おこうの宿下がり
その部屋は十畳の広さで続きに二の間 三の間が付き
トイレや湯殿付き、お湯殿の東続きには産婆や医師
下の仕事を受け持つ下女達の為 六畳敷の部屋が四つ
という広い所だった。この頃 お玉が産んだ若君
徳松は生後31日となり、紅葉山のは東照宮に参詣する。
東照宮と言っても日光ではなかった。
その参詣の帰りに引きつけを起こしみな大騒ぎになったと
言う話がおよの達の耳に入って来た。おこうやかな江と
3人はこっそり手を打って喜ぶ。彼女達はチサを
目の敵にするお玉が大嫌いである「バチが当たったのよ」と
女中部屋の片隅でひっそりと言い交わす。
これも大奥という閉ざされた世界の中では良くある事
であった。そうしてチサの子の乳母探しがひそやかに
始められていた頃 チサ付きの3人の侍女の一人
おこうが宿下がりの日を向かえた。
大奥では毎年春先に3年目なら6日 6年目は12日
9年目は16日と日数を限る宿下がりが出来た。
ちなみにチサのような中臈や年寄り 小姓 表使い等
高級女中には宿下がりはなく、窮屈なものであった。
春日局のような屋敷を貰うか、上級女中の代参で
寺社に参るくらいがせめての憂さ晴らしである。
およのと違い、おこうの両親はまだ健在で娘の宿下がりを
楽しみにしていた。それともうそろそろ縁付いても
いい年頃 婿候補の顔合わせなどもしてと一日千秋の
思いで待っていたが、肝心のおこうは嫁ぐ気など全く
無く、一生女中奉公をするつもりであった。
同部屋の女達に外に出た時 ついでにアレを買って来て
何々神社のお札を等と、頼み事をされチサやお万の方
からは小遣いと共にいっぱいの手土産を持たされ
一人では運べないからおよの等3人で七つ口(大奥の
門の一つ)まで見送られてその先は、男の召し使い
五菜によって生家まで送られる。
家では今か 今かと待ちかねた両親が玄関先まで
出迎えていて、3年ぶりに見る我が娘に眼を潤ませている。
「よう帰った。さ 早う家の中へ 寒かったのでは
無いか」 「父上 母上 ただいま戻りました」
「おう おう 一段と美しゅうなって さ早う部屋へ」と
母親はかき抱かんばかりに暖かい部屋の中へといざなう。
おこうは正座し、改めて両親に帰宅の挨拶をする。
二人の眼はとろけそうに愛しく見つめていた。
「こちらから何かお方様にお礼の品をと思うておりましたが
それを上回るような品々を頂き、感謝しております」と母
「母上 お万の方様も優しくして下さいますが、先に
申し上げた通り私は今 お方様の部屋におられる
おチサ様に付く侍女です。そのおチサ様が各 大名等
から頻繁に届く頂き物をすべて、部屋の者達に分けて
下さるのです」 「それは何とお優しく気使いのできる
お方じゃ その方は生家に送られぬのか」もっともな疑問
である。「おチサ様は遠国の生まれと聞き及びます。
すでにご両親も他界されているとか」 「何とお寂しい
事でありますなぁ」 「おチサ様は明るく振る舞って
いらっしゃいますが、本当はお寂しいと思います。
まして今は上様の御子を身篭っていらっしゃるのです。
だから私達も力を合わせてお守りするつもりです」
続く。