チサの迷い そうして
しかしここで一つ安心なのは、お万の方のように身分が
あるという訳でもなく強力な後ろ立てもないという事
和島の話によれば生国すらはっきりせず、両親 兄弟の
類いもないまったくの天涯孤独らしいと言う事だ。
それと自分の部屋に預かるとなれば十分に監視乗り目が
届く。他の側女達をもと家光に奨めたのも結果としては
それだけ懐妊するチャンスが多くなるという事になる。
そう考えてくると少し気が楽になり、部屋に戻ると早速
お蘭だけをひと間に呼び寄せたチサの事を打診してみた。
家光が命じたことは伏せてである。それを言うのは
お蘭に限らず他の者にも刺激が強い。チサが家光に
頼んだという事柄も一緒に内緒にして置かなければ
ならなかった。「近頃 上様のお側に上がったチサという
女を存じておろう」 「はい」 お蘭は長い睫毛をふるわせて
小さく答えた。美しい女だった。こんなにも美しく可憐な
女がいるというのにと局は胸の奥でつぶやいた。
噂に聞くチサという女は、さして特長のないどこにでも
居るような女だと聞く。「聞けばその女は気が強く
諸事 振る舞いも側女に相応しからぬという。大奥に
入って日も浅く仕方がないとは申せ 今預かる梅山が
注意してもいっこうに改めようとはせず手に持て余して
いるらしい。それに梅山はお客会釈の役職じゃ
本来ならば中臈を預かる分ではない。そこで考えたの
じゃがその女を、こなたが預かって見ようとも思うが
どうであろうか」 局にしてはおそるおそる切り出して
見た。ハッとお蘭は顔を上げたがすぐまた面を伏せた。
そうして ややあったが「結構な事と存じます
はっきり返答したので 「えっ 良いというのか」と 局が
面食らう。「私 みなが言うほどその方が悪い人だとは
思えばせん。どうぞ私にお気使いなくお呼び下さいませ」
お蘭は内気な女だった。自分の思うことの半分 いや
十の内一つしか言えないようなところがあった。その上
お万の方やお玉達のように公家 旗本の家柄というのでも
なく春日局に拾われた町人の娘だったので、身につく教養も
低い。それゆえにいつもお玉やお夏 お里沙達から目の敵に
され、事あるごとに身分の違いを意識させられてきた。
それに引き換え、チサという人は自分よりも素性がはっきり
していないと噂される人 まだ親近感が持てる。
また 自分とは反対に何でもズバズバ言うようなたくましい
性格らしい。常々 自分もそのようになれたらと
うらやましく思っていた。
続く。