お玉の懐妊 そしてチサ
「若君 母は心配させてしまったようですね。
でも もう大丈夫ですよ。おチサ様とお会いして
すっかり元気になりました」 「チサ そうか」
竹千代は側にチサがいる事に今 気が付いた様子
それほどに周りが目に入らぬくらいお楽の身を心配して
いたのだろう。こうして毒殺未遂事件はおおやけには
されず幕を閉じたが、そこは口さがない雀が二の丸にも
いる。誰言う事なく噂は大奥にも流れてきたが
総取り締まりお万の方が、何も言い出さない事は
表立って口には出来ない。お玉もお里沙もこの度は
おとなしかった。と 言うのはお玉は体調不良だった。
このところ何かと気分がふさぎ、何時にも増して
イライラと落ち着かない。食欲もなく普通ならば悪阻を
連想するのだが、彼女は以前から月のものが不順な所に
先月は、少量ながらあるにはあった。しかしいよいよ
おかしいと言う事になり、花岡がお匙に診せたところ
それは待ちに待った懐妊の知らせ 部屋の者一同
歓喜の嵐に酔い痴れた。これでいつも煮え湯を飲まされて
いると(勝手に思っている)お玉達が思っているのだが、、
チサに一歩 抜きん出る事ができるところ大喜びである。
まだはっきりとした報告はしないが、その日より
中臈 お玉は体調がすぐれぬと称して部屋で引きこもる
から、何となく皆に分かってしまう。その上 花岡に付く
侍女や部屋子達がまるで鬼の首を取ったような態度を
するので見え見えだった。8月上旬 八朔の日と言う
行事がある。それは初代家康がこの地に入国した日を
祝う日で幕府にとっては正月に次ぐ祝日であった。
表御殿では御三家始め大名達の祝いの品として
太刀とか馬代と称する現金を送る習わしがあり、
大奥にも鮎 鯛 鮭等が御三家から贈られその夜は
狂言や鳴り物の楽しみが、お次 三の間の女中達に
より行われた。もちろん酒 料理付きでみな多いに
楽しむ夜だったがお玉は、これにも参加しなかった。
聞けば悪阻が酷く、枕も上がらぬ状態らしい。
もともと癇性の強いお玉の事 部屋子達に当たり散らして
いるらしいとおよの達の耳にも入って来る。
「あのお玉様が怒り出したら大変よね~。お部屋の方達が
かわいそう」等と はじめ厭味たっぷりな態度を
取られたこと等 忘れたように同じく部屋子 侍女と
いう立場からか同情の声を交わした。その悪阻騒動が
一段落した8月の中頃 今度はチサが異変を感じた。
何故かいつも美味しく食べられる食事に気が向かない。
食べれるが美味しく無い。何となくダルい
この頃 上達して好きになっていた書道も集中出来ない。
そんなチサの異変に気付いたのは書を教えるお万の方
「チサ どうしました。何か気になることでも」
「いいえ お方様 この風のない蒸し暑さが身体に
纏わり付くようで」 「確かに暑くはあるが、、、」
「お方様」 その時 いつも側近くにいるおよのが
ためらいがちに膝を進める。「どうした およの」
「はい おチサ様はこの頃 お食事を厭うておられる
様子にございます」 日頃 チサに付いて行動を
共にするおよのの言葉にお万の方はいうなずき
「こなたも少し前から何やらいつもの元気がないようなと
気になっていました。チサ 気がねなく申すが良い」
心配そうな顔で尋ねる二人 チサは困ってしまった。
続く。