庭での傷害事件
半月近く離れていたチサがそっと二人の寝所に入って
来た時 家光の胸は喜びにふるえた。
しかしチサの足どりはいつになく重い。(足の傷の事を
なんと言おうか) そっとしとねに身を横たえたチサを見て
家光はその様子にいつもと違うものを感じた。
いつもなら足どりも軽くさっさと近寄って来て自分の前に
ピタッと座るやペチャクチャとしゃべり出すのが常で
あったのに今夜は他の者と同じく、もの静かでしおらしく
そのせいで今までになく女らしくなまめいて見える。
(病いがこの女を変わらせたのか)と訝しく思いながら
そっと肩に手をかけるとヒタッと吸い付くように胸に
寄り添って来る。心なしか身体までが丸みをおびて
柔らかくなったように思えた。「長い日々であった」
「お会いしとうございました」と胸にすがり付くその姿に
また 不自然なものを感じる。チサは右足を故意に
布団の中へ隠そうとうする為 動きがスムーズに行かない。
それに気づいた彼は身体を抱き寄せながらそっと裾を
めくってみる。弾かれたように足をすくめるチサ
家光はカッと眼を見開いて「この傷はどうしたのじゃ」
「お庭を散策中に誤って池に落ちてしまいました」と
おどおど答えるチサ 「なればなぜ風邪だ等と偽った」
「あまり仰々しくするのは恥ずかしゅうございました。
私がはしゃぎすぎてお転婆だったから」
「そうでは有るまい。春日までがわしを偽るにはそれ相当の
訳があるはずじゃ 言え チサ そちをこのような目に
合わせたのは誰じゃ」と 家光の剣幕は凄まじくなって
来る。愛する女にこのような大きな傷を負わせた者
許しがたいと彼は怒った。「私の 私の不注意で」
「まだ言うか そのぐらいの事で春日が偽りを申す訳は
無い。誰じゃ お玉かお夏か」 「いいえ 上様 私は
私は誰のせいでもございません。どうかお気を静め
あそばして 命にかかわるならともかく私の不注意が
まねいた事なのです」 「やはり 誰ぞに負わされるの
じゃな」 「誤って池に落ちたのは私でございます。
どうぞ上様 もうこれ以上何もお咎め下さいますな」
「誰がこのような 三寸余りもあるではないか。わしは
そ奴が憎い 誰ぞある 和島 菊路」と 家光は寝所
より下の間に控える今宵の当番を声高に呼んだ。
「上様 お待ち下さいませ」その足元にすがり付くチサ
チサはお玉も花岡も罪人にしたくなかった。
家光の声に和島と介添え菊路が慌ててかけよって来る。
「和島 チサにこのような手傷を負わせた者 そちは
知っておるのか」 「はい」」 「何っ それでは
そちまでが いや 他の者もみなわしを偽っておったのか」
「上様 お静まり下さいませ。もとより悪しかれと思って
した事ではございません。これは春日局様とおチサ様の
暖かいお心から出た事でございます」と 和島は
落ちついて家光を見上げる。その柔らかい物腰にいくらか
気も静まり家光はどっかと腰を下ろした。
「申して見よ」 「はい 半月ほど前 庭を散策していた
おチサ様は供の者とふざけ合う内に前を見ずに走って
いてある方とぶつかり合いになる所でした。幸い双方が
よけあいましたので、大事には至りませんでしたが
勢い余ったおチサ様は池の中に足を、、、傷はその
時の物でございます。その時はお互いの無礼を詫びて
何事もなく部屋に戻り、傷も大した事は無いと部屋で
手当をしただけで次の日も変わりなく出仕しておりました
ところ、2日 3日頃から痛み出し慌ててお匙に見せ
翌日よりお休みとなったのでございます。なぜ風邪等と
偽ったかと申しますと、その事があってから日も過ぎて
いるのに今さら怪我をしていたとなると、相手の方が
気を使われるだろうとおチサ様が申されお局様も同意
なさって風邪と偽りました。この事はお二人と部屋の
者以外は 和島より他に知る者はございません」と
臆せず 弁舌爽やかな返答に家光も暫し言うべき言葉が
無い。すでにこうなる事を予想して局と計らい返答を
用意していた和島であった。
続く。