庭での傷害事件
チサは元気づけてやろうと思い「ほんとに冗談が
過ぎるよね。女の気持ちが分からなさ過ぎるわ。
でも今頃 お局様に叱られてピイピイ言ってるわよ」と
耳元でささやくと、その言い方が可笑しかったのか
お蘭は声を上げて笑った。なぜなら将軍が中奥に
お戻りになるとすぐに、険しい顔付きの局が和島に
何言か言いおいて後を追うように中奥に出向いたからで
ある。さぞかし今頃は余人を遠ざけたひと間でたっぷり
油を絞られてさんざんな目にあっているはずだった。
この朝の出来事はあっという間に奥女中全ての耳に入り
いかに上様の愛情が深いかの証にされた。
お玉達の受けた衝撃は並々成らぬものであった。
悔し涙を流しながら、きっとこのままではおくものかと
心に決っする三人である。お万の方の部屋でも侍女達は
みな憤慨して、どこの者とも素性の知れぬ女とか
清らかの上にも清らかなお方様と違い、賎しい育ちの
者はいかにして上様の気を引こうと、手練手管を使うやも
知れぬ 上様も騙されて 等と悪口を言い立てたが
当のお万の方はそれを制して 「そのような事を言う
ものではありませぬ。身につく学問や教養が無くても
あのように素晴らしい衣装を考え出せる才能がある
ではありませんか。それにあの人の持つ明るさ
まるであの人の周りにはいつも陽が当たっている
ような明るさには、上様ならずとも心引かれましょう」と
諭した。しかし その顔にやはり淋しさが過ぎるのは
いなめ無い。さもあろう チサが現れる前はこのお万の方が
家光の寵愛を一番深く受けていたのだから、、、
だが 将軍家にとって何よりも大事な世継ぎの男子を
産めぬ身体の悲しさ、それを閨に召される数の多かった
日々 春日局の刺すような視線 思えば苦しく辛かった。
だからこそ 京の実家に頼んでお玉を呼び寄せ 局とも
組み自分の代わりにとお側に薦めたが、あまり心引かれた
ご様子に無く、 なお一層慈しんで下さった。
それが今 チサに奪われかけている。悲しく辛いことに
違いはない。お万の方はホッと小さくため息をついて
お部屋の前に広がる庭に眼を向けた。この庭も他にある
城内の庭も桜入りすでに終わり、今は萌え立つような
若葉の色である。その若葉に交じって咲くのは藤 牡丹
かきつばた等の花ばなである。これもまた美しい
お万の方はじめ他の中臈達 また非番のお年寄りや
他や女中達もこの美しさと、初夏の爽やかさに引かれて
毎日のように庭に出て散策を楽しんだ。
続く。