庭での傷害事件
その中で一人 表使いの貴乃という中年の女がそっと
その場を離れて行った。彼女は初めから事の次第を
見ていたのだった。チサがお玉に当たりそうになった時
彼女は池の向こうの植え込みの陰にいた。だから
チサの手がお玉の体に当たっていない事も、お玉が
わざと転んで見せた事の見ていたのだ。貴乃は足早に
庭を通り越して春日局の部屋へと急ぐ。あまりに事が
大きくなりすぎては両方 共に引っ込みがつかなくなる。
これは早く局に報告して、仲裁役の人を遣わし花岡との
言い争いをまとめて貰わなければ後にどんな禍根を
残す事にもなり兼ねないと、足を早めて部屋に駆けつけた。
ちようどその時 チサの教育を終えてひと息入れて
いた局は、庭での騒動を部屋に通うお末の小娘から
知らされて何事かと廊下にまで出て来た所
そこへ貴乃が駆けつけて来たのだった。
「お局様に申し上げます」 「何事じゃ」「実は今お庭で、、」
貴乃は自分の見ていた一部始終を局に告げた。
聞き終えた局は 「良く知らせてくれた。貴乃 礼を申し
ますぞ。後はこなたが良きように計らうゆえ心配
せぬように」と 言って早速侍女の中から各部屋との
折衝にあたる外交官とも言うべき、人当たりのいい
者を選び出し急ぎ 問題の庭へと走らせた。
藤波というこの女は、年頃は四十を一つか二つ出た位
小肥りで丸顔のいかにも人の好さそうに見える人である。
額に汗を滲ませてたどり着いたその庭では
まだ 花岡とチサ達が向き合い何やら口論していた。
藤波は息を大きく吸い込んで逸る心を押さえ息を
整えてから、ゆったりとした歩調でさも今 ここを
通りかかったというような調子で二人の間に割って
入った。「良い日和とて 庭を散策しておりました所
何やら声高に言い争うのが聞こえましたので、
来てみましたらこの始末 人に尋ねましたところ
我が部屋でお預かりしているおチサ様が、浮かれ過ぎ
たる余り そちらのお玉様にとんだ阻喪をしてお怪我
させたの事 まことに申し訳なく存じます」と
柔らかく頭を下げる。
続く