春日局とチサ
嬉しい 懐妊してからも悪阻の時も優しくして
くれたが、この部屋に移ってからはほんの1回
それも局の容態を報告しに来ただけなので、
半刻もいられなかったから寂しかった。そうして
聞こえてくるのは、誰それが自分を呪ってどこぞの
神社に呪詛をかけているとか、生家である古着屋が
火事になったとか、、、実は根も葉も無い噂であったが
そんな嫌な事ばかりが聞こえて来る。周りの人々が
噂をお蘭の耳に入れない用 十分気遣っているのに
そう言う類いのものは自然と耳に入ってしまう。
これも六人の中で一番早くお腹様になる我が身を
妬んでの事と思うが心は寂しい。その中でチサだけは
変わらぬ友情を持っていてくれたのかと思うとお蘭は
本当に嬉しく元気づけられたのだった。
だがお産の方は陣痛が強過ぎて難産らしく夜が明けても
昼近くなっても産まれなかった。昨夜から待っている
チサ達も、早朝知らされた家光も気が気でない。
大奥中というか城内の人々がみな 固唾をのんで
待ち受ける中 その日の昼過ぎ 陣痛より16時間位
たってやっと産室いっぱいに元気な産声が響き渡り
無事 若君ご誕生 春日局以下お手伝いの産婆
(お清)の中臈 女中達もホッとひと息つく内 若君は
北の座敷の東にある井戸から汲んだ水から作る産湯を
使い、香登理衣という葵の紋を染めぬいた
産着に着替えて産婦の横に寝かされる。
若君ご誕生の知らせは誕生と同時にまず 表使いが
この際は裾を蹴散らすほどに走ってお鈴口へ、、、
そこからは中奥の小姓がこれまた床を踏み破らんばかりに
走って御座所で待つ家光の元へと息せき切って注進する。
「若君 ご誕生」 「何っ 若か」 聞いた家光
一瞬 飛び上がらんばかりにして立ち上がる。側にいた
家臣一同 永年待ちわびた男子誕生 彼はやっと世継ぎを
得たのだった。家臣一様に祝いの言葉を述べる中
歓喜覚めやらぬ家光は、大奥へと急ぐ足どりも宙を踏む。
北の御部屋へまっしぐらに進み、一歩入るなり
「お蘭 あっぱれじゃ 良く若を産んでくれた」
満面に笑みをたたえ産婦にお褒めの言葉をかけた。
その時 春日局はじめ付き添いの侍女達が一斉に
平伏す 姿を見てお蘭はついふらふらと身体を
起こしかけるその瞬間 「お蘭っ」絶叫して局が飛びかかり
危うくその肩を押さえつける。間一髪 お蘭は助かった。
一同みな唖然する中「何とする 産後は如何なる事が
あっても安静にせねば成らぬというに」 激しく叱咤され
お蘭はハッとしたように「申し訳ございません」と
やっと気がついた様子 産婆が慌てて進み寄り
「今 起き上がられてはたちまち大出血なさいまして
二度と元のお身体には戻る事はできませぬぞ」
言われて周りの人々は今更ながら、事の重大さに気づいた。
家光も虚脱したように座り込んで「間に合ってよかった」と
息をつく。「春日 よく注意してくれた。そちが
気づかなければ大事に到る所であったな」と 殊勲の局に
お褒めの言葉をかけるとみな一様に頷く。
「もったいなきお言葉でございます」 局は平伏して
顔を上げない。またもやチサの言った事が眼前で
起こり、気も心も動転していた。
続く。