3-33
アメリアが学園を卒業してまもなくのこと。
ビーダイド王国第四王子サルジュと、アメリアの結婚式が執り行われた。
その日は、快晴だった。
空は青く澄み渡っていて、やや寝不足の瞳には痛いくらいだ。
「アメリアったら。もしかしてまた、魔法の研究に熱中していたの?」
朝早く、準備を手伝うために部屋を訪れたマリーエは、心配そうに言った。
「結婚式の前なのに」
「ち、違うの」
アメリアは首を振る。
「昨日は早く寝ようと思って、夕食後すぐにベッドに入ったのよ」
「それは少し、早すぎたわね」
「でも、全然眠れなくて……」
いよいよサルジュと結婚すると思ったら、色々なことを思い出してしまって、まったく眠れなくなってしまった。
結局、空が白くなるまで起きていたというと、マリーエはため息をついた。
「それなら、わたくしの部屋に来ればよかったのに。結婚式前に、友人の家に集まってお泊まり会をするというのも、最近は流行っていると聞いたわ」
「そうね。それがよかったのかもしれない」
いつものメンバーで集まれば、あんなに緊張して、朝まで眠れない夜を過ごすこともなかっただろう。
「次はそうする」
「……次って」
呆れたようなマリーエの声に、アメリアは慌てて否定する。
「違うの。わたしじゃなくて、来年の夏に行われる予定の、クロエとエスト様との結婚式のことよ」
同い年ということもあって、クロエともすっかり親しくなり、名前で呼び合う仲である。
そんなクロエも、来年の夏にはエストと結婚して、正式にこの国の一員となる。
彼女も色々なことがあっただけに、結婚式の前は、アメリアと同じく、眠れなくなってしまうかもしれないと考えたのだ。
「ああ、そういうことね。驚いたわ。結婚式の日に何を言っているのかと」
「わたしには、サルジュ様だけだから……」
顔を真っ赤にしてそう言うアメリアに、マリーエはくすくすと笑う。
「でも、そうね。せっかく特注のベッドを王城まで運んでもらったのだから、たまにはお泊まり会をしないとね」
ほとんどが王城に住んでいるメンバーで、お泊まり会と言えるのだろうか。
アメリアは少し考えたが、こういうのは形式ではなく気分の問題だと思い直す。
「今日は結婚式のあとに夜のパーティもあるし、長い時間よ。大丈夫?」
「ええ、もちろん大丈夫」
アメリアは笑顔で言った。
たしかに寝不足だが、ずっとこの日を心待ちにしていたのだ。
朝から時間を掛けて、念入りに身支度をする。
この日のために仕立てられたウェディングドレスは、小柄なアメリアでも似合うように、義母となる王妃とソフィアが考え抜いてくれたものだ。
可愛らしいが上品なデザインで、衣装合わせの際には、マリーエもクロエも、よく似合っていると褒めてくれた。
自分には勿体ないくらい素敵なドレスだと思うが、気になるのはサルジュが気に入ってくれるかどうかだ。
サルジュがアメリアを愛してくれたのは、主に内面を気に入ってくれたからだと思う。
魔法や植物学など、興味を引かれるものが同じで、熱中してしまうと周りを忘れてしまうところもよく似ている。
一緒にいて、心地よい関係だ。
これから長い年月をともにするのだから、きっとこういう間柄の方が、互いにしあわせになれるのだろう。
(でも今日くらいは、綺麗だと思ってもらいたい。サルジュ様のために精一杯着飾った姿を、見てほしい……)
そう思っていたのに、ほとんど眠れずに朝を迎えてしまった。
これではもう難しいのではないかと嘆いたが、王城のメイドたちの腕は見事で、アメリアも驚くくらい綺麗に仕上げてくれた。
「わぁ……」
鏡を見て思わず感嘆の声を上げたアメリアに、マリーエが笑った。
「そうよね。そう思うわね。わたくしも、魔法をかけてもらったのかと思ったくらいだわ」
マリーエは最初から綺麗じゃない、と言いかけたが、そういう問題ではないのだろう。
いつもの自分と比べて、どれだけ綺麗になったのかが、大事なのだ。
地方の領地から訪れた父と母も控室を尋ねてきて、ウェディングドレスを着たアメリアの姿に涙ぐんでいた。
「アメリアには、私のせいで苦労をかけてしまった。すまない」
そう謝罪する父に、本当にその通りだと少し思ったけれど、そのお陰で今はしあわせなのだからと思い直す。
「お父様、お母様。今までありがとうございました。レニア領を継げなくて、ごめんなさい」
「アメリアは、もっと大きなものを背負うことになったのだから、気にしなくてもいいのよ」
母は優しくそう言って、アメリアをそっと抱きしめてくれた。
「それに、あなたがしあわせなら、もう何も言うことはないわ。たまには帰っていらっしゃい」
「うん、ありがとう」
父は今から号泣してしまい、母に叱られながら控室を出ていく。
アメリアの両親として、これから色々なところに挨拶に行かなくてはならないようだ。
地方貴族なのに娘が王子妃になってしまい、苦労をかけてしまうと思う。
けれど母だけではなく父も、娘のしあわせのためなら、そんなものは苦労とは言わないと笑ってくれた。
従弟のソルと、婚約者のミィーナも会いにきてくれた。
「お義姉さま、とても綺麗です」
ミィーナは、アメリアを義姉と呼ぶようになっていた。
来年、学園を卒業したら、ソルはアメリアの両親の養子となり、アメリアの義弟となることが決まっている。色々と話し合いを重ねたが、ソルには兄弟もいるし、それが一番良いということになったようだ。
たしかに養子になれば、もうソルはレニア伯爵家の人間だ。その相続に、横槍を入れる者はいなくなるだろう。
レニア伯爵家はアメリアの結婚によって王家と縁続きになるため、その相続の手続きも複雑になってしまうらしい。
でもこれでミィーナはアメリアの義妹で、カイドは義兄になる。
そして、そのカイドの妻となる護衛騎士のリリアーネとも、縁続きになれる。
(お泊まり会のメンバーは、全員親戚になるのね)
これでは友人同士のお泊まり会ではなく、ただの親戚の集いではないかと、アメリアはひそかに笑う。
でも大切な友人たちと縁続きになれるのは、とても嬉しいことだ。
「ありがとう。サルジュ様も気に入ってくださるかしら?」
素直なミィーナなら、きっと正直な感想を言ってくれる。
そう期待して尋ねると、ミィーナは何度も頷いた。
「もちろんです。絶対に、サルジュ様もお義姉さまに見惚れてしまいますよ」
はっきりと言ってくれて、ほっとする。
それでも少し緊張しながら、儀式の開始を待っていると、控室にサルジュが入ってきた。
サルジュの正装に思わず見惚れていると、彼の視線がまっすぐにアメリアに向けられる。
「あ、あの……」
何か言わなくては、と思わずそう口にしたが、言葉が出てこない。
「えっと……」
「アメリア」
頬に、温かい感触がした。
サルジュの手が、そっとアメリアの頬に添えられている。
「とても、綺麗だよ。他の誰よりも、アメリアが一番綺麗だ」
一番になりたい。
そう言ったことを、サルジュは覚えていてくれた。
式の前に泣いてはいけないと思うのに、自然に零れてきた涙が、頬に触れているサルジュの手を伝って流れる。
「わたしも、サルジュ様が一番です。これから先も、ずっと」
涙を零しながら、アメリアは微笑む。
「こんなにしあわせな結婚ができるなんて、あのときは想像もできませんでした」
――こうしてふたりが結ばれるのは、運命だったのよ。
そう言ってくれた王妃の言葉が、頭に浮かんだ。
アメリアも、サルジュと出会ったのは運命だったのだと、疑うことなく信じている。