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「もちろん知っているとも。愚かな貴様は、己を基準に、私が知らないとでも思ったか」
「いえ、もしかしたらと思いましたが、さすがにご存知でしたね」
「真実の愛が真実でなかった場合、誓いを交わした男女は神罰を受けるという。だが、私たちの愛は間違いない真実! 貴様の脅しなど何も怖くはない!」
と王子は勇ましく言い放つ。だが、腕の中のニコレットは微かに「神罰……?」と不安そうに呟いた。
「そうですか。まあ、我が国の者なら子どもでも知っている事ですものね。……ただ、そこのニコレット嬢は、あまり詳しくはご存知ないようですわ。でも、彼女の出自についての本人の話は出鱈目で、本当は男爵家にも縁遠い、他国出身の船乗りの娘なのですから、まあ詳しくなくても仕方ないのかもしれません」
「は? ニコレットは男爵家の養女だが、元は公爵家の庶子だと彼女が……」
「だから、それは出鱈目なのです。全て調べ上げました。彼女は侍女として男爵家に雇われて入り込み、独り身の50代の男爵に言い寄って妾となり、男爵の子を産む代わりに身分を男爵の養女にするよう、要求したのです」
「は? 何を言い出すのだ? ニコレットは2年前、14だった頃に、天涯孤独で教会で働いていたところを、その無私な姿に感銘を受けた男爵に引き取られて――」
「そもそも、彼女は2年前14でも今16でもありません。相当若作りが上手ですが、彼女は32歳です。男爵との間に生まれた子ももうじき1歳になるそうです。しかも、その前に産んだ連れ子も3人いるそうです」
「……は?」
「い、イッポリートさま! 嘘ですわ、出鱈目ですわ! ルイーズ様は、婚約破棄の腹いせにあんな事を仰っているだけですわ!」
と、真実を暴露されたニコレットは焦りながら叫ぶ。
「嘘。まあ、そうだろうな。だって、そなたは私に真実の愛を誓ってくれた。だからこそ、私もまた、そなたが私の真実の愛を誓う相手だと確信できたのだ」
「そ、そうですわ。わたくしは殿下に真実の愛を……」
「お待ちなさい、ニコレット嬢。それ以上、嘘を重ねない方が身のためですよ」
「嘘なんかじゃ……」
もう、この辺で茶番は切り上げようと思い、わたくしは彼女に告げた。
「ニコレット嬢。我が国の『真実の愛』の誓いは、結婚の儀よりも遥かに重いものとされ、その結びつきは何より尊ばれるものです。ですが、その代わりに、それを破った時の代償もまた重い事、ご存じなかったのでしょう?」
「えっ。代償?」
やはり知らないようだ。
「まずは、互いに真実の愛を告げるにあたって、男女はお互いに、何の偽りも隠し事もしてはなりません。それを破れば、とんでもない呪いが降りかかります」
「えっ……」
ニコレットは青ざめた。
「どうした、ニコレット。私たちの間には偽りも隠し事もないだろう? ルイーズの言葉などに惑わされるな!」
イッポリート王子がニコレットを見つめて優しい口調で言ったが、わたくしの言葉に対する彼女の反応から、流石に幾分不安を感じて焦っているのもわかる。ニコレットは怯えた視線を彷徨わせる。
「呪い……呪いとはどんなものでしょうか?」
「それは、美と愛の女神ミリューズが下される審判です。ちなみに、わたくしはミリューズ神殿の聖巫女でもあります。立場上、神殿に生涯を捧げる訳にはいきませんけれど、幼い頃にわたくしはミリューズの寵愛を受けているという兆しを認められ、神殿で半年間お勤めをして、その位を授かったのです」
「そんな。じゃあ、審判って、あなたに有利なんじゃ……」
「神を侮辱するのですか? 人の子の立場など関係なく、公正な審判が下されるのですよ!」
顔色をなくしているニコレットを尻目に、わたくしは続けた。
「聖巫女であるわたくしは、いま、女神より審判の結果を授かりました」
これは本当の事だ。偽りばかりの真実の愛のせいで侮辱されたわたくしの祈りに、女神は応えられた。
女神の囁きが脳内に響き、泉のように心に迸る事実に、ニコレット嬢への疑いはすべてほんとうなのだと呆れながらも確信させられた。
さあ、後は、この事実をイッポリート王子にもわからせてやるだけだ。
「待て、ルイーズ!!」
イッポリート王子が叫ぶ。
「いったい何を言っている。聖巫女の立場を笠に着て、ニコレットを怯えさせようという事か」
「やましい事がなければ、何も怯える必要はない筈です」
とわたくしは言い返す。
「やはりニコレット嬢、あなたは、真実の愛を誓う相手に偽りばかりを告げていたのですね」
「偽りなんか……」
「さっきも言ったけれど、あなたは元々貴族とは何の縁もない生まれで、男爵の愛人で32歳、4人の子どもの母親」
「ちが……」
「わたくしから苛めを受けたという証言、フレデリック様とわたくしが密通などというとんでもない出鱈目をイッポリート王子に吹き込んだ、その内容も全て偽り」
「偽りなんかじゃない! なんなの、この女狐! あたしとイッポリート様の真実の愛に勝てないからって、そんな嫌がらせ……!」
「嘘を重ねない方がいいと言っていますのに。女神の心象が悪くなるばかりですよ。あなたに下される裁きは」
「あたしを呪い殺そうとでも?!」
「いいえ、女神はいくら罪人でも人を殺したりはなさいません。ただ、愛を裏切った者からは、愛を奪われるのです!」
わたくしの言葉に被せるように、矢のような光が走り、ニコレットを打つ。さすがに、人々も、わたくしも、フレデリック様も息を呑んだ。『真実の愛』を裏切ればどうなるか。それは、この国の民の殆どが、幼い頃から大人に言い聞かされてきた恐怖であり、だからこそ、『真実の愛』を誓う者は滅多にいないのだ。いくら愛し合って結ばれても、それを死ぬまで互いにまったく偽りなく続けられるか、大抵の人間には自信が持てない事だから。
「ニコレット、ニコレット! しっかりしろ!」
イッポリート王子の悲鳴が響く中、打たれて倒れたニコレットは、頭を抱えながらゆっくりと身を起こした。
「い、イッポリートさま……」
「ニコレット!」
ニコレットの様子は一見、特に変わりはない。伝承では大抵、審判の結果は、偽った女は醜い老婆の姿に変えられる、という事だったので、意外な気がした。
イッポリート王子も同じことを思ったようで、
「何が審判だ! 何も変わりなく、ニコレットは美しい! この美しい姿は、そのまま心を映し出しているのだ。ルイーズ、貴様の悪だくみは潰えたぞ!」
と勝ち誇って叫んだが、彼女に駆け寄って抱き起そうとして、激しくえずいた。
「う……うぁっっ!? な、なんだ、これは?!」
「イッポリートさま?」
「や、やめてくれ、ニコレット! 何も言わないでくれ!!」
「イッポリート様! どうしたのですか!!」
「うぁぁぁぁ!!」
イッポリート王子は鼻を押さえて叫びながらのけぞった。ニコレットは呆然としているようだ。
その頃には、少し離れて立っているわたくしたちへもダメージが届いた。
「うぅ……!」
「なんですか、ルイーズさま、このいやな空気は!」
ホールの隅々にまで、それは拡散していき、嘔吐しだす者までいる。幾人もがふらふらと外へ逃げ出したが、わたくしの周囲にはまだ、動かないわたくしを心配してくれている様子の人が何人も、涙目のまま残ってくれていた。
「ルイーズ、大丈夫か。これはまさか毒……?!」
フレデリック様が駆け寄ってきて、わたくしに綺麗なハンカチを差し出して下さった。わたくしは有難くそれを受け取って口と鼻を覆った。
「大丈夫ですわ、皆さま。これは毒ではありません」
と、ざわめいている皆に告げる。
「真実の愛を偽った者への呪い。女神は、仮にも王太子を惑わせた罪は、ただ容姿の美しさを奪うだけでは足りない、と判断なさったようですわ。彼女への第一の罰は、それは」
苦しさに、ちょっと息継ぎをした。
「それは、『世界一口が臭くなる呪い』なのです。どれだけ歯を磨こうと、ニコレット嬢は死ぬまで、離れた部屋にいる相手も怯むほどの口臭を持つ者となったのです!」
「そんな! いやぁあ!!」
とニコレット嬢が泣き叫ぶと、その叫びに数人が悶絶して倒れた。
「ニコレット……」
けれど、イッポリート王子は、至近距離にいるにも関わらず、なんとか気を失わずにニコレットから離れずにいた。この悪臭に耐えて傍にいるなんて、王子の愛はけっこう真実なのかも、とわたくしはちょっと感心した。
「私は認めないぞ。臭いくらいなんだ。私は鼻が詰まっている事が多いから、貴様らより平気だ! どうだ、参ったか、ルイーズ!」
どうだ、と言われましても。
ここまでの事が起きても誤りを認めないのは、やっぱりただの意地なのかもしれない。けれど、これで終わりではない。
「ニコレット。これはルイーズが仕掛けた呪いなのだろう。きっと私がどうにかしてやる。だから、泣くな……っと、うわぁ! なんだこれは!!」
「イッポリートさま?」
思わず悲鳴を上げたイッポリート王子の手には、汚い茶色と紫と黒と赤と色んな色が混じった、べっとりとしているようでぷるぷるしている何かがついている。
「と、とれないぞ! なんだこれは、すごく気持ち悪い!! そしてすごくかゆい!!」
「それが、第二の呪いなのですわ。今後、ニコレット嬢に触れた者の手には、『ねばねばどろどろしていて、それでいてとろっとぬるっとしていてしつこい、すごく嫌な色と臭いのなにか』がくっついて、じくじくしてたまらなく痒くなり、三日間はとれないそうです!」
「三日も?! ああ、かゆいぃ!! くそ、何故だ、何故こんな事に!」
「ですから、それは全てニコレット嬢の嘘が招いた事、彼女に下された神罰ですのよ。いい加減、ご理解くださいまし」
「……。ほんとうに、嘘だったのか、ニコレット。そなたが私に告げた事、すべて」
「嘘なんかじゃ……」
「これ以上嘘を重ねると、更なる罰が下りますよ!」
とわたくしは警告する。彼女の為というより、これ以上臭くなったら流石に耐えられないからだ。
「ああ! それだけは許して下さい! そうです、イッポリート様。ルイーズ様の仰る通りですわ。あたしは、殿下の愛を手に入れる為に、たくさんの嘘をつきました。お許しください!」
「私に真実の愛を捧げると誓ったのも、嘘なのか?!」
イッポリート王子は思わず彼女の肩を掴んだけれど、その手にはまたべっとりとなにかがついて糸をひいた。
ニコレットは、目をそらしたけれど、小声で、
「嘘です……だって、知らなかったんだもの……真実の愛が、こんなにひどいものだったなんて……」
と呟いた。
「なんということだ。私は、騙されていた……」
ようやくイッポリート王子は全てを悟ったようだった。