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かくしごと

作者: 織野 帆里

 気が向けば年に数回会う程度の友人。

 文野(あやの)とはそんな仲だった。


 私が都内に引っ越したからとか、職場の先輩とちょっとイイ感じになったからとか、ボルダリングにうっかりハマったからとか――文野に会わない理由は探さなくても見つかったし、会わないとダメな理由は一方で全然なかった。


 趣味が合ったわけでもないし、大学は学部もレベルも全然違った。ただ小6のときに偶然仲良くなっただけの相手で、今はお互い、笑っちゃうほど違う人生を選んでる。あまりに遠くなりすぎて、最近は何を話したら良いのか分からない。気がつけば私が一方的に話していて、それを申し訳ないなって思うのも、だんだん疲れてきた。


「付き合いが長いってだけの理由でさ、わざわざ時間とって会うことなくない?」


 先輩はコンビニで買った缶チューハイを片手に、そう言って笑った。冗談にしてはちょっと失礼だけど、まあ、お酒の勢いってやつだろう。


「まあ、そうなんですけどね」


 だから私が否定しなかったのも、お酒の勢いってことにしたい。


 ごめんね文野。あんたのこと嫌いじゃないよ。でもさ、腐れ縁にも有効期限ってある気がするんだよ。私たちって、もう大人なんだ。昔から知ってるってだけで無条件に友達でいられる時期は、そろそろ終わりかもしれないなって――少しだけ、思う。


 あんたはどう?

 私とまだ、友達でいたいわけ。


 夜中にふっと目が覚めて、先輩を起こさないようにスマートフォンに手を伸ばす。緑色のランプが点滅しているのは、やっぱり文野からの返事だった。


 会わないかと聞かれたのは7月23日、日曜の夜。


 予定はなかった。だけど次の日はフツーに平日だし、ドラマの録画を見たい。昼間はボルダリングジムに行くから、飲めるほど体力残ってないかも。もしかしたら先輩がヒマで、今日みたいに家に来るかも。


『ごめん! せっかくなんだけど』


 会わない理由はいっぱいあるんだよ。


『その日、ちょっと忙しいかもなんだよね』


 会う理由は探しても見つからないのに。


『お盆に地元帰るからさ』


 文野と話すときって、私が与えるばっかりで。


『みんな呼んでさ、そのときに会お?』


 何も話してくれないじゃん。

 本当はそういうの、苦手じゃないはずなのにさ。


 メッセージを送信して、画面を消す。スマートフォンを充電コードに繋ぎ直して、ブランケットを被りなおした。ちくりと痛い罪悪感は見ないふりをして、まだ朝は遠い部屋で目を閉じる。


 文野は昔、脚本家になりたいって言ってた。


 ドラマとか見るの結構好きだから、私は文野の夢を応援してたんだけど、一回だけ文野が書いた小説を読んで、これは無理だなって内心で思った。


 文野の書く作品は誰も死なないし傷つかない。何かを成し遂げないし、困難を乗り越えない。恋愛の駆け引きとか友達との喧嘩とか、そういうのすらない。ただ穏やかな日常と優しい人たちがいて、それだけ。


 ――これって物語じゃないよね。


 思わず言うと、そうかも、と文野は笑った。


 ――ただ、世界がこんな感じだったら良いなって思って、それを書いたんだ。危ないこととか怖いことなんて、書きたくないし。

 ――でも脚本書くなら、それじゃムリだよ!


 おすすめのドラマを無理やり見せようとした私に、文野は困ったような表情を浮かべて、それでも付き合ってくれた。そう、それ以来、私は文野の作品を読んだことがない。見せてくれなくなったのだ。正直、酷評をした自覚はあるから、やむなしとは思う。


 でも文野が、ティーポットやお花や香草を使って作り出す、陽だまりみたいな雰囲気は全然嫌いじゃないって言うか、むしろ素敵だと思ってた。だから作品を見せてくれないのは少し残念だったり――


「あれ?」


 朝、先輩を見送ってから、ふと気がついた。


 文野の作品の雰囲気が好きだって、一度も伝えたことがない気がする。そっか、文野から見れば、私は文句だけ言って、良いところはひとつも言ってくれない奴だったのか。そりゃあ、作品を見せるわけないよね。


 スマートフォンを見る。


 まだ、文野は私のメッセージを読んでいないみたいだった。いつもは夜でも返事が早いくせに珍しいなと思いながら、私は追加のメッセージを送る。


『やっぱ、暇になった』


 文野に会う理由ができたから。


 だからメッセージを送ったのに返事はいつまでも来なくて、お盆に帰省したときに初めて、文野が急病で死んでしまったと聞いた。何の脈絡もなく死んじゃうなんて、あんたの作品では、起きちゃいけないイベントのはずなんだけど。


 ***


 お葬式は家族だけでやった、と文野のご両親が教えてくれた。小学生の頃は親同士も仲良くて、よく家に遊びに行ってたっけ。文野は私とたまに会っていることを、ご両親にさえ隠していたのだ。都内に出てくるのは、仕事の相談をするためだと嘘を吐いていたらしい。


「まだあの子の友達でいてくれたのね」


 私を葬儀に呼ばなかったことを、文野のご両親はひどく気に病んでいた。脚本家の夢に真摯すぎたがゆえに、ほとんどの友達と疎遠になってしまい、それでも憧れを追いかけていたそうだ。


 文野の部屋を見せてもらうと、冷房が切れていて蒸し暑い。片付けられた部屋のなかで目立つのは、机の上に積み上がっている大学ノートだった。


「私、文野に言えなかったことがあって」


 マジックペンで番号の振られたノートを一冊、持ち上げる。


「文野の作品は、物語じゃないと思うけど、好きだったんですよ」


 呟くと、目の奥がじわりと熱くなった。


 なんで私、あいつのことで泣いてるんだろう。そんな大切な相手だったっけ。正直ちょっと持て余してたじゃん、なのに、いかにも優しくて情緒豊かな人間みたいな顔して泣いてんのは、違うでしょ。


 ほら。


 私が泣くから、文野の親御さん、気を遣って部屋から出て行こうとしてる。こんな友達未満の人間より、ご両親の方がずっと、文野を思って泣く権利があるのにさ。


「良かったら、あの子の作品を読んであげて」


 そんな言葉を残して、扉が閉じられた。


 蒸し暑さで膝の裏が汗ばむのを感じながら、ノートを開いてみる。


 一番ナンバリングが新しいノートの途中から始まっているのは、コスモスの咲き誇るガーデンで語り合うふたりの会話劇だった。ハーブティとクッキー、ドライフラワー、砂時計。相変わらず文野は、可愛らしくて華奢で脆いモチーフが好きらしかった。


 外ではクマゼミが鳴いていて、今日も35℃を越える真夏日だけど、この部屋には秋風が吹いていた。文野の作品が連れてきた、一足早い秋の気配のなかでページを捲る。


 読み進めていて、ふと気がついた。


 ストーリーがないのが、文野の作品の特徴で欠点だった。だけどどうやら、主人公は、もうひとりの登場人物に好意を抱いているようだった。一方通行の片想いが相手に伝わらないまま、ふたりは秋の深まるガーデンでティータイムを共有する。主人公は毎日相手を待っているのだけど、相手の方は来る日もあれば来ない日もあって、主人公はそれに一喜一憂する。


 想いの伝わらないもどかしさ。

 気持ちを秘める、後ろめたい楽しさ。


 暖かくて穏やかなだけだった文野の作品には珍しく、ほろ苦い感覚が書かれている。あいつ、こんなものも書けたんだ。私は思わず、笑顔になってしまいながら続きを読んだ。


 ある日、一方通行の想いを抱いている主人公は、いつもとは種類の違うハーブティを淹れる。それは主人公なりの決心を表していて、主人公はその日、もし片想いの相手がガーデンにやってきたら『大切な話』をしようと決めたのだ。


 クッキーを丸いお皿に並べて、フラワーアーチの向こう側に、片想いの相手が現れる瞬間をそわそわと待つ。相手がやってきたかと思ったら鳥の影で、なんだ、と溜息交じりに微笑む。


 緊張している感じが可愛くて、作品の中のキャラクタだと分かっているのに、だんだん応援したくなる。そして影が斜めに伸び始めたころ、ついに片想いの相手がやってくるのだ。


 どうなるんだろう。


 どきどきしながらページを捲ると、次のページは真っ白だった。その代わりに小さいメモが挟まれていて、床に落ちたそれを拾い上げる。シャーペンの細い文字が、いくつか箇条書きで書かれていた。


『7月23日、いつもの店、大切な話』


「ん……?」


 これ、何だろう。


 でもその日付には見覚えがあった。これ、文野が私を最後に誘ってきたときの日付じゃないっけ? スマートフォンを取り出して確認すると、やっぱりそうだった。どうしてノートの隙間に、私との予定のメモを挟んでるんだろう。


 それに『大切な話』って何だろう。


 あれ、この単語も見覚えがある。大切な話って、この作品の中で、主人公が片想いの相手に話そうとしてたやつだ。文野は、自分が書いた作品の主人公と同じように、私に『大切な話』をしようとしていたのか――


「え?」


 ――それって。


「これって、もしかして、私とあんたの話なの」


 ページを逆向きに戻って、文章を読み返す。よく見ると、話が一段落するたびに小さく日付が書いてある。スマートフォンを震える手で取りだして、ひとつひとつ確認した。


 全部、私と文野が会った日付だった。


 それ以上見ているのが怖くって、私はノートを閉じる。ご両親への言い訳もそこそこに家を出て、炎天下のアスファルトに膝をつく。コスモスとハーブティの匂いを、一刻も早く忘れたかった。


「分かんないよ、文野」


 それでも夏は終わろうとしていた。


「あんた、私と、どうなりたかったの?」


 文野の物語を最初から最後まで、ちゃんと読めば分かったかもしれない。だけど、理解してしまうのも怖くて、それに――隠しごとを暴いてしまうようで申し訳なくて。伝わらない想いを抱えている甘さと苦さに、あいつの物語を通じて共感してしまったからこそ、言えなかった想いなら、そのまま天国まで持って行ってほしいとも思うのだ。


 見なかったことにするよ。


 だけど、秋が来るたびに、コスモスの匂いを嗅ぐたびに――あんたを思い出してしまう私のことは、どうか許してほしい。

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