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「あなたの事は聞いているわ。メナール男爵家の養女で、男爵が多額の寄付金を納めた事で、高位貴族が集うこの学舎に入学なさったのよね」

「はい。も、申し訳ございません。ルイーズ様にとっては、身分の低い成金の娘が、とご不快だった事でしょう」


 震えながらニコレットは謝った。王太子の取り巻きの令息たちは、この可哀相な様子を見るだけでも、いじめの事実は明らかだ、と口々に言っている。


「あら。わたくしは、本当に努力や才能をお持ちのお方であれば、出自は問わず歓迎してきましたわよ。ここにいるわたくしの友人エミリア嬢も男爵家の出身ですが、彼女は5か国語を操る才女でそれらの国の歴史や政情にまで通じていて、わたくしは彼女を尊敬していますのよ」

「まあ、ルイーズ様。ルイーズ様は6か国語がお出来になるではありませんか」


 といきなり名指しされて恐縮したエミリアは言った。ごめんなさい、エミリア。でもエミリアに限らず、わたくしは本当に人として惹かれるかどうかは身分が全てではないと思っているので、ニコレットが言うような気持ちを持っているなんて思われるのは心外すぎる。

 けれど、彼女の言葉をイッポリート王子は怒声で遮った。わたくしの語学力については彼以外の誰もがよく知っている事なのだけど、彼だけが、それはただ教師たちが大袈裟に言っているだけだ、何故ならそんな事が人間に出来る訳がないからだ、と恥ずかしげもなく言っていたらしい。


「ルイーズ! その言い草では、まるでニコレットに何の才もないと言いたいようだな!?」

「そんな事申しておりませんわ。ただ、いつも落第すれすれな所を、その度その教科の教師と『親密になって』及第点を貰っている、という噂を聞いた事はありますが」

「そ、それはただ、先生方にわからない所を教えて頂いていただけです!」


 わたくしの言葉にニコレットは真っ赤になって言い返した。ここで証拠を出せなんて言われたら話が進まなくなるので、一応、噂で聞いた、という形にしたものの、既に複数の教員からの証言を密かに押さえているのだけれど。


「教えてもらうのに、わざわざ独身男性の部屋を夜に訪れる必要があるのかしら?」

「だから、勉強していただけなのです!!」 

「ニコレット、まさか本当なのか? そなたは、夜に男の教師の部屋に行ったのか?」


 ニコレットが、教師と個人的に接触した事自体は否定しなかったので、イッポリート王子が少し不審そうな表情で問いかける。ニコレットは一瞬、しまったという表情を浮かべる。まあ彼女には元から、淑女は特別な関係以外の男性の部屋に一人で入ったりしない、という常識がなかったのだろう。

 でも、彼女はすぐに立ち直った。


「ああ、イッポリート様! ルイーズ様は、私がお嫌いだからあんな事を仰るのですわ! おかしな噂を立てたのもルイーズ様なんですわ!」


 と、反撃の材料にすると、イッポリート王子はほっとしたように、


「そ、そうか。これも性悪なルイーズの苛めなのだな! おのれ、こんな慎ましいニコレットを貶めるような噂をばらまくなど、本当に陰湿な女だな!」


 とたやすく丸め込まれてしまった。


「……まあいいわ。そもそも、貴女の素行がどうであろうとわたくしには関係ないもの。まあ、そんな事で進級が左右されるのも由々しき事ですから、いずれ調査が入るとは思いますが。……ですけど、わたくしが、これまでお話しした事もない貴女を苛めていた、という件については、この場でもう少し詳しくお聞かせ頂きたいわ」

「る、ルイーズ様は私をひとけのない音楽室に呼び出して、親しい令嬢方と一緒に私を、美しくて優しいだけが取り柄の成金下民、と散々罵られました」


 とニコレットはさり気なく自分を上げつつ涙ぐんで見せる。


「まあ。全然覚えてないけれど、それで?」

「あの……」


 ニコレットは、わたくしが全く動じていないのでやや怯んでいるようだ。

 恐らく、彼女の考えでは、深窓の令嬢なんて、王太子から婚約破棄を言い渡される、などという事態に突然陥れば、たとえ身に覚えのない罪でも、動揺のあまり、疑わしい態度を取ってしまう筈だったのだろう。

 イッポリート王子から聞かされていたわたくしの姿はきっと、高慢なだけで底が浅く、周囲が思い込んでいるような知恵もなく、おべっか使いに囲まれていい気になっているだけで、その実、何の徳もない女。彼が取り巻きにそう話しているのは直に耳にした事がある。

 でもニコレットは、とにかく、ここまで来たら、予定通りに振舞うしかない、と考えたようだった。


「あの。それから、ルイーズ様はそこで、懇意にしていらっしゃる殿方を差し向けて、私を襲わせました。息も絶え絶えで解放された私は、もうこんな目にあっては死ぬしかないと思って、学舎の屋上から身を投げようとして、そこを、王太子殿下がお見かけになって、救われたのですわ」

「まああ。それは酷い。本当の事でしたらね。それで、その、王太子殿下の婚約者であったわたくしが、懇意にして貴女を襲わせた、という殿方は、いったいどなたですの?」


 よく聞いてくれた、とばかりにニコレットは乾いた唇を舐めたけれど、彼女より先にイッポリート王子が口を開いた。


「ニコレットは、わからないと言うが、それは私に遠慮しての事だ。真実を知れば私が傷つくと。だが、私は知っている。ルイーズ、貴様が私の婚約者でありながら密通し、それでいつつ、私が何度か声をかけたニコレットに嫉妬し、彼女を傷つける為に差し向けた男……それは、おまえだ、フレデリック!!」

「僕ですか?!」


 イッポリート王子は、それまで口を開くことなくわたくしの近くにいた男性を指さした。男性はこれまでも、いかにも不快な表情を隠さないままだったけれど、急に渦中に引きずり込まれて、いっそう眉根を寄せた。


「そうだ、我が弟……いや、最早弟と呼ぶ事もないだろう。おまえは、私の婚約者と通じてあやつに唆されて我が真実の愛を凌辱しておきながら、何事もなかったかのように振る舞っていた最低の男……おまえは王子の位を剥奪して追放だ! もう兄弟ではない!」


 どうだ、と言わんばかりの兄の言葉に、イッポリート王子の双子の弟、第二王子フレデリック様はただ苦笑した。


「ちょっと待って下さい。どこから突っ込むべきか整理する時間を少し頂けますか。兄上がこの場で、その女性との結婚の意志を理由にルイーズに婚約破棄を言い渡すかも知れない、という事は予測出来ていました。ご自分とその女性との間を正当化する為に、謂れのない罪をルイーズに被せようとするだろう、とも。僕は、公の場でルイーズが辱められる事など絶対に看過出来ぬと思いましたし、まあ一応、兄上の今後の為にも、なんとかお諫めしようと思いました。ですが、ルイーズが、もう、兄上のお好きなようにして頂きたい、と強く願ったので、なんとか黙っていたのですが……」

「何をブツブツ言っている。言い逃れできるというならしてみるがいい!」

「言い逃れも何も、僕はそもそもニコレット嬢とは挨拶だけの間柄。なのに何故いきなり僕の名が出てくるんでしょう?」


 それは、最初は婚約者のいないフレデリック様を狙ったものの全く相手にされなかった事への腹いせの為のでっち上げなのだと、わたくしは思っている。


「挨拶だと! おまえの挨拶とは、女性に狼藉を働くことか!」

「だから、彼女には指一本触れた事もありません」

「じゃあルイーズには触れたんだな?! やはりおまえらは密通して」

「なんでそうなるんです!」

「それは、ニコレットが、おまえが深夜にルイーズの部屋に入っていくのを見た、と証言したからだ!」


 はあ、とフレデリック様は溜息を深くつかれた。

 この展開も予想していなかった訳ではないけれど、巻き込んでしまって本当に申し訳ない。

 フレデリック様は今日の事を聞かれて本当にわたくしの為に憤って下さって、いくら愚かなでっち上げであろうと、そんな公の場でわたくしが恥をかかされるなんてとんでもない事だ、すぐに陛下にお伝えして止めてもらおう、と仰るので、逆にそれを必死に止めなければならなかった。

 だって、わたくしがイッポリート王子とニコレットに罵られる事なんか、結果を考えれば大した問題ではない。むしろ大々的にやって欲しいのだ。この場で『真実の愛』を理由に婚約破棄……それで、わたくしも国も、愚かな王太子から逃れられるのだから。

 そう言って説得し、やっと了承して頂けたのだ。


「彼女の証言ですか。証拠は?」

「ニコレットが嘘をついているとでもいう気か?」

「逆に、真実を言っているという証明は出来るのですか?」


 フレデリック様の問いかけに、イッポリート王子は待ってましたとばかりに破顔した。そして、ニコレットを抱き寄せて言った。


「彼女は、王太子である私が見つけた真実の愛。その事こそが、真実の証明だ!!」


 意味が解らない、という呟きとため息が、人々の間から漏れ聞こえた。

 フレデリック様はわたくしに素早く目配せされた。ここが重要な所なのだから。


「真実の愛を……本当に、誓われるのですか? 婚約者のルイーズではなく、その、男爵令嬢のニコレット嬢に」

「さっきからそう言っているだろう。愛しいニコレット、そなたは私の真実の愛、永遠の愛。何があろうとも、真実の愛は決して色褪せぬ!」

「ああ、殿下。でも、私は、ルイーズ様からもフレデリック様からも憎まれていますのよ。なのに、本当に、私に真実の愛を誓って下さいますの?」

「さっきから言っているだろう。誓うぞ、天地神明にかけて。そなたこそが私の真実の愛だ!」


 その言葉に、ニコレットは思わずほくそ笑んでいる。

 公の場で永遠の愛を誓う事。それは、この国では、結婚の儀式よりも遥かに重く、決してほどけぬ絆。王太子が確かにそれを誓ったからには、もう、恐れるものはない――確実に、将来の王妃の座を掴んだ。そう、確信したのだろう。


「何があろうとも永遠の愛を誓う、と?」


 とわたくしは念を押す。

 

「そう言っている! なんだ、悔しいのか、それとも嫉妬か、ルイーズ。生憎だが、今更貴様が何を言おうと、私の気持ちは変えられぬ!」

「そうですか。まあ、今更心変わりして謝罪されても、もう手遅れですから、変わらない方がよろしいのかも知れませんね」

「なんだと、謝罪するのは貴様のほう――」

「謝罪すべきなのはどう見ても兄上ですよ!」


 とフレデリック様が苛立って仰ったけれど、それを押しとどめる。


「今更謝罪なんかいりませんわ。でもありがとうございます、フレデリック様」

「ルイーズ……」

「イッポリート様。我が王国では古来より、公の場で真実の愛を誓ったり、見つけたと宣言したりする行いは、結婚の儀式よりも遥かに重いものであるとされている事、さすがにご存知ですわよね? でも……もしもそれが真実でなかった場合、どんな恐ろしいことが起きるか、ご存じなかったんですの?」


 やっとここまで来た、と思い、わたくしはただわくわくする。長年わたくしをないがしろにしてきた事への報いを受けるがいいわ。

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