5話:家の新築とサイゴン陥落
「それによると2階に8畳4室と小さな物置とトイレと水道、大きなベランダ」。
「1階は和室と洋室、タンス部屋、15畳のリビング・ダイニング、対面キッチンと冷蔵庫、コンロ、電子レンジと食器棚に浴室とトイレ、玄関」。
「これで全部で、建坪150平米45坪となると話した」。
「その図面を見て、奥さんが、1階は、ぐるっと回れる様な動線になっているのですねと聞くと、この方が絶対便利だよと社長が言った」。
「西村社長が、この形式で、何軒も建てたと話し、これが一番効率的な間取りだと思うよと言った、豪華さよりも実用性を第一に考えた設計だと言った」。
「もう1軒はと聞かれ、今のところ、子供が小さいから、結婚したら建てるつもりと話した。
「それまでは、駐車場にでもしようと思っていると答えた」。
「賃貸住宅で最近はやっている、テラスハウスでも建てて、賃貸に貸したらと言われた」。
「海老名駅から徒歩7分程と言う便利さを考えると必ず、借りる人は、見つかるはずと話した」。
「失礼だが、もし、お金に余裕があれば、絶対に、お奨めだよと話した」。
「もしよかったら、最近作った農家の借家付き住宅を見に行くかと言われると奥さんが、行きたいと言った」。
相手さんの都合を聞いて連絡してやるよと言ってくれた。
「菅原が、自宅の方は、この図面通りで契約を結びたいと言った」。
「菅原肇が家の内容は良くわかったが、価格はと聞くと、あ、いけね、まだ話してなかったかと言い、頭をかいて1軒の建設に2500万円で建てると言った」。
「もちろん銀行を通じてのローンもOKだけれどと語った」。
「菅原が、何かサービスしてよと言った。わかった、土地の整備費用を無料にしようと言い、ただし、電線、上下水道の費用は、出してもらいますと笑った」。
ただ、あの土地は、電線も上下水道も近くを通ってるから、いくらもかからないよと言った。
「それでは、できるだけ早く工事に取りかかってくださいと言った」。
「これに対して工務店の大将が笑いながら、ありがとうございますと頭を下げ、そして図面を渡してくれて握手をした」。
「翌週の日曜日、1975年2月23日、地鎮祭をするから来て下さいと工務店の社長から電話が入り菅原夫妻で現地に行き、お祓いを受けて地鎮祭を行った」。
「完成予定は、と聞くと、工務店の社長が梅雨前の7月中には最低、完成させますと言った」。
その頃の世界では、1975年3月、南べトナム解放民族戦線は一斉に南ベトナム政府軍基地に攻勢を仕掛けた。すでにアメリカのフォード大統領はベトナムに再介入せず、と声明を出していた。解放戦線は、旧王都のフエ、中部の都市ダナンを制圧し、最後に4月26日、首都サイゴンへの攻勢である「ホーチミン作戦」を展開した。アメリカ大使館は、大使以下、大使館員全員がが海兵隊のヘリコプターで脱出した。
南ベトナム上層部の残党も南ベトナムから国外脱出を始めた。アメリカ合衆国も南ベトナムを見捨てて支援を断った為、北ベトナムの勝利は決まった。北ベトナムの軍隊がサイゴンに到着し、11時30分に南ベトナム大統領官邸「現在の統一会堂」に到着すると、北は南の大統領チャン・バン・フォンに対して辞任を要求した。フォンは北側の要求に応じて大統領を辞任しズオン・バン・ミンに引き継いだ。
ミンは大統領府内に侵入してきた北軍の兵士らに対し「政権をお渡しするため、あなた方をお待ちしていました」と告げた。しかし、当の兵士は「あなたは政権など持っていない。よって渡されるものなど何もない」というやりとりをしたと言われる。ミンは北軍の作成した原稿による「アメリカ傀儡大統領」としての降伏声明をラジオで読み上げ、ここにベトナム戦争は終結「サイゴン陥落」。
アメリカ軍はアメリカ大使館関係者や在越アメリカ人を脱出させるミッション・フリークエント・ウィンド作戦を発動した。米軍放送から予め告知されていた天気予報のメッセージと共にビング・クロスビーの『ホワイト・クリスマス』を陥落前日の4月29日から頻繁に放送し在越アメリカ人にサイゴン脱出を呼びかけた。これによりベトナム戦争はあっけなく幕を閉じ、大きな時代の転換点となった。