チサの迷い そうして
そうして夜は明けた。 一夜明けてチサと顔を合わせた
家光は少しバツが悪そうな顔をして「怒っているのか」と
尋ねる。チサはゆっくりと首を横に振った。
あれから後 一睡もできずに考えていた事は、こうなる
以外に手だてはなかったように思われた。現代なら
いざ知らず、この時代の最高権力者たる将軍に愛されて
一つ部屋に泊まりながら何事もなくずっと過ごせる訳は
なかった。それが嫌なら死ぬしか無い。それもせずに
ひと月あまり、召されるままに閨に上がっていた自分も
好意を持っていたのだと今 考える。
「なればなぜ 黙っている。笑顔を見せてくれい」
「少し頭が痛とうございます」 「昨夜 眠らなかった
のでは無いか」 「とても眠る気にはなれませんでした。
上様は乱暴です」 甘えた気持ちで恨み言を言って見る。
「やはり怒っているのか」と 家光は困ったように言って
「わしは早まったかも知れぬがどうにもならなかった。
詫びと言ってはなんじゃが何か望むものは無いか」
「何も欲しい物はございません」彼はますます困ったように
しばらく考えていたが 「では 昨夜のそちの頼み事
聞いて取らせよう。 これでは駄目か」
「ありがとうございます」 「良かろう だが他の者を
召してもそちは構わぬと申すのだな」 「はい」 家光の
問いにチサははっきりと頷いた。
チサはまだ知らなかったのだ。と 言うかまだ心の底
から家光を愛していない。愛していればそんな言葉は
出なかっただろう。好意以上の感情はあっても
ヒリつくような胸の切なさ それはなかった。
その日からチサは名実ともに三代将軍家光の6人目の
側室となった。思えば不思議な縁である。
その事があってしばらく後のある日 長らく病気療養の
ために自邸に下がっていた春日局が久しぶりに
出仕して来て大奥に一種の緊張感が張り詰めた。
梅山はこれでチサの落ち着き先も決まるだろうと
ホッとする。
続く。