春日局とチサ
「昨日の事で疲れたのであろう。別の座敷で休むが良い」
「ありがとうございます。でも 先程まで痛かった頭が
あのー件でどこかに行ってしまいました。
もう何ともありません」と 笑うチサ その時表より
家光から春日局へのお見舞いの品が届いた。
それは大きな籠にたっぷり盛った大粒の蜜柑だった。
「わあ~美味しそう」 チサも部屋子達も歓声を上げた時
にわかに外が騒がしくなり、表使いの女が慌てて
駆け込んで来た。「た 大変でございます。ただ今急に
上様が長局にお渡りでございます」 「何っ」 局を
はじめみな飛び上がらんばかりに驚く。今だかつて
将軍が長局まで来る事など決してなかった。
「まことか」 「は はい あれ もうそこに」と表使いの
女が平伏すより早く 「春日 見舞いに参った」と 家光
一同 うちそろって平伏す中をつかつかとしとねの
側と座る。「どうじゃ 具合は」 「これは上様 この婆
有り難き事なれど、上様は天下人 我等仕える女供の
住まう所までお出ましになられては御威光に
関わりまする」 局は顔をしかめて見上げるが
「良いでは無いか。わしとて人の子 生まれおちてから
そちの乳を飲み、育ててもらった。その身を案じて
何が悪い。このチサでさえ昨夜は寝ずに付き添ったと
いうでは無いか。わしはそれを聞いて我が身を恥じ
早速 こうして参ったのじゃ」 「チサは上様に仕える女
春日が手をかける中臈にございます。上様と並び比べる
などもってのほかでございます。ご自重下さいませ」
まなじり上げて強く諌言すると 「もう良い そちは
わしの見舞いが不快なようじゃな」と 不機嫌そうに
座を立った。「とんでもございませぬ。何で この婆が
そんな事 上様のお心は有り難く 有り難く存じます」
慌てて言う局に家光の機嫌はすぐに直りニッコリ笑うと
「さようか では明日も参るぞ」 言いおいてさっさと出て
行ってしまう。「あれ 上様 そんな明日も等と」と
慌てる局の声を聞かぬふりしてニヤニヤしながら
中奥へ帰ってしまった。これは家光の作戦勝ちとでも
言おうか。彼はチサを知るにつけ寝所以外の女達
側女はもとより今まで見た事のない働く女の日常生活をも
知りたくなったのである。それで局の見舞いにかこつけ
暗黙の内に御法度となっていた長局に足を踏み入れたの
だった。そうして次の日もまた次の日も見舞いと称して
堂々と局の部屋を訪れる。それだけならまだしも
他のお年寄りの部屋 お玉やお里沙のいる部屋にも
突然 現れて彼女等の度肝を抜き、お万の方の部屋
では上がり込み、茶まで立ててもらった。
このままでは堪らない。長局中の女は悲鳴を上げた。
日頃 将軍に会う事など無いつまりお目見え以下ので
女が大半である。彼女達はいつ現れるか分からない
上様に戦々恐々 この上は早くお局様に床払いをして
貰い出仕して頂かなければと、和島達は思いつめる。
続く。