過去の世界 初めての冬
慌ててチサを立ち上がらせる。 見つかっては仕方がない。
お万の方は微笑みながらチサ達に近づいた。
チサとおよのは赤い顔で平伏した。同じ側室と言っても
チサは中臈 お万の方は格式高い上臈だった。
「何か悪さをしていたのですか」 お方様は笑みを絶やさず
優しく尋ねる。「はい あの~」と チサは顔を上げて
困ったように「お局様には内緒にして頂けませんでしょうか」
「たいそうな事でなければ、黙って知らせずに起きましょう」
「ありがとうございます。実は今日の膳部の中身が
知りたくて御膳所の中を覗こうとしていました」と
答えるのでお万の方はびっくり 「それはまたどうして
まぁいいから立ちなさい。いつまでもここにいては
人目に付きます」と チサを立たせて並んで歩く。
「もの凄~くお腹が空いたからです」チサの答えは
簡単明瞭 「ええっ」と思わず聞き返すと 「ご存知だと
思いますが、私共の部屋では今 お蘭様がツワリの
まっ最中で一緒にご飯を頂く時 青白い顔をして
あれは嫌 これも嫌 見るのも嫌と気分悪そうに
されますと、ついつい手が出し憎くなって、、、
いつも通りにパクパク食べられず私のお腹は
空きっぱなし それが今日は表から御典医の診察
とやらで、食事の時間が私達とズレるのです。
今日こそはお腹いっぱい食べられると思ったら
お腹の虫がグウ~と鳴いて、、、そこで今日の膳部は
何かしら もしや私の好きな豆腐は鮃は、鮃を煮付けに
してとか思って」 話の途中からお方様笑いを噛み殺して
いたがとうとう吹きだしてしまった。
付いていた40年輩の侍女も袖を口に当てて笑い咽んで
いる。 「お局様に見つかっては一大事 はしたないから
止めましょうと、お留めしましたがお聞き入れに
なりません」と 後からおよのが恨めしそうに口を
添える。「だって私 本当にお腹が空いているんですもの」
まるで駄々っ子のようなチサ それを聞きながら
お万の方は、表面だけを取り繕い心の内を見せぬ女達の
多い中 そよ風のような爽やかな感じをさせる人だと
好感を持った。「それは大変なこと そなたもお蘭には
何かと気を使うでしょうね」と 同じく上様の愛を
受けながら先に御子を身篭ったお蘭と同じ部屋
朝に夕に顔を合わすのは辛かろうと思い、それとなく
慰める。だが これまたチサは「いいえ 特に気を使う
ことはありません。それよりお局様はじめみなが余りに
構いすぎ いたわりすぎるのが反ってお身体に良くない
と思うので心配です。ツワリと言うのは半分は気の
持ちようで変わると言いますもの。だから私
お部屋の中ばかりでなく少しでも気分の良い時は
庭を歩いたりして外の空気に触れなければ駄目
身体を動かさなきゃ食欲も湧かないわよって
お蘭様をけしかけているんです」と ケロリとしている。
「お蘭とは良く話し合うのですか」 「はい 彼女はとても
おとなしい内気な方でしょう。それに引き換え私は
ご覧の通りのお転婆ですから、かえって気が合うの
でしょうか。私の苦手な書道など お蘭様と一緒に
おさらいをしております」 お万の方はチサがお玉達とは
違い、お蘭の懐妊を少しもこだわっていない事に、
驚きと共に清々しさを覚えた。
続く。