1話:厚木郊外に生まれ、結婚、3人の子持
菅原幸一の父、菅原肇は厚木郊外で伊勢原に近い七沢で1926年「昭和2年」7月22日に誕生。母、清水タエさんは藤沢の外れの寒川町の農村で1928年「昭和4年」に誕生。同じ厚木市内高校で知り合って厚木市内の同じ会社に入社して1948年結婚した。結婚して工場の家族寮に入り1953年3月15日、長男、幸一が誕生した。その後、1955年7月18日、長女、幸子、1957年11月22日には次女、幸恵を出産し3人の子供の5人家族となった。
2DKの社宅が狭くなったので会社の上司に事情を話し3LDKの大きな社宅に住み替えさせてもらった。1955年、切り詰めた生活を続けて夫婦共働きで貯めた金200万円と母の持参金100万円で貯金が300万円となった。それでも子供ができて費用がかかるようになり3人の子供をもうけた後は、なかなか貯金するだけの余裕がなくなり新たに貯金できなくなった。
会社の昼休み、
「経理の朝井圭介が菅原肇に、戦後、日本景気が回復し好景気が来ると信じてると話した」。
「これからは、株投資の時代だと言い、このチャンスを逃すなと情熱的に語り菅原肇の肩をたたいた」。
「このの言葉が耳に残り奥さんのタエさんに内緒でN証券に100万円を入金」
「菅原が、資金が小さいので良い情報を下さいねと、担当者と朝井に伝えた」
「すると、わかったよ、投資資金をしっかり貯めておけよと笑いながら言った」
しかし、うまい話は、なかなかなく1959年になると長男の幸一が小学校に入学。その頃、貯金300万円、証券口座150万円となっていた。1962年には長女の幸子が兄と同じ小学校へ1964年、次女、幸恵も小学生になった。この年の夏に東京オリンピックが開催され、毎晩、ラジオで実況中継を聞いて興奮していた。1964年には証券口座を250万円に増やした。
やがて1965年を迎えて1965年2月に朝井から電話が入り、証券口座にいくらは言ってると聞かれ250万円と答えた。
「ソニー株を100円で2万株買いと言われ、指示通りN証券の担当者に電話を入れた」。その結果が気になったので昼休みに証券会社の担当者に聞くと買えたと答えた。手数料を引いて残金が50万円だと伝えられた。1966年になると長男の幸一が中学に入学、学生服がりりしく見えた。
この年の9月には伊勢原駅からバスで日向薬師へ行き、満開の曼珠沙華「まんじゅしゃげ」の赤い花が満開でとてもきれいで、タエさん、幸子、幸恵などと家族写真を撮って、その後、日向薬師をお参りして来た。日向薬師「ひなたやくし」元の名を日向山霊山寺「りょうぜんじ」と称した薬師如来信仰の霊場で、関東地方では有数の古寺。柴折薬師「高知県大豊町」、米山薬師「新潟県上越市」と共に「日本三薬師」に数えられる。
日向薬師・バス停から表参道へ入り数分歩くと2体の仁王像が並び立つ山門があり、門をくぐってから寺院までは、明るい林の中を通る石組み階段の広い歩道が 500メートル ほど続いている。標高差は約70メートル。しかし、あまり、整備されてないので、参道は細い山道であるから、気をつけてあるからないと転んでしまうので注意が必要。参道を上がって15分位で本堂に到着する。
その薬師様も、すごいが、実際に行って見ると大きな木に囲まれた素晴らしい所だ。東丹沢の懐、日向川「ひなたがわ」の谷戸「やと」に位置し、日向地区の里山である雑木林に囲まれている。境内にある推定樹齢800年の幡かけ杉「県指定天然記念物」をはじめケヤキやタブノキなどの自然植生林やスギなどの植栽樹林が護られており春は新緑、秋は紅葉に彩られる。
実は菅原肇も奥さんのタエさんと、昔、頻繁にハイキング・デートを楽しんだ所で、非常に愛着があった。その他、大山、阿夫利「あふり」神社の参拝にも出かけた。それ以外に冬から春にかけて、近くの農家で副業として植えている七沢ミカンが売られている。食べてみると、随分、甘くて、ついつい食べ過ぎてしまう。そして、厚木からバスで七沢に行くと、七沢温泉という天然温泉もある。