そこに居るのがどんな名前のどんな神様なのかもしっかり読んだ。いろんな神様が、いろんな生い立ちでそこに居た。それぞれにドラマがあったり、逆に詳細が不明でミステリアスだったりして、それもまた面白かった。私にとって、神様達は、(一方的に)好意的な存在だった。だから、なのだと思う。


あの日、人生で初めてどんなに努力しても自分の力ではどうにもならないという八方塞がりに絶望した私は、形振り構わず一心不乱に、ただただ神様にすがりついたのだった。

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