お玉の懐妊 そしてチサ
人目がなくなるとお楽は、すぐに下段に下りて来て
「おチサ様 おチサ様」と縋り付いてくる。
「お楽様 大変でしたね」と チサはその手を取り
自分の胸にあてがった。「私もあの日 お方様から
聞かされて心臓が止まるほどビックリしました」
「夢に出ます。菓子を食べて苦しむ小太郎をみました。
あれが若君の姿に重なり恐ろしくてなりません」
「わかりますお楽様 子供が苦しむ姿等辛いでしょう」
チサとて甥や姪が高熱を出した時 姉が取り乱して
すぐに母親に助けを懇願していた事を今 思い出す。
ましてや毒を飲まされて苦しむ等 見るに耐えない
ものがあるだろうと思うとお楽の怯えも心配も
良く分かった。「これからもこんな事があるかも知れないと
思うだけで怖いのです」 お楽はかき口説くように
胸の内をさらし、縋り付く。きっと今まで誰にも
見せなかっただろうその姿に彼女の孤独感がつのって
いたに違いない。佐和やお松は信頼できて自分の事を
理解してくれているが、やはり目下の者として
扱わなければならない。世継ぎの生母という立場は
チサと会うにしてものいい顔をしない老女達がたくさん
いた。「お楽様 いえお蘭様 大丈夫 大丈夫これからは
今まで以上に気をつけましょうね。私もお万の方様もの
みな分かっているのよ。貴女の味方よ。一人じゃない
のよ。貴女は母親 キリッとしてなければ若君だって
心配するわよ」チサが以前のお蘭時代の言葉で言うと
お楽は何度も頷き、「分かっているの おチサ様
若君が心配して1日 何回もお見えになっているのが
その時は気丈に振る舞っているのだけど駄目ね、、
見破られているみたい」 「男の子の方が母親に
優しいんだって姉が言ってたわ。ほら 姉には男の子と
女の子がいたのよ。だからね。お蘭様がシャンとして
なきゃ若君が心配し過ぎて病気になったら困るでしょ」
軽く睨む真似をするとお楽も 「あれ 怒ら無いで
私は本当に辛かったの」と ふくれて見せる。
それだけ気分が明るくなったのだ。友に心の内を
話し、気が楽になって来たのだった。
チサは居ずまいを正しお楽前に正座して「これからも
二人 力を合わせて若君が健やかに育つように致し
ましょう。立派な四代様に、、」
「はい お願いします おチサ様」と お楽もにっこり
頭を下げる。ちょうどその時 頃合いと見たか佐和が
竹千代達を連れてやって来た。竹千代はお楽の姿を見て
驚いたようにかけより 「笑っておられる。佐和
母上が笑っておられるぞ」と嬉しそうに膝にすり寄った。
「若君」 その愛らしい子供らしい姿にその場にいた者
全てがまぶたを熱くする。「母上 母上」 「若君様」
お楽は我が子を抱きしめた。「母上」竹千代も嬉しそうに
胸に縋り付く。赤児の時ならいざ知らず竹千代も
こうして人に抱かれるのは久しぶりだった。
乳母といえども佐和は大きくなった竹千代を抱いては
くれず母に抱きしめ手貰うのは記憶に無いほどだった。
竹千代はお楽の胸に顔を埋めて「母上はなんと
いい匂いがするのでしょう」と 言ったのでみな笑って
しまい、そうして涙ぐむ。