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 ようやくイッポリート王子は全てを悟ったようだった。


「お気の毒です、兄上」


 と、袖で鼻を塞いだままフレデリック様が仰ったけれど、大して気の毒がっている感じではない。その証拠に、


「自業自得だ、あんな女性に騙されて、きみを侮辱したのだからね」


 なんてわたくしに囁いてこられる。


「わたくしはいいんですの。あんな暴言、誰一人信じたりしませんし、何よりわたくしは何も恥じるような事がないのですから、誰もわたくしを侮辱する事などできないと思っています」

「そうか。確かにそうかもしれない。きみほど心が強く素晴らしい女性はいない」


 フレデリック様は、今までとは違う熱を帯びた視線を送ってこられる。イッポリート王子と双子なので同じ顔なのがモヤモヤしない訳ではないけれど、でも、顔が同じでも中身が全く違う事はわかっているので、ダメという事もない。目鼻立ちは同じでも知性の違いがにじみ出るというものだ。


「わたくし、そんなに強くはありません。でも、わたくしの事を一番わかって下さっているのは、フレデリック様かもしれませんわね。わたくしの名誉の為に怒って下さったのは、とても嬉しかったですわ……」


 と言って見つめ合う。

 ニコレットが泣き叫んでいるので臭気が耐えがたい状況で、互いに鼻と口を覆っての会話でなければもっとよかったのだけれど。


 と、イッポリート王子が立ち上がり、怒りを露わにわたくしたちに近づいてくる。手を伸ばしてくる。


「やめてください! ねばねばどろどろしていて、それでいてとろっとぬるっとしていてしつこいなにかを、近づけないで!!」

「兄上、そんな暴力は絶対に許せない!」

「うるさい!! 貴様ら、いい気になって何をいきなり雰囲気を醸し出している!! やはり、貴様らの密通だけは真実だったのだろう!?」

「そんな事はありませんわ。わたくしたちは常に、将来の義理と姉弟としての距離を保ってきました。でも今は」

「今は?!」

「兄上、兄上がルイーズと婚約破棄なさったので、自動的に、ルイーズの婚約者は僕という事になるのです。王太子の務めも引き継ぎます。そっちは別に望んではいなかったのですが……」


 フレデリック様のお言葉に、イッポリート王子の手が止まる。よかった。


「は? 何が『自動的に』だ? 意味がわからんぞ。ルイーズと婚約破棄しようが、私が王太子である事とは関係ない。何故ルイーズとおまえが婚約できると思い込んだのか? そもそも、私はニコレットに騙されていただけだ。婚約破棄は無効だ!」

「えっ、まさかイッポリート様、あれだけわたくしを罵っておられながら、騙されていたとわかったら、何もなかったかのようにわたくしとの婚約を続けられるおつもりですの?」


 呆れてそう言うと、さすがにイッポリート王子はばつが悪そうな表情を浮かべたものの、すぐに開き直って、


「まあ、そなたはニコレットの次には美しいし、今のやり取りを見るに、思っていた程ばかでもないのだろう。婚約破棄は撤回してやる。そなたは王太子の婚約者のままでよい。但し、そなたに劣情を抱いていたようだったフレデリックは罰さねばならん」


 と言い放った。

 わたくしとフレデリック様はいよいよあきれ返ったけれど、ここまで愚かだと、もう僅かにも同情の余地もないとも思った。


「兄上、兄上はもう王太子ではないのですよ」


 と、フレデリック様が説明に入る。


「は?」


 とイッポリート王子は険しい目で弟を見やる。フレデリック様は溜息をつかれて、


「やはりご存知ないのですね。いま、我が国で王太子である事の条件を。大抵の貴族子女は知っている筈ですが、後ろの取り巻きたちも知らないようだ。双子の弟である僕は赤子の頃から乳母に任せて、長子である兄上だけを育てて溺愛されている母上が、同じような愚か者たちを選んで傍につけてきたのだから仕方がないのでしょうね」

「何を言っている? 王太子は私だ。まさかおまえ、私にとって代わろうと企んでいたのか? それでルイーズを騙しておかしな事を言わせているのか!」

「……回りくどく言っても無駄なようですね。兄上は、ご自分から、ルイーズとの婚約を破棄するとしかと仰った。その瞬間から、兄上は王太子の位を失ったのです。何故なら、次期王はルイーズと結婚する王子だと、取り決められているからです」

「は? なんでだ? そんな話は聞いたことがない!」

「……まったく、婚約者の家庭の事情もご存じないとは。ルイーズの母君、ベルクソン公爵夫人がどういう出自でいらっしゃるか、わからないのですね?」

「知っているとも! 母上が仰っていた。公爵に惚れて無理やり外国から嫁いできたが、貴族ですらない出自だと」

「……まあ、確かに嘘ではありません。母上は一方的に公爵夫人を嫌っておいでですから、そんな風に仰っているらしいですね。公爵夫人は度量が広い方ですから、気にされてないという事で収まっていますが」

「母上は王妃だぞ。公爵夫人ごときが、気にしてないという言い方は何事だ。不敬だろう!」


 はあ、とフレデリック様はまた深くため息をつかれる。


「確かに王妃と公爵夫人ではありますが。いいですか、貴族以上の者なら殆ど誰でも知っている事ですが、ルイーズの母君は、宗主国シルバート帝国の第四皇女殿下だったのですよ。それに比べ、母上は、我が国の公爵家の出自です。なので、王妃でありながら元々の身分の上でまったくかなわない公爵夫人に対して嫉妬され、一方的に目の敵になさっているのです」

「なん……だと。帝国の皇女? そんなばかな。そんな高貴な女性が我が国の公爵夫人な訳があるか」

「20年前、皇女殿下は使節として帝国を訪れたベルトラン公爵と激しい恋に落ちて紆余曲折あり、皇帝陛下は最終的に、公爵の人柄を大層お気に召されて、お二人の結婚をお認めになったのです。但し、皇帝陛下はこのように条件をお付けになったのです。『余の孫を王国の王に、とまでは言わぬ。が、余の孫を王妃にするのだ。公爵令嬢となる余の孫娘を娶る王子が次代の王だ』と。そして我々の父上はその条件を飲んだのです。王家の男系は保たれ、帝国と深い繋がりができるという利点を考えられたようで」

「そういう訳で、わたくしとの婚約を破棄なさったイッポリートさまは、もう王太子の職責に縛られなくてよくなったんですの!」


 と、わたくしはフレデリック様の台詞を引き取ってまとめた。


「つまり……私はルイーズと婚約していたから王太子であったと?」

「そうですわ」

「ルイーズは私を愛しているから私を選んだと?」

「……違いますわ。わたくしたちが婚約したのは9つの時。双子とはいえイッポリートさまが長男でらっしゃったから、国王陛下が、権力争いが起きぬようにと、早めに婚約を決められたのです。愛なんてあるわけがありませんし、わたくしが選んだ訳でもありません」

「しかし、そなたは私に不満があるようには見えなかった。父上も、そなたの両親も」

「あの頃はイッポリートさまも特に変わったところもなく見目はご立派な王子殿下でしたから、陛下もわたくしの両親も、それが最善だと思ったようですし、わたくしも、公爵家の娘として、国王陛下や両親の望む通りに歩むものだと思っていました。けれど、成長するにつれて殿下は弟君と違ってご自分を優先されるばかりで国政にご興味もないご様子で勉学も疎かになさるようになって、陛下は密かに落胆されておいででしたのよ。ですから、殿下が進んでわたくしとの婚約を破棄されたいま、自動的にわたくしとの婚約と王太子の座を引き継がれるのは、あともうひとりの王子殿下、双子の弟のフレデリック様と以前から決まっているのです!」

「そんな、そんなわけがあるか! 私は……おお、美しいルイーズ、私はそなたを愛している!! どうかもう一度私と婚約を……」

「もう、結構ですわ。だって……殿下はもう、ニコレットに真実の愛を誓われたでしょう?」

「それは騙されて!」

「騙されたかどうかは問題ではありません。兄上はご存知の筈。真実の愛の誓いは、結婚よりも重い。兄上は、そこの、世界一口が臭い女性と添い遂げる以外の道はないのです」

「そんな事は出来ん!」

「イッポリートさまぁ! 謝りますから、あたしを捨てないでくださいぃ!」

「ニコレットは叫ぶな、臭い!!」


 取りすがろうとしたニコレットを振り払おうと腕を上げた兄に対して、フレデリック様は諭すように声をかけられた。


「兄上。真実の愛を誓った女性は、大事になさった方がいいですよ」

「うるさい!」

「兄上は生涯ニコレット嬢以外の女性に浮気などできないのですから。ご存知でしょう、真実の愛を誓った相手以外と男女の仲になろうとしたら……」

「なんだ、何を言いたい……」


 怒鳴り返そうとして、イッポリート王子の語尾が竦む。知っていた筈のこと、やっと思い至ったらしい。


「真実の愛を誓われた兄上は、そこの、世界一口が臭く、触れると気持ち悪い何かが手について三日猛烈に痒くなるというさだめの女性以外と浮気しようとしたら……」

「や、やめろ。言うなぁっ!」


 イッポリート王子は急に恐怖に囚われたようで耳を塞いだが、フレデリック様は少し意地悪な笑みを浮かべて低い声で囁きかけた。


「兄上の、男として大事なところが、もげてしまうでしょう?」

「う……アアッ!!」


 王子は苦悩の叫びをあげる。

 そうなのだ。『真実の愛』を裏切る代償は重い。男性が他の女性に走れば、待っているのは、女神による裁定の結末……ええと、男性のみにある突起が瞬時に腐敗欠落……。


「いやだ! それだけはいやだぁぁ!!」

「兄上は、未来の王妃を侮辱したのです。それくらい軽いものだと思ってはいかがか」

「何が軽いんだ! おまえには耐えられるのか?」

「……僕はそもそも、愛した相手を裏切るつもりはないですし」

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